始まりの日
朝の8時半。横になったおかげでようやく体調が回復した私は、布団から起きてすぐ身だしなみを整える。
頑張っても朝のホームルームには間に合わないと思うけど、最初の授業には出席できそうだ。
玄関先の上がり
「いのりー! お弁当忘れてるわよ」
「あ! ご、ごめんお母さん……!」
「相変わらずおっちょこちょいね。お弁当、無理して全部食べなくていいからね。ゼリー飲料も入れてるから」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ行ってくるね」
そう言って、私はドアノブに手をかける。
その直後、さっき起きてきたお父さんが姿を見せる。
「時間ないだろ? よかったら車で送るよ」
「いーから。お父さんは足怪我してるんだし、私より無理しないでよ」
「……車の運転程度なら余裕だぞ?」
「あなた虚勢張らないの。この前だって気晴らしにドライブ行ってきた挙句、足痛めてたじゃない」
「…………。記憶にないな」
「あはは、気持ちは嬉しいけど、本当に大丈夫だから! ゆっくり休んだおかけでもう走れるよ」
私はにこっと笑いながらその場で足踏みをする。
これ以上、心配させるわけにはいかなかった。
「ならいいんだ。行ってらっしゃい、いのり」
「うんっ、行ってきます!」
「途中、体調が悪くなったら電話をかけなさい。その時は鞭を打ってお父さんに迎えに行かせるわ」
「よ、よしてくれよ綾子……」
そんな会話に、笑いながら私は家を出る。
あれは夢だ。
どれほど現実に近しく見えても、お母さんとお父さんが信者になるはずがない。そう思うと心がふわっと軽くなって、私は学校までの道のりを駆け出した。
*
幼稚園から小学校、中学高校までもが隣接して建てられており、そのため膨大な敷地を誇るここは、いわゆるお金持ちのご子息ご令嬢が集う学校でもある。
そこに通う私は、一般家庭の出身。
将来のため、そして安全のためにと、お母さんとお父さんが高い学費を払ってくれたおかげで今がある。
だから授業に遅れるだなんてもっての外。
私は息切れしながら、教室後方のドアを開ける。
「遅れてしまってごめんなさいっ」
その声に集まる視線と、飛んでくる挨拶。
私は呼吸を整えつつ着席する。
よかった。1時間目にはギリギリ間に合ったみたいだ。それから素早く必要な教材を鞄の中から取り出していると、私の右肩がちょんちょんとつつかれた。
「珍しいね。いのりが遅刻するなんて」
「あはは……なんか、昨夜は寝つきが悪くってさ。起きたらもう8時前でびっくりしちゃった」
「寝坊なんて、もっと珍しい。具合悪いの?」
そう言って微笑む隣の子は、石崎美嘉ちゃん。
私の親友だ。幼稚園からエスカレーター式でここまで上がっている本物のお嬢様なんだけど、高校から入学してきた一般家庭の私にも、優しく接してくれる。
「ううん、全然。寝すぎてすごい元気だよ!」
「ならよかった。実は数学の宿題で分からない問題があったんだ。それをいのりに教えて欲しくって」
「もちろんだよっ」
そんなわけで意気揚々と宿題を見直し始める私。
その様子を、美嘉ちゃんは横でじっと見つめる。
「―――さて、そろそろ授業を始めるよ」
時刻は9時ちょうど。
1時間目の歴史の授業を担当する先生が教壇に立つと同時に、私は数学の宿題プリントを仕舞う。
それから目を輝かせて前を向いた。
この先生の授業は、聞いてて楽しい。
歴史を物語みたいに噛み砕いて説明してくれるから、話が頭の中にすっと入ってくる。
それに今日これから学ぶのは、近代史だ。
これは1人の魔女のお話。第三次世界大戦を1人で終わらせた、1000年を生きる魔女の伝説だった。
*
放課後になると、私は習い事のある美嘉ちゃんと別れて、運動着に着替えて体育館へと急ぐ。
ご子息とご令嬢の集う学校だから運動面は控えめかと思いきや、そうした部活動も活発なのがこの学校の特徴だ。本当に、文武両道を体現する人が多い。
私もみんなに遅れをとりたくない。
そんな思いで、私は鉄扉を押し開ける。
「おはようございま〜す!」
大きな挨拶は、この体育館によく響く。
今日は一番乗りができただろうか―――。そんな期待は、目の前の光景にすぐ裏切られることになる。
キュキュッと、シューズが床を擦る。と同時に先輩の体が弾かれるように飛び上がり、しなやかに振り抜かれた手に、ボールは吸い込まれるように当たる。
それから間髪入れずにもう一球。もう一球。
床板に転がったボール数々を見るに、どうやら先輩は、もう長い時間サーブの練習をしているみたいだ。
なお現在の時刻、15時20分。帰りのホームルームが終わってから10分しか経っていないはずだから、床にここまでボールが転がってるのは何かがおかしい。
「おはようございますっ、双葉先輩」
「ああ、おはよう。今日も早いな」
「……先輩は早すぎますね。どんな裏技を使ったんですか?」
「6限目の授業を抜けてきただけだよ」
「当たり前のように授業抜けないでくださいよ……」
私はこれ見よがしにため息をつく。
こんなお調子者の先輩が、アルカディアの隊員なわけがない。起きた直後はあの夢について真面目に考えていたのが、先輩を前にすると馬鹿馬鹿しかった。
「ん? 僕の髪に芋けんぴでもついてる?」
「いや、どんな状況ですかそれは」
「あれ知らない? 少女漫画で有名なシーンらしいよ。僕の友達が興奮して見せてくれたことがある」
「……すごい友達ですね」
「まあね。ところで、話は全然変わるけど―――」
途端に、先輩の視線が鋭さを帯びる。
「今日、何か変わったことはあった?」
「っ……?!」
「やっぱり。目の下に隈ができてるから、あまり寝れなかったのかな? 今日は無理をしてはいけないよ」
私の体を見透かすように、先輩は言う。
「心配をおかけしてしまってごめんなさい。でも、大丈夫です。お昼ご飯もたくさん食べましたし」
「ああ、それはいいことだね」
その後、これから部員が集まってくるのに備えて、私は先輩と一緒に床に散らばったボールを片付ける。
それから少しの間、私は技術指導を受ける。
授業だけじゃなく部活もすぐに抜け出しちゃうから、先輩は男子バレー部の主将じゃない。だけどその実力に関しては抜きん出ていて、教えるのも上手だ。
そうしている内に、続々と集まる部員。
その全員と挨拶を交わしていると、今やって来た1人の男子生徒が、ニヤニヤとしながら近づいくる。
「よっ、葵。それからいのりちゃんも。まさか2人で会うために葵は授業を抜け出したのか?」
「僕といのりはそういう関係じゃないよ」
「そうか? いのりちゃんもそういう認識か?」
「えっ、と……」
お調子者第2号がやって来た。
いや、さすがにそれは双葉先輩に失礼かもしれない。授業もすぐに抜け出すし学校もすぐ休む不真面目な先輩だけど、根っこはほんとに優しい人だ。
「晴人。後輩を脅かすんじゃないよ」
「ははは! 悪い悪い。人の色恋沙汰にすぐ首を突っ込みたがるのは俺の悪い癖だぜ」
「自覚があるなら直してよ、まったく……」
悪びれもせず、豪快に笑う渡辺晴人先輩。
そんな彼を冷めた目で双葉先輩が見る。
「それで、バレー部員でもない晴人が体育館になんの用? まさか冷やかしに来ただけじゃないよね」
「……あーそうだそうだ。先生から葵を連れ戻してこいって言われたんだよ。6時間目の授業を堂々とすっぽかした罪で反省文3枚だそうだ。レッツゴー職員室」
「なるほど、分かった。行かないと伝えといて」
「いや早まるな?! 葵を連れ戻せなかったら俺が怒られるんだよ! ほらいのりちゃん何か言って!」
これはどう考えても双葉先輩が悪い。
けれど先輩はこの場を離れることなく、むしろ体育館の長椅子に寝そべったそのときだった。
『あー、あー、高校2年6組の双葉葵。至急職員室の岡崎のところまで来なさい。繰り返す。高校―――』
突如として流れ出した校内放送。
私と渡辺先輩は顔を見合わせ、それから頷いた。
「とりあえず行きましょう! 双葉先輩! 大丈夫です、私たちも最後まで付き添いますよ」
「ええ俺もぉ?!」
「待って欲しいこれには大事な理由があって―――」
「知りません! ほら、早く行きますよ!」
私は渡辺先輩と協力し、双葉先輩の手を無理矢理引っ張る。前言撤回。やっぱり先輩はお調子者だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます