第2話 ハングリースプリンター

 確信をもっていえる事なんだが、一体いつから着ているのか分からないぐらい印象の薄いダルダルになったTシャツとこれまた親がどこかのスポーツ店で大特価セールをしていたからと言って買ってきたと記憶しているどこのブランドか分からないジャージのズボンをはいて夜九時過ぎに学校に向かうべく自転車を立ち漕ぎしているやつなんて俺以外には世界広しと言えどもいないだろう。

 

 なぜ俺はこんなことをしているのか?

 

 理由は単純だ。

 学校に宿題を忘れてきた。


 そんなことか? と思うかもしれない。

 しかし俺は現在一週間宿題を提出していない。

 しかも俺が高校に入学してから一週間が経過している。


 つまり俺は高校に入学してから一度も宿題なるものを提出したことがない。


 頭の中身がコランダムのようにカッチカチの強面担任の話によるとそんな不真面目生徒は同学年に一人もいないとのこと。


 高校に入っていいスタートダッシュを決めるどころか、スタート前に足をつって現在医務室で治療中という感じの高校生活を送っているのが今の俺である。


 そしてなんと愚かなことに明日こそは春休みの宿題を提出すると担任に宣言し、もし忘れたら追加で課題をするという悪魔の契約を交わした俺だったが、さっき真面目にも宿題をしようかという気になったにも関わらずその肝心の宿題をきっちり自分の机に入れっぱなしにするという愚行を演じてしまった。


 そんなわけで先ほどまで学校に通じる人気のない直線道路を深夜のローカル線を走る快速列車のごとく駆け抜けていたわけなんだが、現在俺は緊急停車を余儀なくされている。


 ついさっきその直線道路の道中にある古い、怖い、人気のないで何か出るのではないかとして有名な謎の神社の前を通り過ぎたときに耳を劈くような爆発音とともに愛車に跨る俺を揺れが襲ってバランスを崩しあやうく放り出されそうになったのでな。


 で、その音と振動の発生源が神社にあると思われるため現在この不気味な神社に入って確認するか悩んでいる、というわけである。


 まあ率直に考えればここは美少女がナンパ野郎の声に耳を傾けないかのようにスルーするべきだろうがこんな人気のないところで爆発音とは明らかに怪しい。


 これは絶対見てはいけない、入ってはいけないやつだと俺の錆びついた直感でも分かる。

 こんな時に入ったりするやつがなんかの事件に巻き込まれて色々面倒なことになるということはもうすでに世の中で証明されているからな。


 当たり前だが安全第一、自分の身は自分で守るしかない。


 そんなに気になるならわざわざ夜も深まったこんな時間に一人で行くのではなく明日の朝にでも友達や周りのやつを連れて確認すればいいだろう。


 そうだ、そうしよう。


 

 



 なんてことを考えていた俺であったが結論から言おう。


 無理だった。


 押すなと言われたボタンを押したくなるみたいに恐怖云々よりも好奇心が勝ってしまうのが人間の性ってもんらしく樹液に集まるカブトムシのようにまんまと神社に誘い込まれてしまった。

 あと好奇心云々を抜きにしても何かの人命がかかっている事故だったら無視するわけにもいかないので一応確認してみることにした。


 自転車を神社の前に止めて春休みに買ってもらったばかりの新型スマホのライトを頼りに、漆黒の闇の中をおそるおそる進んでいく。


 うわさだけ聞いてこの神社に来たことはなかったのだが、なるほど。

 これは何か出ると言われてもおかしくないような気味の悪い空気がこれでもかというほどに漂っている。

 風が吹くたびに神社を取り囲む木々がザワザワという不気味な音を立てることで侵入者である俺のことを何者かに知らせているような気がしないでもない。


 階段を上っていくと古びた境内に出たが、境内には何かが爆発したような形跡はなく特に何か変わった様子は見られなかった。

 拝殿の向こうを確認するべくさらに奥に進むと砂煙がもくもくと立っていた。


 何か重いものが落ちて砂が舞ったのだろうか。

 よく目を凝らしてみると、どうやら俺の背丈の三倍近くはありそうな大きな岩のあたりから砂ぼこりが出ていた。


 この状況から推察するにこの何百キロ、下手したら何トンあるかも分からないような岩が何らかの原因で飛ばされて地面に落ちたせいで砂煙が立ち、さっきの音と衝撃を生んだと結論付けることができる。


 しかしそれが分かったところでこの状況には疑問を抱かざるを得ない。


 なぜ岩がぶっ飛んだ?

 隕石……ではもちろんないよな。

 それだと空が明るく照らされて落ちるときに気が付くはずだし俺はおそらくこの世にいない。

 だとしたら雷? 

 こんな雲一つない夜空で雷など落ちるだろうか?

 原因を考えてみても皆目見当もつかない。


 ひとまずこれはどこに連絡すればいいのか? 警察? 市役所?と思い少し動揺しながらもネットで調べようとロックを解除したその時。


「めし……」


 弱弱しい女性と思われる声が聞こえた。

 

 まさか誰か巻き込まれて岩につぶされてるのではないか?


 声のした方にスマホをさっと向ける俺であったが、


「大丈夫ですか――え?」


 その光景をみた瞬間、俺の脳は処理速度を超える計算を要求されたPCのように処理落ちしてしまった。


 なんということか、目の前のほんの数メートル先に白いロングヘアーに白装束の女性がいるではないか。

 うなだれているためか顔は全く見えずそのロングヘアーが垂れ下げっている。


 一旦思考に集中し現在の状況を把握したのち結論を出す。


 これはあれだな。

 幽霊ってやつだな。


 俺は脳がそう結論付けた瞬間、強張っていた体を180度無理やり反転させ、一言も発することなく人生史上最高速度で神社から脱出するべく駆け出していた。


 ヤバいやばいヤバイやばイ!

 これは本当に見てはいけないやつだ!

 火のないところに煙は立たぬというのはよく言ったものだ。

 マジで出やがった!


 幽霊やUFOなんていうものは一応はいるかもしれないと警戒はしていたが、十五年も生きてきてみたことがないということでどうせ出ないだろう、いないだろう、出てくるとしても俺ではない誰かのところだろう、なんて高を括っていたわけではあるが、まさか本当に実在するとは!


 しかしそんなことに感心している余裕なんてものは今の俺には一ミクロも残されてはいない。

 

 とにかくこのとんでもなくマズそうな場所から一秒でも早く逃げ出すべく俺は足を動かし続けた。

 

 が、しかし。


 後ろからタタタタ、と俺に猛烈な速さで近づいてくる音がする。

 まさかと思ったがそのまさか。


 ちらりとと振り返ってみると(本当は振り返りたくなかったが押すなと言われたボタンを押したく以下略)全く無駄のない世界陸上に出場しても疑問には思わないほどのスプリンターのお手本であるかのような完璧なフォームと他の追随を許さぬ圧倒的なスピードでさっきの女が俺を目掛けて突っ込んできた。


「うおあああああ!」


 あまりにも完璧な走り方で迫ってくる全身真っ白女に驚嘆と恐怖をごちゃまぜにした声が腹の底から出てしまう。

 女は俺を完全に捉えると飛びついてきて俺共々地面に倒れこんだ。


 もはやB級スプラッター映画さえ凌駕しているとしか思えない怖さだったな、これは。


 何とか逃げ出そうと芋虫みたいに体を動かしてみたものの女はプロレス技のように俺をがっしりと捕まえているため逃れることができない。


「めし……めし……」


 意味不明な言葉を発し続ける幽霊に捕まり、これから何をされるか分かったものではないため恐怖で全身から嫌な冷や汗が滝のようにドバドバとあふれ出してくる。


「めし……めし……めし~!!!」


 さっきの弱弱しさと打って変わってこちらが気圧されるほどの声量で呪文のような言葉を発する女。


 その瞬間、心の糸がプツリと切れ、俺は無宗教であるにも関わらず神に祈り始めた。


 もう終わりだ。神様、どうか俺を救ってくれ……。

 もしあなた様がこのどうしようもない私めを救ってくださったのなら精一杯頑張るから。

 困ってる人いたら助けるから。

 宿題出すから。

 だからなんとか、なんとか助けてくれ神様ぁぁぁ!!!


 ぐぎゅるるおおおお……


 と俺の一生に一度のお願いに答えるかのように何かの音がした。


 まさかこれが神様の声? 

 神様の声ってなぜか昼飯前の静かな授業中に限って大音量で発せられる腹の音みたいな声なのか?


 ぐんぎゅるるるるる……


 また音がする。

 ていうかなんか音がするたびに体に振動が伝わってくるんだが……。


 すると女が何か言いだした。


「めし……めし……くれや……」


 めしくれや? うらめしやじゃなくて?

 ……飯くれや、飯をくれ……。

 もしかして……。


「腹減ってんの?」


 女は一言。


「うむ……」


 なるほど、幽霊も腹は減るんだな……。

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