概要
フィクションはなぜ人を感動させ、なぜ人を支配できるのか。
小説は現実を写し取るものではない。現実を切り分け、省略し、言葉へ置き換えることで初めて成立する「必要なウソ」である。そして人間は、そのウソをウソと理解しながらも、自らの経験として受け入れ、感動し、怒り、ときに人生観さえ変えてしまう。本稿は、物語が持つ感情の感染力を言語論と文学論の双方から読み解き、プラトンからポストモダンまでの思想をたどりつつ、現代小説が直面する「正しさ」の問題を考察する。
大きな物語を失った時代に、作家は何を信じて物語を書けばよいのか。読者を魅了するフィクションは、なぜ同時に人を導き、惑わせ、支配する力を持つのか。そして娯楽としての小説が生き残る一方で、物語を書く主体は何を失ったのか。小説を読む人、書く人、そのどちらにも向けて、「フィクションとは何か」という問いを改めて開き直すための文学論である。
大きな物語を失った時代に、作家は何を信じて物語を書けばよいのか。読者を魅了するフィクションは、なぜ同時に人を導き、惑わせ、支配する力を持つのか。そして娯楽としての小説が生き残る一方で、物語を書く主体は何を失ったのか。小説を読む人、書く人、そのどちらにも向けて、「フィクションとは何か」という問いを改めて開き直すための文学論である。
おすすめレビュー
新着おすすめレビュー
- ★★★ Excellent!!!物語の普遍性と時代の判断基準
久々にまっとうすぎる文学論を読んだ気がする。
西洋と日本の文学の違いは、日本の文学は恋愛について書かれた物語がはじまりと考えることができる。
源氏物語。
時代によって、人の恋愛の考えかたは変わる。
小説はリアルな現実の模倣と考える人もいるかもしれない。
しかし、現実と真実は微妙にズレている。
真実は人が心や想像力で現実とらえ直したものであり、単純な模倣ではない。
最初の読者とは作者自身である、というロラン・バルドの至言がある。
人は読んだことがあることしか書けないといえるが、書くために必要なことは実際の体験ではなく、読むように書くこと、あるいは、書くように読むことだといえるだろう。
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