#4

「ごめん、お取り込み中に……」


 私に指摘されてバツが悪いのか、それとも相変わらずな内輪揉めに苦笑いしているのかは分からないが、少なくともこの場面に遭遇したくなかったであろう婚約者、いや、新郎は眉を下げながら控え室に足を踏み入れる。


「おおっ!いやはや、流石は和樹君、白いスーツがよく似合う……どうもうちの娘は世間知らずで本当に手が焼けるよ。気を遣わせて悪かったねぇ」


 満足げに笑った父は自慢の髭を撫でながら豪快に笑い、新郎の肩に「頼んだよ」と圧の強い手を掛けて、視線を逃すことなく睨みつける私を冷たく見据えてから控え室を後にした。


「ははは……お義父おとうさん、相変わらずの調子だね」


 爽やかに笑う彼は相変わらず感じの良い笑顔で私に向き直ると、子供をあやすように眉を下げる。


「……えぇ」


 力の入っていた肩を落とし目を伏せた私は、和樹さんとの会話を切るようにわざと声を落とす。そんなことを知ってか知らずか、彼は朗らかに笑って私の頭に手を託す。


「俺、冗談抜きで今日が迎えられて本当に幸せなんだ」


 和樹さんが口にしたのは、それはそれは能天気な言葉だった。


「何それ、私に対する嫌味?」

「違う……正直な感想だってば」


 神経を尖らせて荒んだ私には到底できないであろう純粋な表情の彼は、真っ直ぐに私の目を覗き込む。


「初めて会った時のこと、覚えてる?……俺が高校生だった時、婚約者と挨拶しろって親に言われて会った日のこと」

「……さぁ」

「さぁ、って……当時の俺は家のしきたりとかに縛られるの面倒だとか、親の敷いたレールを歩きたく無いとかで、かなり約束をすっぽかしてさ」

「私が三時間も待ちぼうけをくらったやつでしょ」

「なんだ、覚えてるじゃん!……そうそう、あれは本当に酷かったと自分でも思う」


 照れ臭そうに笑う和樹さんは、頭を掻きながら懐かしそうに「初恋なんだよ、それでも」と呟くと、椅子に座った私と目線を合わせるようにしゃがみ込む。


「まだ中学生だったのにやけにしっかりしてて、地味な見た目からは想像もできないぐらい大人びてた」

「地味は余計よ」

「余計じゃないよ、褒めてるんだって……目立たない路傍の石かと思ったのに、拾い上げてみれば驚くほど表情を変える」

「……『ラブラドライトみたいに』って?」


 皮肉に笑った私は、胸の奥が締め付けられるように酷く痛んだ。結局のところ、あの時貴方に抱いた途轍もなく失礼な印象と、ここで綺麗に着飾っては不貞腐れる子供じみた私はなんら変わらない。目立たなくって、地味で、ありふれたヘタレ……それも道端の石みたいとくればお互い様──だからきっと、あんなにも惹かれあったのは運命さだめなんでしょう?


 今だに頭の中で踏ん切りがつかない私がつらつらと御託を並べながら和樹さんの顔に注視すると、彼はさっきまでの優しい言葉を区切って少しだけ真剣な面持ちになった。


「……あの時、『人をこんなにも待たせるなんて、婚約者としてよりも人としてどうかと思う』っていう君の言葉が、今でも耳に残ってるんだよね」

「それは……」


 しっぺ返し、か──まとまらない思考をどれだけ掻き集めても、それ以外の上手い言葉は見当たらなかった。あの時和樹さんに放った言の葉は、婚約をしておきながら待ちぼうけを五年も食らわせた私にグサリと見事ブーメランする。

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