4 感受性――sensitive――(2)

 全てが豊かな街だった。


 家々は個性豊かに彩られながらも、全体の調和を乱すことなく、一服の絵画のような統一性を保っている。


 街路は敢えて舗装されず、自然のままの風合を残し、至るところに造られた公園では、野の花が自由に咲き誇っている。


 小鳥は鳴き、黄色いモンシロチョウが優雅に舞い、セールの鼻にとまった。


 通りの向こうからは、ミュージカル調の陽気な歌を響かせながら、婦人がやってきてウインクをしながら通り過ぎていく。


「楽しそうね」


 計算されつくした笑顔を浮かべて、エイクが言う。


「ああ。この街は素晴らしい。思いやりと愛にあふれている」


 笑顔を浮かべることのできないセールが、鼓動しない心臓のあたりに手を当てて、感慨深げに呟いた。


 さらに小鳥がセールの頭にとまったが、一向にふり払うことはしない。


 むしろ、邪魔をしないように首の揺れを最小限に抑える。


「それは良かったわね」


 皮肉とも祝福とも、どちらにでもとれる調子で言う。


「ああ、ちょっと待って、そこの人形さん!」


 突然、呼び止められた。


 セールはゆっくりと首を動かして、そのガラスの目で声の主を見つめた。ベレー帽を被った青年が、道路の脇にキャンバスを立てて絵筆をふるっている。


「何か用だろうか?」


 柔らかい調子で問う。


「君に是非、僕の絵のモデルになって欲しいんだ。ちょっと、付き合ってもらえないだろうか」


 青年は絵筆を手のひらに挟み、拝むようにして言う。


「俺は別に構わない。しかし、俺は人間のように表情を造ることはできない。面白いモチーフだとは思えないのだが」


 セールは照れたように言った。


「何を言ってるんだ。謙遜することはない! 君はこの前みかけたただ綺麗なだけの人形とは違う。僕にはわかるんだ! 君の苦しみ、人形としての悲哀、無機質の裏にとても豊かな心を持っているということが。そんな君の内面から醸し出される魅力と、無機質のボディの硬質さが相俟って、今、君は人間性そのものを体現しているといってもいい。僕は、後世の人々の心を豊かにするために、どうしても君を描きたいんだ」


 青年は大げさに手を広げて、そう主張する。


「……」


 セールはエイクをうかがうように見た。


「描いてもらえば? 私はちょっと用事があるから、後で落ち合いましょう」


 エイクはそう言って、愛想良く青年とセールに微笑みかける。


「ああ……それで、待ち合わせ場所と時間は?」


「セールの居場所くらいすぐにわかるわよ。迎えに行くから、楽しんできて」


 エイクは肩ぐらいに掲げた手をひらひら振って、その場を去る。


「……横から失礼する。今のあなた方の会話に私は、旅人の厳しさとそれを乗り越える絆を見た。是非とも、次の小説の主題にさせて頂きたい。よろしければ、絵のモデルになっている間、私の取材に付き合ってもらえないだろうか」


 神経質そうな目をした、長い顎鬚を持つ老人が、横から声をかけてきた。


「素晴らしい。人形さん、この方は、とても著名な作家でね。『感受性 オブ・ザ・イヤー』にも選ばれたことのあるほどの傑作をいくつも生み出して来たんだ。僕の絵画も先生のペシミティズムとオプティミズムの交錯する文体にかなり影響を受けている。さあ、お二人、椅子をどうぞ」


 青年はセールにモデル用の椅子を勧め、作家には自分の腰かけていた椅子を譲った。


「かたじけない。それがしの小説など所詮、老いぼれの出がらし。若さ溢れるエネルギーの前には、圧倒されるばかり」


 二人がお互いの感性を褒め称えている間に、どんどん人間たちが集まってきた。


 小鳥が驚いたように大空へ舞い上がり、蝶は次の花を求めてセールの鼻から飛び立つ。


 結局、セールは作詞家に、奇術家に、パントマイム師、色々な人間に囲まれながら、気圧されるようにモデルをこなした。


                 *


「ふう……」


 セールはため息一つ、人気のない細い路地を行く。


 結局、解放されたのはあれから数時間後だった。


 皆が付き合ってくれたお礼にと、食事に誘ってくれたり、街の案内を買って出てくれたりしたのだが、セールはそれらを固辞した。


 皆は奥ゆかしさだと好意的に解釈してくれたのだが、実の所は違った。


 決して嫌な気分ではなかったが、あれだけの人の想いにあてられたのか、精神的な疲労が蓄積していたのだ。


 つくづく自分がみじめで無価値な存在に思えてくる。


 好意を向けられても笑顔一つ返すこともできなければ、『恋人』への愛一つとっても、上手く言葉にすることさえできない。一緒にいるエイクの心だって、彼らのように自信を持って断言することはできない。


 無意識的に刺激から逃れようとしていたのか、辿り着いたのは、他の通りに比べれば控え目な裏通りだった。


 家々の色使いも大人しいし、店先には絵画や詩集などではなく、鍋や食料品などの実用的な品が並んでいる。中には、いつか見たお菓子のカップケーキもあった。


 通りを歩く人々は、どこか異国風の人間たちが多く、この街の住民の比率は少なそうだ。値切り交渉に品出しに、皆自分たちの仕事に忙しく、セールに注意を払う人間はいない。


 そんな光景になぜだかほっとしたセールは、灰色の壁に背中を預け、身体を休めた。


「ちょっと、あんた、邪魔だからそこ退いとくれ」


 中年の女性が、野菜でいっぱいのカートを押しながらやってきた。


「ああ、すまない」


 セールは自分が搬入口の通路を塞いでことに気が付いて、慌てて広い通りへと退散した。


 店先に並んだ無骨な格好をした野菜たちを、興味深く眺める。


「買うのかい? 今日はナスがおすすめだよ」


 カートを押していた女性が、店先に新たな野菜を陳列しながら言った。


「いや、俺は食べる必要がないのだ。人形だから」


 それに物を買うお金も持っていない。


「ははは、そりゃそうだね。悪いけど冷やかしは困るんだよ。店先に突っ立ってもらっちゃあ、客が見られないじゃないか」


 女性は豪快に笑い飛ばした。


「……そうだな。失礼した。何分、やることがなくてな」


 もう一度、あの色豊かな大通りに戻るのは何となく気が引けるし、エイクの方から迎えに来てくれると言われている手前、彼女を探しに行くわけにはいかない。


「あんた、旅人だろ? 何かを買い付けに来たんじゃないのかい?」


「連れはそうしているかもしれないが、俺は商売のことはよくわからんのだ」


 ますます、情けなくなりながらセールは俯く。


「そんなんで良く旅人が務まるねえ」


 女性が呆れたように言った。


「面目ない」


 一礼し、その場を去ろうと踵を返す。


「あんた……暇だったら、野菜を売るのを手伝ってみるかい。今日は父ちゃんが腰を痛めて寝込んでいるから、人手が足りないんだ」


 数歩歩いたところで、背中に声がかけられる。


「いいのか?」


 セールは期待に満ちた声で振り向いた。


 今は時間を潰せる何かが、猛烈に欲しかった。


「給金は保障できないよ。出来高次第だからね」


「構わない」


 セールは勢い良く頷いた。


               *


「このカボチャは、平均的なカボチャの成分に比べて、カロテンが豊富でありこれからの夏バテを乗り切るのに有効だ。それが、平均的な値段で手に入るのだから、お得だと言えるだろう」


 セールは自分の頭ほどもあるカボチャに手をかざしながら言った。


「ぐぬぬ。人形の君がそう言うと説得力があるなあ……」


 頭にターバンを巻いた行商風の男性が、腕を組んで興味深そうに見つめる。


 初めて、自分の成分を分析する機能が役に立っているようだ。喜ばしい。


「だけど、大きすぎるカボチャは大味だって言うよ。もうちょっと、まけられないかい?」


「私にその権限はない。おかみさんを呼んでこようか?」


「ああー、やめてやめて。おばさんの手にかかったら、いらないものまで買い込んじゃいそうだから。君、中々しっかりしてるなあ」


「そうだろうか?」


 セールとしては事実を述べているだけなのだが、他人の目にはそう映るらしい。自分で思う程には自分のことをわかってないのかもしれない。


「そうだよ。はい、これ代金」


 受け取った代金を数え、過不足がないことを確かめ、カボチャを受け渡す。


「またのお越しを」


 本心でそう思ったわけではない。どうせ、今日一日しかこの店にはいないのだから。別に来ない方がいいとも思わないが、来てほしいとも思わない。


 それは心のこもっていない単なる習慣的な表現だったが、口にするのは悪くない気分だった。


「あんた、ご苦労様。もういいよ、娘が学校から帰ってくるから。後はなんとかなる」


 店の奥から出て来たおかみさんがセールの肩に手を置いて言った。


「そうか」


「本当はね。習い事とかもさせなきゃならないんだけどねー」


 小さくため息をついて、代金を揃える。


「させなきゃならない、とは? 学校だけでは教育が不十分なのか?」


 セールは首を傾げる。


「あんた、知らないのかい? ここでは、『人の心を動かすものを造る人』が優遇されているのさ。私らがどんなに稼いでも、税金で全部持ってかれちまう」


「そうなのか」


 確かに絵はカボチャのように食べられる訳ではない。当然、それを養う者が必要だろう。


「ま、それよりはまず何とか、お金を溜めて、娘にいいココノハを買い与えてやらないとね。感受性豊かになれば、芸術っていうのは捗るらしいから」


 女性はふっと優しげな目つきになる。


「さ、少ないけどこれが、あんたの今日の給金だよ。中々、良い売り子だったからね」


 女性は硬貨を数枚、セールに手渡してきた。


「いや、俺は別に金はいらない」


 さっきの話を聞いた手前、受け取りにくい。彼女の娘と違って、自分は別に金など必要としてないのだから。


「あんたも旅人を続けるんだったら、貰えるもんはもらっときな」


「……わかった」


 しまうところもなく、セールはしっかりと硬貨を握りしめる。


「元気でやるんだよ! まあ、人形は風邪ひかないのかもしれないけど」


 女性は豪快に笑って、セールの肩をばんばん叩いて送り出した。


 街の雑踏に紛れる直前で、セールは振り返る。


「婦人!」


「なんだい!」


 女性が商売用の大きな声を張り上げる。


「俺は、今の気持ちを上手く言葉にできない。しかし、これだけは言っておきたい。あなたと働けて、俺は楽しかった」


 女性は肩をすくめて微笑むと、何も言わずに野菜の陳列に戻った。

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