episode.10 新しい魔法とモンスター

 魔導書を手にした愛梨は、壁と向き合ったまま動かない。


 「私がやる」と言ったが、壁を壊すにはどうすればいいのか。何も思い浮かばない愛梨にできることは、壁とにらめっこをすることだけ。


 思い浮かばなくて当然だ。愛梨は壁を破壊した経験なんてない。一般人が壁を破壊することなんて、趣味がDIY、それも古民家をDIYといった大規模なことをやる人くらいだろう。

 愛梨が何かを破壊した経験なんて、ぼろぼろになったカラーボックスを捨てるために壊したことくらいだ。


 コンコンと壁を叩く。高く乾いた音。見た目と触った感じでは、コンクリートに近いが、この世界にコンクリートという物質があるのか。

 似ているだけで、現実世界には存在しない物質という可能性もある。


 何か分からないものを破壊する方法なんて、想像するのも難しい。

 ダイナマイトでも使って破壊するか?いや、ダイナマイトで破壊できるものなのか?

 思いつくのは、どれも神殿ごと破壊するかもしれない危険なもの。

 めんどくさがりの愛梨とはいえ、さすがに危険なことをする気はなく、言った責任から、とにかく頭を動かす。


(チートな魔法使いは……思ったことを魔法に……思った、こと……)


「愛梨ちゃん、何か思いついた?」


 壁と向き合ったまま、ぴくりとも動かない愛梨。心配になったあずきは、足元で不安そうな声で話しかけるが、愛梨は返事をしない。

 あずきの不安を感じ取ったのか、ワシとリスも落ち着かない様子だ。


(一部だけ切れて……切れ味よくて……シュッシュッと軽快に……)


「風……とか……?」


 一瞬だった。髪がひゅっと風に遊ばれたかと思うと、白い壁はガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

 その奥から、地下へと続く階段が現れる。


 あまりにも一瞬のことに、愛梨自身も驚いていたが、無事にミッションクリアしたことに安堵したのか、愛梨はほっと胸を撫でおろし、両手に持った魔導書を見る。


『かまいたち。鋭く洗練された風。全てを断ち切る』


 「新しい魔法……」


 魔導書を持つ手に力が込められる。


「すごいわ愛梨ちゃん!!さすがね!!」

「!?」


 愛梨に向かって大きくジャンプしたあずきを抱きとめようと、愛梨は魔導書を投げ捨てる。

 抱きとめられたあずきは興奮しているのか、しっぽをぶんぶんと振る。


「すごいわ!!新しい魔法ね!!壁を壊すからもっとすごいと思っていたのに、あんな一瞬で綺麗で……!!やっぱり愛梨ちゃんってすごいわ!!」


 興奮して「すごいわ」しか言わない、語彙力を失ったあずきの言葉に、愛梨の口角は自然と上がり、興奮したあずきを落ち着かせるように頭を撫でる。


「驚いたわ……。壁が壊れちゃった……」

「す、すごいね。愛梨さんって、た、只者じゃない、とか?」


 ワシとリスは呆然としながら、壊れた壁と愛梨を交互に見る。


「…………愛梨さん笑ってる。あんなに優しく」

「う、うん。とっつきにくく、ないの……かも?」


 愛梨は目を細め、優しい表情であずきを見つめ、何度も頭を撫でる。

 あずきは嬉しそうに、喉をごろごろと鳴らす。


「ついて来て正解だったな」


 少し離れた場所で、シドウは満足そうに二人を見守っていた――。




 地下へと続く階段を下りる。凶悪なモンスターが出るという噂だったが、今のところ遭遇していない。

 かといって気を緩めることはできない。いつ、何が出てくるか分からないため、慎重に、そして静かにゆっくりと進む。


 階段を下りた先に見えるのは、地下とは思えないくらい明るく、そして痛くなるくらい、首をしっかりと動かさないと、その全貌を見ることが出来ないほど巨大な洞窟だ。

 洞窟は人の手で掘られたというより、何か巨大な物が無理矢理穴を開けたような感じで、壁も天井も不自然な削られ方をしている。

 


 こんな場所ならモンスターが現れてもおかしくはないと、愛梨たちは緊張感をもち歩き続ける。

 土の上を歩くザリザリという音と、ワシが羽ばたく音だけが穴の中に響く――。






「止まってください」


 そんな時間がかかることもなく、異変は起きた。

 ワシが静かな声で静止をかける。音を立てないように地に下り、背中にリスが乗る。

 足を止めたあずきは毛を逆立てている。

 

 動物たちは何かに気付いたのか、緊張感を強め、明るさが届いていない洞窟の奥、何も見えない暗闇を凝視している。


 あずきたちが凝視している方向を愛梨たちも見るが、何もない。


「……どうし――」

「静かに」


 愛梨の言葉をあずきはぴしゃりと止める。いつもと違う様子のあずきに、愛梨は戸惑いを隠せない。

 あずきたちは息を殺す。自然と愛梨とシドウも息を殺している。



 しん、と静まり返る洞窟内――。



 「?」


 天井から小さな石が、パラパラと落ちてきた。

 足の裏からわずかな振動を感じる。

 揺れている。さっきまで静かだった洞窟内が揺れ始めた。


「地震……?」


 しかし、地震にしては揺れが規則的だ。

 おかしな揺れに動揺することもなく、あずきたちは一点を凝視したまま、動くことも慌てることもない。


 ドド…………ドド…………


 規則的な揺れは続き、奥から低い音が聞こえてくる。


 ドド……ドド……


 その音はこちらに近づいてきているのか、だんだん音が大きく聞こえる。



「逃げてっ!!」



 あずきの叫びにリスを乗せたワシはさっと飛び立ち、来た道を颯爽と戻っていく。その後を追いかけるように、あずきも走り出す。

 訳が分からない愛梨は、とりあえず走って三匹を追いかけ、その後を平然とした様子でシドウが走る。


「な、何……?」

「後ろよ!!」


 言われて愛梨は後ろを振り向く。

 遠くに見える巨大な影。その影はだんだんと大きくなり、その姿を愛梨たちに見せた。


 鋭い牙を生やし、天井、壁にぎりぎり体がつかないくらい巨大な猪が走ってくる。

 恐らくこの穴を掘ったのは、あの巨大な猪だろう。

 巨大な体に似つかない短い足で、愛梨たちに向かって走ってくる。


「な、なにあれ……」


 何事にも無関心の愛梨も、さすがに驚きを隠せない。


「分かりませ――」

「ジャ、ジャイアント、オ、オーク!!」

「なにそれ!?あたしそんなの聞いたことないわよ!!」

「巨大な猪のモンスターです。気配に敏感で縄張り意識が強く、敵と認識した者は自分の気が済むまで追いかけ回す習性があります。体が大きいので、攻撃手段は体当たりか踏み潰すくらいしかありません」

「ち、知能は、低いけど、こ、攻撃の威力、は……大きい!!」


(……さっき分からないって言いかけてなかった?)


「あんなのに潰されたら即死は免れません!!」

「!!」


 ワシの言葉に、愛梨の走るスピードが遅くなる。

 それに気付いたあずきは、走るスピードを緩めて愛梨と並ぶ。


「愛梨ちゃん!!馬鹿なこと考えないで!!あんなのに踏まれたら惨い死体になるだけよ!!あたしそんなの見たくない!!絶対嫌よ!!」

「……」


 ジャイアントオークが近づいて来る。

 死を願う愛梨にとって、今が死に時なのだろうが……。


(本当にいいの?)

「本当にいいのか?」


 あずきとは反対側からシドウが小さく話す。


「待ち人だから死を願うのは自然なことだ。しかしここで死んだら他の者はどうする?今、この状況を打破できるのは君だけだ。仲間を置いて、一人で死ぬのか?」

「仲間……」


 仲間という言葉が、愛梨の記憶の断片を掘り起こす――。






『昨日ね、みんなでお祭り行ってきたんだ!!楽しかったよ!!』


 知ってるよ。お祭りの計画の話しをしている時、その中に私もいたから。


『お帰り。早く食べよう』

 

 そうだね。みんなで丸い円をつくって食べてね。私は円の外で食べるから。


『あ、ごめん!!いたの忘れてたわ』


 いたよ。ずっと。隣に。


 いつもみんなで帰っていたね。私は後ろを歩くだけ。

 いつもみんなで一緒にいたね。私の存在はなかったけど。


 みんな仲間だよ。みんな友達だよ。そこに私はいないけど。






「愛梨ちゃん!!」

 

 あずきの言葉に、愛梨の意識は現実に戻る。

 

 目の前にはリスを背中に乗せて逃げるワシ、隣では心配そうに愛梨を見るあずき。

 反対側では、なぜか驚き動揺しているシドウが走っている。


(仲間……。私を、私の……存在を……)


 愛梨はぎゅっと拳を握る。少しずつ走るスピードが上がっていく。


「行って。なんとかするから……」


 あずきは目を見開き、力強く頷くと、思いっきり走ってワシとリスを追いかける。


「あなたも……」


 愛梨に促されてシドウも先を急ぐ。

 いつもと違う様子のシドウに気付いていないのか、様子がおかしいシドウには目もくれず、先を走るあずき達の後ろで、愛梨は両手を合わせる。


 

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