第22話

 ★

 もう、お家に帰りたい。

 

 ドラゴンの猛攻撃を回避し続け、隙を見て全力のパンチを喰らわせているのだが……

 

「びくともしねえ」

 

 俺の身体能力は大神ウォッコ様の加護によって極限まで上昇させられている。 最初に戦った猪めヴィリシカは軽いパンチでその体に大穴が空いた。

 

 続いて戦った冒険者は赤子のように弱く、ギルマスに限っては俺の身体能力について来るのが限界だった。

 

 一番強かったのはアルちゃんが召喚した狼めルナガルム。 六級クーシ冒険者が単騎でギリギリ討伐できるほどの強さだというが、その強さは猪めヴィリシカ百頭分に匹敵するらしい。

 

 何が言いたいかというと、六級冒険者にもなればたった一人で中規模の街を守ることができるレベルなのだ。 そんな六級冒険者がギリギリ倒せる狼めルナガルムですら、俺の全力パンチで吹っ飛ばせた。

 

 だというのにこのドラゴン、甲高い音を立てながら俺の拳を弾きやがる。 物理攻撃ではこいつの体に傷一つ与えられないだろう。

 

「おいアルちゃんたち! 傍観してねえで手伝いやがれ!」

 

 俺はドラゴンが振り下ろしてきた爪を避けながら悲鳴混じりの救援要請。 しかし驚くべき光景が視界の端に映った。

 

「さっきから、あたしの可愛いルナガルムとソルガルムをセットで救援に向かわせてるさ! けど……」

 

「近づいた端から一瞬で薙ぎ払われてやがる」

 

 ドラゴンの攻撃を避けるのに必死で気づきもしなかったが、あの狼めですら尻尾の薙ぎ払い一撃でぶっ飛ばされて即死している。 こんなの明らかに、

 

「強さが馬鹿すぎて話にならねえ」

 

 俺が今まで攻撃を避け、隙を見て攻撃をすることができていたのは狼めたちが多方向から同時攻撃を仕掛けていたから。 そのおかげでドラゴンの注意は散漫になり、俺だけは楽に攻撃を回避できていたわけだ。

 

 つまりこのままでは手が足らない。

 

「せめて武器をよこせ武器を! こんなバケモノに素手で立ち向かわせるとか鬼畜か!」

 

「坊主! こいつを使え!」

 

 ヨウシアさんが遥か遠くから何かを投げてきた。 アルちゃんもヨウシアさんも今はドラゴンと距離を取るために豆粒並みの大きさになっている。

 

 そんな遠くから武器を投擲、俺の元に矢のように飛んできたそれをがっしりと掴む。 刃渡り八十センチほどの両刃の剣。

 

「あのドワーフどんな肩してんだよ」

 

 ぼやきながらも掴んだ剣をドラゴンの後頸部に全力で振り下ろした。 ……のだが

 

「あ、折れた」

 

「わしの最高傑作が!」

 

「こんななまくらが最高傑作とか笑わせんじゃねえ!」

 

「おのれこのクソガキ! わしの剣が悪いんじゃなくておめーさんの使い方の問題じゃ! 訂正せんか!」

 

 この状況でもこんな軽口が叩ける自分を称賛したい。 剣が折れたせいで一瞬の隙が生まれてしまった。

 

 ほんのりと空気の揺らぎを感じた瞬間、左半身に急激な負荷がかかる。

 

 『ちょ! ティーケル氏?』

 

 一瞬にして視界がぼやけ、気がついたら背中から全身にかけてものすごい衝撃を感じた。 振り子のように迫ってくる巨大な鉄球が衝突したような感触。 しかし幸いにも意識はまだあった。

 

「尻尾にやられたか、生きててよかった」

 

 『まさか、今の一瞬で防御したの?』

 

「街を歩いてる辺りから窒素を固めて全身を覆っている。 窒素の層がなかったら今頃ミンチだぜ?」

 

 おそらく骨は折れていないがひどい打撲を負っている。 窒素は優秀な鎧になってくれていた。

 

 こんなこともあろうかと、先刻紺狼めルナガルムを窒息死させた時に思いついた窒素の鎧。 こいつは無詠唱でも発動できるように、黄狼めソルガルムの見張りがなくなってからは常に展開していたのだ。

 

 蛇が出てきたりとかしない限りは冷静に想像し続け、無意識でも展開できるようにするのが最終目標。

 

 呪歌を使うコツとしては、イメージを強固にすること。 常に頭の片隅でイメージを続け、思いついた現象を息をするように発動させることができるのが理想だ。

 

 おそらくこの世界の人々が歌を歌うのはそのイメージを即座に発動させるため。 強力な呪歌、例えば酸素などの特定物質の直接操作は時間がかかるが、あらかじめ窒素の鎧を自分に纏うイメージをずっと続けてさえいれば、いつ戦いが発生しても自分の身だけは守れる。

 

 とは言ったものの、防御を完璧にしたのはいいが、俺の弱点としては接近戦や咄嗟の呪歌による殺傷能力の低さだ。 こればっかりは必殺のイメージを働かせるのに時間がかかる。

 

 今使える呪歌としては砂を操作した呪歌のみ。 なぜならここは地下で、湿度があまり高くない上に雨を降らせることもできないから水は使えない。 さらに風も吹かないから酸素や窒素の濃度を変更させることはできてもかまいたちのイメージは少しばかし難しい。

 

 そもそも、かまいたちは狼めルナガルムにすら傷を負わせることができなかったのだ、使っても意味ないだろう。

 

 酸素濃度を操ろうにも想像する時間がないし、アルちゃんが召喚してくれた狼めが足止めに動いてもらってはいるものの、俺への攻撃が集中しないように分散するのが手一杯。

 

「砂で直接鼻と口を塞ぎたいけど、ドラゴンも馬鹿じゃないから動き回っちゃうし」

 

 『最悪の場合は手を貸してあげるわよ?』

 

「何言ってんのピピリッタ氏、さっきは俺を見捨てたくせに」

 

 『さすがにガチで死なれそうな時は手を貸すに決まってるでしょ?』

 

 なるほど、俺はこのままだとガチで死ぬらしい。 本気でやばい。

 

 さっきアルちゃんに捕まった時は油断して調子に乗ったから遅れをとった。 けど今回は違う、最初から全力で立ち回ってるのに打開策が一向に浮かばない。

 

 おかげでイライラしてくる。 歯を軋らせながら必死にドラゴンの猛攻撃を掻い潜って懐に潜り込み、全力の蹴りをお見舞いするがやはりびくともしない。

 

「どんな装甲してんだよ。 いや待て、全身が固かったら動けねえはずだ、関節部分は柔らかいはず!」

 

 『賢いわね、顎の下や腕、足の付け根あたりは狙い目じゃないかしら?』

 

 俺は小さく頷いて身を翻し、ドラゴンの腹下に滑り込む。 この巨体だ、腹の下に潜り込むのが一番安全地帯のはず。

 

 ゲームとかだとそういう認識があっていたのだが、現実ではそうはいかなかったらしい。

 

「まさかのボディープレス?」

 

 あろうことかドラゴンは俺がスライディングで腹の下に滑り込んだ瞬間地面に腹を押し付けてきたのだ。 慌てて地面を殴って横っ飛び、間一髪で脱出に成功した。

 

「いくら窒素の鎧を纏ってるからって、押しつぶされたら洒落にならんからな」

 

 額から線を引いていた汗を拭い、ドラゴンの動きをよく観察する。 腹の下が危険なら背中からよじ登るのが最適解。

 

 しかし背中からよじ登るためには鞭のように飛んでくる尻尾が厄介。

 

「アルちゃん! 尻尾の動きを止めたいから狼めをそっちに集中してくれ!」

 

「やれるだけやってみるさ!」

 

 ドラゴンを囲うように展開していた狼めたちが尻尾に一斉に飛び掛かってくれた。 できた隙は一秒にも満たない。

 

 けれど身体能力が上がった俺にとっての一秒はかなり絶好の好機となる。

 

 ドラゴンの野郎はあの巨体にも関わらず、引っ掻いたり噛み付いたり尻尾でぶん殴ったりと言った物理攻撃が、音を置き去りにする速さで飛んでくる。 戦闘の達人とかならうまくかわせるのだろうが、身体能力頼りの俺は飛んできた攻撃を単純に避けることしかできない。

 

 けれど、それで十分なほどの身体能力があるのだ。 これはアニメや漫画でいろんなキャラクターの戦闘描写を見ていたからだろうか? なんとなく、こうすれば避けられるという体の使い方がわかるのだ。

 

 そう、呪歌において大切なのはイメージ。 俺は地面を思い切り蹴り、ロケットのような勢いでドラゴンの背中に衝突。

 

 もちろんこれによるダメージはドラゴンにとっては皆無だろう。 だが、背中に張り付いた俺を叩き落とそうと、ドラゴンは慌てて尻尾を背中に叩きつける。

 

「所詮は獣の知能だな、自滅とは実に滑稽!」

 

 ドラゴンが尻尾による攻撃で自らの外殻を破壊する光景を横目に見ながら、悲鳴を上げていたドラゴンの顎下に全力で駆け登る。

 

「喰らいやがれ。 必殺、全力パンチ!」

 

 初めて拳がめり込み、十分な手応えを感じた。 洞窟全体に衝撃波が広がり、ドラゴンが呻き声を上げながらのけぞったのを確認すると、即座に後方にぶっ飛んで離脱。 着地しながらドラゴンの様子を伺う。

 

 効果あり。 あと何回かかませば倒せるかもしれない、この時はそう思っていた。

 

「ちょっと、ハンサムくん早く逃げるさ!」

 

「おいおいまじかよマジかよ!」

 

「はは、この世の終焉はこうして訪れるのかな?」

 

 後方から絶望を纏わせた悲鳴が届いた。 俺も目の前の光景を信じたくない。

 

 『ブレス、くるわよ!』

 

「ドラゴンって、やっぱりブレスとか吐けるんだね」

 

 現実逃避したい俺のぼやきがいやに脳に響く。 目の前では全身から蒸気を立ち上らせたドラゴンが、口元でオレンジ色に輝く球体を作り出していた。

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