第一章:開店
第5話:開店
そんなこんなで、気が付けば開店。すでに一週間ほど営業している。
前々から注目度は高かったらしい。綺麗なガラスの向こうに見える、お洒落な店内。
トリストは回転が近づいてくるにつれてだんだん真剣にメニューを考案し始めて、本気になったトリストが中途半端なことをするわけがない。メニュー内容も当然好評だ。
普通に喫茶店として成功している。
故に、僕も少し忙しい。
こんなに人が多くなると、単純に忙しいとか以前に、他にも気になることがある。
僕とトリストがこの国に移り住むことになった理由。僕とトリストの立場。
こんな風に、多くの人眼について大丈夫なのか。
夜。寝室に置かれた小さな机で帳簿をつけているトリストに、そんなことを尋ねた。込めた魔力量に応じて光るランプが、トリストの横顔を照らしている。
それぞれの部屋を持ってはいるが、お互いに研究好きで生活リズムが破綻している。喫茶店を経営するにあたってお互いの生活を監視する目的も兼ねて寝室を共にするようになった。
燭台は飾りとしてしか存在していない。その癖に高価なものを用意してきたトリストには正直なところ呆れている。ベッドも随分といい物を手に入れたみたいで、何と言うべきか、幸福度が段違いだ。
トリストはしばらく集中して作業を続けていたが、キリが付いたのかこちらを向いて、先ほどの質問に答えた。
「それなら問題はないよ」
「なんで?」
「誰も私たちの容姿を正確に認識できていないからだよ。この空間は、そういう空間に変わっているんだ」
「え?」
言われて、自分なりの魔術の知識で探ってみる。
これでも元の国では最高と呼ばれる魔術学校を出て、その中でも戦略級に成れると言われていたのだから。
だが、
「全く分からん」
「そりゃあ、君の知っている魔術とは根本の理論からして違うのだから。分かるはずがないよ。君が魔術の知識だけでこれを理解出来るより、急に犬が言葉を話し出す方がまだあり得る」
「んぅぎぎ……」
「なにそのうなり声」
自分では自分がそこそこ出来る自信があっただけに、悔しいのだ。
今更トリストに対してこんな感情が起こるとは、僕自身でも驚きがある。
彼女にかなわないのは、嫌というほどわかっているのに。
「とはいえ、理解できなくてもじっくりと探れば違和感に気が付けるかも」
「違和感か……無敵のトリストに、そんな隙があるのか?」
「完璧な魔術ではないから。そもそも、無敵じゃないよ。私だってすべての魔術師に絶対勝てるわけではない。例えば攻撃速度が異様に早い奴とか、対策とか無関係に絨毯爆撃してくる奴とか」
「絨毯?」
「ああ、何でもないよ」
トリストは少し悩んでから、虚空から本を取り出した。
「これ、この本を読めば私の使っている魔術が理解できるはずだよ。簡単な内容ではないけれど……まあ、ミフルなら大丈夫でしょう」
無から何かを生み出すのはたまに見かけるが、今回のは錬金術ではない。トリストの錬金術では複雑なものを生み出すのが難しい。内容の書かれた本なんて作り出せない筈だ。
トリストのこの魔術を見るのは久しぶりだ。便利ではあるけれど、頻繁に使える魔術ではないとのこと。
僕がなんとなくトリストを眺めていると、どうやら僕が心配していると思ったらしい。大丈夫だよと小さく囁くように言って。
「時空間を扱う魔術は特別だからね。時と空間の謎を解き明かすのは、定められた人以外には許されない。本来この時間──いや、まあ、とにかく……乱用は出来ないけれど、偶に使うくらいなら特定されないし大丈夫」
「特定……? いや、多用するわけにはいかないとは聞いてはいたけれど、その理由までは聞いてないんだが」
「まあ、一応……勤勉の聖女とか、あの辺りが殺しに来るかもってだけ」
「……勤勉の聖女……?」
二千年ほど前の──いや、数百年前にも活動していた記録が残っていたらしいが──人物。
神がまだ人類を見捨てる前の、直接神から力を分け与えられた超常の存在。
「勤勉の聖女って、まだ生きてんの?」
「生きてる。もうしばらくはね」
「……」
トリストは、未来のことをふいに語ることがある。先ほど言いかけた、時空間の魔術についてもそうだ。
時と空間を操る魔術を扱えるのだから当然ともいえるのだが、なんだか違和感はある。
「まあ、ともかくこの本を読めばその僕たちの容姿を認識できなくさせている魔術を理解できるってことで良い?」
「良いよ」
死ぬまでの間でトリストの錬金術を理解させてもらうのは約束している。万が一僕が途中で果てることがあったとしても、その直前に強制的にすべての知識を流し込まれることになっている。
逆に、もしも僕より先にトリストが死ぬようなことがあれば、その直前にトリストの知る大量の錬金術の知識が流し込まれる契約だ。
トリスト曰く、恐らく瞬間的にすべてを理解することはできるが、その直後に脳が破壊されるとのこと。理解した後なら構わないし、その場合はトリストが死を避けられなかった時のことなのだから。いっそのこと脳が破壊されてそのまま死に絶えた方が救いだろう。
「明日も早いんだから、早く寝なさい?」
考え事をしながら本を読んでいた。そのせいですぐ横にトリストが来ても気が付かなかった。
トリストはもう眠る気満々らしくて、仕方が無いので僕もそれに従って本を閉じる。
☆
翌日は朝早くから仕込み。これはトリストと二人でやるのでそこまで大変ではない。いや、大変ではあるのだけれど。
以前作っていたとんでもないようなレシピは封印されて、提供するものは普通のものばかり。
とはいえ結局喫茶店と言うのは雰囲気が重要で、食べ物の味はまずくなければ大丈夫だとトリストが言っていた。
いささか乱暴な言説だとも思うが、事実としてトリストの喫茶店は上手く経営できているのでその通りなのかもしれない。
「とはいえ、ね」
「どうかした?」
「すこし気になることがあったから。そう、大したことではないのだけれど」
トリストが気にする時点で、余程の出来事だとは思うのだけれど。
僕がそう尋ねるも、くすりと笑って、
「少し、ここまで人が来るのは予想外だったと言うだけ」
今日朝起きてから、少しだけトリストに貰った本を読んだ。既存の魔術の理論の外にあったが、全く理解できなかったわけではない。
僕とトリストを認識できなくさせる魔術は、その魔術が掛けられた空間に人が多ければ多いほどに効力が下がる。
繁盛し過ぎてもいけないと言うのは困ったものだ。
錬金術師の喫茶店 本居鶺鴒 @motoorisekirei
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