第7話 正夢

 恐怖に駆られた人々が、右往左往し泣き喚く街路を、真っ直ぐに彼女の家に向かって突っ切った。彼女はいつも通りに一人暮らしの安アパートの二階角部屋にいて、「あ、おはよ、大変なことになってるねえ」なんていつも通りにのんびり言うものだから、私はこれが夢なのか現実なのかよくわからなくなってしまった。


 彼女は私を部屋に入れると、こんな時だと言うのに丁寧に施錠して内側からチェーンロックまでかけ、「女の子の一人暮らしって危ないんだ」などと言いながらなぜか二つあるカップにコーヒーの粉を注ぐ。


「なんだか、意外なほどに落ち着いてるんだね」

「それはそっちも同じでしょ。隕石が落ちるって時にわざわざ私の家に訪ねてきてさあ」


 窓から覗く空に、流星群がキラキラと瞬く。


「いや、気づいたことがあってさ」

「何?」

「私、小さい頃から親の本棚漁って面白そうな本を発掘してはそればっかり読んでる子でさ」

「あはは。今と変わりないや」

「そうなの。その頃お気に入りだった小説の、主人公の女の子がね、ちょうどあなたみたいになんでも明るく笑い飛ばしてのほほんと乗り越えていくような子なの」

「へえ。その小説、興味あるな」

「それでね」


 マグカップを持つ手がカタカタと震える。


「うちのクラスの人数って、割と少ないじゃん?」

「少子化の煽りを受けてるんだっけ」

「そう、男女含めて十八人。で、あなたの出席番号って、確か」

「十九番だね」


 彼女がにっこりと微笑む。


「あれから、どんなに考えてもあの時以前にあなたと会話した記憶が思い出せないの。よくよく考えたらね、あなたから消しゴムを借りるあの時まで、私の隣の席は、空席だった。あなたは…」

「あーあ、バレちゃったかあ!」


 いきなり大声を出して空を仰ぐので、私は思わず身をすくめる。

 しかし、彼女は打って変わって優しい声で言った。


「そう、私はあなたの夢が作り出した、ただの幻。あなたの夢はね、未来を予見する予知夢じゃなくて、"正夢"。あなたの夢が現実を侵食して事実になるの」

「…」

「大丈夫。全て無かったことにする方法が一つだけある」


 彼女が虚空にくるりと指で円を描くと、今まで手にしていたマグカップが一振りの短剣に変わる。恐る恐るその柄を握った私の手に、彼女は柔らかく手を添えた。


「ね。わかるでしょ。あなたの手で終わらせて」

「…それしかないの?」

「それしかない。私が世界に何もしなかったところで、このままじゃ隕石が落ちて世界は、少なくとも日本は壊滅する」

「…いやだよ」

「決断するしかないの」

「いやだ」

「家族を、友達を守りたいでしょ?」

「友達なんてあなた以外にいない」

「これから作ればいい」

「あなた以上に大切な人なんていない」

「これから作ればいい」

「これから先も、あなた以上に大切な人なんて」

「あー! もう」


 気がつくと彼女も私も、床にぺたんと腰を下ろしてわんわん泣いていた。

 外は、日が高く高く登って、ジリジリと茹だるような夏の日差しがアスファルトに、部屋の窓に、照りつける。何にも知らないようにヒグラシが鳴き出した。「今年の夏も終わるね」なんて彼女が言って、私たちはまた声を出さずに泣いた。


 限界だった。今にも空から隕石の破片が降ってこようとしているのが、分かった。


 私と一緒に地獄に落ちてくれる? そう彼女に聞いてはみたが、あなたがいく地獄に、私はいけないから、なんて言われて、もうどうしようもなかった。

 泣き疲れた頃、ただただ惰性で起き上がって、床に転がっていた短剣を手に取り、彼女の心臓に当てた。


「バイバイ。楽しかった」


 その言葉を合図に、短剣を振り下ろした。

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