お父さんとお母さんが倒れていた。

　焼け野原になった住宅街。

　その中心に、私は呆然として座り込む。

　

　目の前にはお父さんとお母さんが横たわっている。その瞳は虚ろだ。口から生えているかのように溢れ出した蔦（つた）が、地獄の業火に焼かれ、枯れ果てている。

　その現実を認識すると同時に、今になって血肉の焦げた匂いが鼻を刺す。私は思わずその場で嘔吐した。

　……おかしい。

　おかしい、おかしい、おかしい、おかしい。

　状況を理解してしまったからこそ、私は混乱する。

　脳が事態を理解するのを拒んでいた。

　でも五感というものは残酷だ。

　目を灼くような周囲の熱が、遠くから響く救急車のサイレンが、舌の上の胃液の味が、煤（すす）の散らばった地面の手触りが、私の現実逃避を許してくれない。

　いつも通りの1日のはずだった。

　朝はお父さんとお母さんに見送られて登校して、学校でも楽しく過ごして、たまたま部活がない日だったから友達と寄り道するつもりだった。そんなときに鳴った、緊急アラート。それは大災厄の予兆だった。

「なんで……なんでよっ……！」

　やっと絞り出された悲鳴に、誰も反応を返さない。お父さんとお母さんはもう事切れていて、その体を乗っ取って暴れていた蔦（つた）も、もう動く様子はなかった。

　やがて遠くから、誰かが私たちに近付いてくる。

　顔はぼんやりとしていて認識できない。だけど彼らが身にまとった軍服から、その所属は明らかだった。

　異能力者が集い構成された、国際組織。

　―――通称、アルカディア。

「……なんで、殺したんですか」

　私は思わず、責めるように問うた。

　聞かずとも分かることを問わずにはいられなかった。

「言わなくても分かっているだろう、椎奈いのりさん。君のご両親は信者だった。……いいや、正確に言えば君だけじゃない。この住宅街一帯、異界の信者で構成されていたんだ。だから殺す必要があった」

　それは世間ではありふれた話だった。

　昨日まで普通に過ごしていた家族が、友達が、そして愛人が、翌日には信者になっていた―――なんて。

　信者の存在は地球に災いをもたらす。

　それを防ぐために、この人たちはいる。

　

「……お父さんとお母さんは、悪いことはしてません。なんで、なんで殺したんですか」

「…………それが、仕事だからだ」

　返事は淡々としたものだった。

　私はぐっと感情を堪えて、男の人を睨み付ける。

　するとその隣で、今まで黙っていた1人の女性が、私に1歩近づく。彼女もまた、軍服を身にまとっていた。

　

「ごめんね椎奈さん。本来なら、あなたのご両親が異界の神に魅入られる前に、気がついてあげるべきだった。その苦悩に寄り添ってあげるべきだった」

「……そうだな。俺たちの実力不足のせいだ」

　私の前で、男の人が地面に片膝をつく。

　口調が変わる。

「ごめん。いのりの大事なご両親を守れなくて」

「……え？」

　私は困惑して、思わず顔を上げた。

　だって、……だって、この声は。

「双葉先輩……？」

　見知った顔が、私の目の前にあった。

　その直後、私の視界は暗転する。

　何も見えなくなる。

「起きなさーい！！！」

「……っ、んぇ？」

　気がつけば、私はベッドの上にいた。

　少し開いた窓の隙間からそよ風が室内に流れ込む。それは汗だくになった私の肌を優しく撫で、私はハッとして目を見開いた。そのまま勢いよく起き上がる。

「いだっ」

　そのせいで、お母さんと額がぶつかる。

　私は涙目になりながら再度布団に埋もれ、それから額を抑えて唸った。

「いたたた……まったく、もう。いきなり体を起こさないで。でもそろそろ起きないと遅刻するわよ」

　その言葉に、私は再度ハッとして時計を見る。

　時刻はもう朝の8時前。いつもより30分以上も遅い起床に、焦った私は布団の上で跳ね起きる。だけど起き上がってから数歩、私は立ち眩みに襲われる。視界が歪み、地に立っている感覚が得られなくなる。

「ちょっと、大丈夫？」

「…………平気。ちょっと立ち眩みしただけだよ」

「酷い夢でも見たのかしら？　かなり長い間うなされていたみたいだったけれど……」

　夢。そう言われて、私は思い出す。

　あれは夢だったのだろうか。今になっても色褪せない、生々しい光景。その匂いや音など、五感で感じ取った全部の情報が脳裏にフラッシュバックする。

　急に催される吐き気。私は胸を押さえてトイレまで駆け、せり上がってきた胃液を便器の中に吐き出す。

「い、いのり？！　体調でも悪いの？！」

「……大丈夫。少し気分が悪くなっただけだよ」

「す、すぐ学校に休みの連絡入れるわ！」

「い……いいよ！　そこまでじゃない。ちょっとだけ休憩したら、ちゃんと体調良くなると思う」

「そうは言っても……」

　心配そうに、お母さんは私の背中をさする。

　でも本当に体調が悪いわけじゃない。

　陽だまりを生きてきた私にとっては、夢であっても耐え難い光景を見てしまっただけで。でもそれを当のお母さんに伝えるのは憚られて、私は言葉を濁す。

「大丈夫だよ。私は無理してないよ」

「……分かったわ。本当に無理してないのね？」

「うん、心配してくれてありがとう」

「トイレの後処理は私がしておくから、ひとまずゆっくり休んでなさい。それと、朝食はいるかしら？」

「…………ごめん、食欲は今あんまりかも」

　私は申し訳ない気持ちで、首を横に振る。

　

「そう。じゃあひとまずお口だけゆすいで、それからお布団の上で横になってなさい」

　言われた通りに、私は洗面台に向かう。

　その間、私の頭の中では、夢で見た最後のシーンが何度も再生されていた。センターパートの黒髪に、優しさをたたえた紅い瞳。そして軍服をまとっていた。

　

「双葉葵、先輩……」

　その名前を、私は小さく呟く。

　同じ学校で同じ部活の1つ上の先輩で。

　私が大好きな人だった。