4 感受性――sensitive――

4 感受性――sensitive――(1)

 街を見下ろせる小高い丘の上だった。


「よかった。少なくとも今度の街では、合理性という言葉を聞かずに済みそうだ」


 セールが安堵のため息を漏らす。


 その街は遠くからでもわかるほど、巨大で広大な城壁に囲まれていた。


 城壁には、デフォルメタッチの人物画が描かれたり、夕焼けの海岸線を模した風景が、数キロに渡って続いていたり、壁の割れ目を利用した彫刻があったりと、とにかく意匠の限りを尽くした装飾が施されている。


「そうね。むしろ、NGワードだから気をつけて。合理性はもちろん、効率的とか、時間の無駄とか、そういう言葉も」


 大木の幹によりかかりながら、エイクが言った。


 木々の植生はもはや、非常識なお菓子の実をつけることはなく、茶色い枝と緑の葉をつける普通のものとなっている。


「ふむ、つまり、前とは逆で『非合理』な国?」


「当たっているとも言えるし、当たってないとも言えるわ。これまで、ココノハが欠けている国ばかり見てきたでしょう? じゃあ、その余ったココノハはどこに行くと思う?」


 エイクが鋏に油を挿しながら尋ねた。しかし、錆を何とかしようとする様子はない。


「ふむ……俺のような人形を作っているのではあるまいか?」


 セールは腕を組み、少し考えてから答える。


「それもあるわね。だけど、人間は死ぬのに、一度取り出したココノハはそれなりの管理をすれば半永久的に残るのよ。貧富の格差はともかくとして、人類全体で見れば、ココノハが余るとは思わない?」


 丁寧に油をのばし、鋏全体に行き渡らせながら、エイクが問うた。


「確かに。その口ぶりから察するに、次の国の人々は、ココノハをたくさん所有しているのだな」


 セールはエイクの意図を察するように言った。


「そう。あそこは『世界』の『境界』だから、人の行き来も激しいし、貿易の中心地として栄えている。この世界にはかなりユニークなアイテムが多く、逆に当たり前のものがなかったりするから、相当儲かっているはずよ」


 エイクはごちそうを見つけた大食いチャンピオンのような欲望をのぞかせた。


「ふむ。エイクは何でも知っているのだな。その調子で、早く『恋人』の居場所も見つけてくれると嬉しいのだが」


 セールは口に出してからはっとした。


 純粋な希望を言っただけなのだが、嫌味にとられかねない表現をしてしまった。


 自分が情けなくホテルでダウンしていた時にも、エイクは情報収集していてくれたに違いないというのに。


「いや、別に催促するつもりはないのだ。ただ、『恋人』のことが気になって仕方がなくて……気分を害したならすまない」


 エイクが何も言い出さないうちから、セールは勝手に謝り出す。


「セールに向こうでの振る舞い方をレクチャーした方がいいかと思ったけどやめるわ。私は向こうで『わかっている』ことを演じなければならないけど、セールは素のままで馴染めそうだから。きっと、セールは気に入ると思う」


 謝罪に関しては何の返答もせずに、セールは一人納得したように鋏を開閉した。


「そ、そうか……」


 とりあえずは怒っていないようだ。


 エイクにそう言われてみると、何だかますます、これから行くところが素晴らしい天国のように思えてくる。


 目的地に着くのが楽しみになってきたセールは、先ほどの憂鬱な気分から一転、走り出したいような気持ちになっていた。


「じゃあ、行きましょうか」


 エイクはいつも剥き出しのままの鋏を、布と木の皮で厳重に梱包してから、背中のホルダーに収め、ゆっくりと立ち上がった。


                 *


 城壁まで後五百メートルといった所で、向こうから何かが近づいてくる。


 エイクの半分程の背丈しかないそれは、兵士を模した人形だった。上半身には勲章のたくさんついた軍服を着ているが、持っている武器はあからさまに殺傷能力がなさそうな水鉄砲で、下半身はキャタピラだった。


 セールは本能的に、それが自分とは別種の人形だとわかった。


 見た目は精巧でも、ココノハが使われていないのだ。


「こんにちは。私は『心豊かな国』の軍曹だ。家には気立ての優しい妻と、二人の子供が待っている。さて、今日も仕事に励むぞ」


 キャタピラの喉についたスピーカーから、勇ましい音楽と一緒に野太い声が流れ出した。


 それが、この人形に与えられた設定なのか、それともスピーカーから声を出している人間の自己紹介なのか、セールには判別がつかなかった。


 人形はキュラキュラと大地を踏み鳴らし、セールたちの眼前までやってくると、首を機械的に左右に動かした。


「やや、怪しい奴らめ。もし、『あなたたちが止むに止まれぬ事情から、住民の生命、財産、身体に良からぬ影響を及ぼす可能性が高いと思わる人たち』なら容赦しないぞ」


 野太い声に交じって、所々、高めの声が混じっている。音声は再生式で、どうやら後から差し替えたらしい。


「ああ、どうしましょう!」


 エイクがわざとらしい演技で、地面に崩れ落ちた。


「私はしがない旅人、厳しい旅で疲れ果てて、やっと、一息つけそうな素敵な街を見つけたのに、疑いをかけられてしまうなんて。私、悲しいわ。とっても、悲しいわ」


 エイクはすんすんと鼻を鳴らして、泣き真似をするが、もちろん、その眼からは一滴の涙もこぼれ落ちていない。


 セールは眼前の光景に驚きつつも、エイクに合わせた方がいいと瞬時に判断し、地面に両手と両膝をついた。


「私は人形。旅人の手伝いをしながら、人間の『恋人』を探している。愛しい『恋人』には未だ会えず、彼女はどこで何をしているのやら。身体を壊してなければいいのだが」


 セールは、行動こそ芝居っぽくしたものの、ありのままの心情を吐露して見せた。


「どうしましょう。私たちはこのまま、そら恐ろしい荒野の中で、冷たい雨風に晒されながら、野たれ死ぬしかないのだわ。はかない運命。旅人を待つなんと残酷な運命」


 エイクがこれみよがしに地面に倒れ込んだ。


 はかなげなその姿は見る者の庇護欲をかきたてる。


「ああ! すみませんでした! 何と感受性豊かな方々なのでしょう。失礼しました。あれは入国テストだったのです。私たちとて人間を疑いたくはない。だけど、悲しいかな。原罪を背負った人類の中には良からぬことを考える輩もいる。私たちとて断腸の思いなのです。ああ、憎しみ合う人間たちの奏でる嘆きのエチュード」


 突然、スピーカーの音声が切り替わった。どうやら録音ではなく、スピーカーの向こうで喋っているのは生身の人間らしい。


「いいえ。気にしていませんわ。演劇は心を豊かにしてくれますもの」


 エイクは健気さを装いながら起き上がり、軍人の人形に向かって微笑んで見せた。


「俺も気にしていない」


 セールも鷹揚に頷いた。疑った相手の心まで慮るとは、なんと思いやりのある国だろう。


「あなた方は、本当に優しい方々だ。我が国は、情緒の発達したあなた方を歓迎します。入国の手続きをしますから、その人形について来てください。お詫びと言ってはなんですが、キャタピラに印刷された四コママンガをお楽しみください。それを描いたのは、10歳の女の子です。旅人さんたちへのおもてなしの心です」


 二人は、方向転換して城壁に向かう人形について行く。


 エイクは気怠そうに肩を回しながら。


 セールは興味深げに、キャタピラを見つめながら。


                  *


「本当に失礼しました。私もこんな思いやりのない『軍人の詰問』式の入国審査は即刻廃止すべきだと考えているのですが、どうも、上層部は現場を知らないところがありまして――いや、もっとも、上司には上司で私の預かり知らぬ苦悩があるのでしょうが」


 入国管理官は、まだ20代と思しき若者だ。


 表情をくるくる変え、怒ったり心配したり、同情したり、色々忙しそうだ。

「いえ。本当に気にしていませんから。むしろ、愉快な経験でしたよ」


「そうだ。そんなに気に病むことはない」


 エイクのフォローにセールは何度も頷いて、肯定する。


「そう言って頂けると、私の罪悪感も薄れます。実はこれでも昔よりは良くなっているんです。昔は、それこそ、外から来る人の気持ちを傷つける心ない言葉が平気で使われていましたから」


 どうやら、さっき不自然に音声が継ぎはぎされていたのは、元の言葉を言い換えたせいだったらしい。


 セールは正直、無理に変更しすぎて全体の統一性を損なっていると思ったが、口に出すと入国管理官が傷つきそうなので、心の内に留めておいた。


「ご配慮痛みいります」


 エイクがワンピースの裾を摘まんで、優雅に一礼した。


「俺は、あの四コマ漫画が良いと思った。自由で無邪気な色使いに癒される」


 セールは素直な気持ちで賞賛した。


「いやあ、お二人とも本当に感受性豊かな方々だ。我々も一層努力せねばなりません。今、私は新しいプログラムを上司に提案しています。道端に倒れて助けを求める人形に旅人さんがどういう反応を示してくださるかのテストです。これならば、軍人のパターンのように旅人を詰問せずに済みます。――本当は人を疑わずに危険を防げれば一番いいのですが」


 入国管理官ははにかみながら頭を掻いた。


「提案が上手くことを心から祈っております」


 エイクは全身で祈りを表現しながら、目線だけを入国許可証に注いだ。


「ああ、すみません。入国手続きをすすめましょう。先ほども申しあげた通り、旅人さんは我が国に入国する適正がおありです。確認事項は一つだけです。その後ろに背負っていらっしゃるのは武器ですか?」


「はい。残念ながら人の世に憎しみが消えない限り、身にふりかかる火の粉は振り払わねばなりませんから。皆さんにいらぬ不安を与えてしまいますよね。ごめんなさい」


 エイクは睫毛を伏せて、背中の鋏を見遣った。


「いえいえ、持ち込んで頂いて結構ですよ。旅人さんはしっかり、見えない配慮をしてくださっている様ですし。街中で見せびらかさないよう気をつけて頂ければ。職務なので一応、確認せねばならないのです。全く、こういったマニュアル的対応が人の心を荒廃させるのです。反省すべき点です」


 入国管理官は苦虫を噛み潰したような表情でうつむいた。


「いえ、安全が第一ですから」


「ありがとうございます。お待たせしました。コホン――ああ、旅人よ。ロマンとスリル。風にさすらい、汝は何を求める。旅は心、旅は人生、願わくば心優しき旅人の前途に穏やかなる日々の多からんことを!」


 入国管理官は咳払い一つ、吟じる。


「詞の朗読のサービスです」


 そう、自信満々にこちらに微笑みかけてくる。


「どうも、ありがとうございます」


 エイクは感動した面持ちで胸に手をやった。


「はい。次は人形さん……は特に問題のある物はお持ちでないようですね。もしかしたら、皆、不躾な視線を投げかけるかもしれませんが、それは心がある人形さんを珍しがっているだけなのです。悪意はないので、どうぞご容赦を」


「俺は気にしない」


 事実だった。


 セールは『恋人』さえ気に入ってくれる容姿なら、他の誰になんと思われようと構わない。


「素晴らしい寛容の精神です! ……それでは、失礼して――ああ、悲しき人形よ。汝はさすらい、木々の葉影に恋人の面影を見る。人間、人形、種族の壁。汝はその硬き拳で打ち砕くや? 願わくば奇跡の祝福が、汝に降り注がんことを」


 入国管理官は目を細め、同情の眼差しでセールを見つめてきた。


「……どうも」


 セールは、彼に言われて改めて認識する。


 恋人は人間、自分は人形。果たして、自分は彼女を愛するに値するのだろうか。


 彼は確かに自分のことを思いやってくれている。


 そして、彼の発言は、自分の心情を的確に表現している。


 しかし、なぜか胸に違和感が残った。セールにはその違和感を、彼のように吟じる言葉が見つからない。


 セールは、いつまでも降り注ぐ入国管理官の慈愛の視線から、それとなく顔を背けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る