第2話 あんたはここで粉を挽きつづけるのよ。死ぬまでね!

 転生する前の女神とのやり取りを、久しぶりに思い出した。

 もしかして俺は、立ったまま気絶、白昼夢を見ていたのかもしれない。


「……くそっ」


 口の中で毒づく。

 思い返すだけで、ムカムカとはらわたが煮えくり返るようだ。


 余計な体力を使うわけにはいかないが、怒りの感情はこの過酷な環境で俺を生かす、貴重な原動力だ。


 きしむ手足に鞭打ち、俺は丸太のような棒を全身の力を使って押す。

 小屋の大部分を占める、大きな石臼の心棒だ。

 ごりごり、と低い音が狭い小屋の中に響く。


 石臼の下であの生意気な女神をすりつぶす様子を妄想して、なんとか気力を奮い立たせる。

 そうするくらいしか、俺にできることはなかった。


 ムカつきついでに、この世界での俺の持ち主との出会いも思い出す。

 フラウアという、見た目十六歳くらいの女だ。


 🥖🥖🥖


 気づくと俺は、この狭い小屋の中にいた。

 そして、小屋の入り口にそいつが立っていたのだ。


「あんたが、パパが買った奴隷ね?」


 開口一番、女は俺にそう聞いてきた。


 歳は十六歳前後といったところか。

 燃えるような赤い髪に、白い肌。


 細い眉や、引き結ばれた赤い唇が勝ち気そうな印象を与える。

 美少女といって間違いない顔立ちだが、それがかえって傲慢さを透かして見せるようだった。


 いかにも貴族のお嬢様という感じのひらひらとフリルのついたドレスを身にまとっていたが、胸元は大きく開いている。

 そして、その開いた襟からこぼれ落ちそうな胸が、イヤでも目についた。


 まさか、奴隷に見せつけるためにそんな格好をしているわけではなく、ふだんからこういうファッションなんだろう。


 話しぶりからすると、俺を購入したのはそいつの父親のようだが、何も覚えていない。

 俺がほうけていると、女は不機嫌そうに眉を寄せる。


「あんたの飼い主が聞いてるのよ。返事くらいしなさいよ、ど・れ・いくん」

「……奴隷じゃない。ブレッドだ」


 気づくと、俺はそう答えていた。

 自分で名乗ってはじめて分かったが、ブレッドというのが俺の名前らしい。


 どうやら、転生前の人格の意識が、かすかに残っているみたいだった。

 声も、生前の俺のものとはまったく違う。


「へえ。あんた、自分の立場が分かっていないみたいね」


 女の唇が笑みの形に歪んだ。

 嗜虐的しぎゃくてきな笑いかただった。


「あたしの名前はフラウア、あんたのご主人様よ。これからた~っぷり、あなたの体に自分が奴隷だってこと、分からせてあげるわ。よく覚えておきなさい」


 その言葉に、調教プレイでも始まるのか、と身構えたがフラウアという女はそれ以上近づいてこようとはしなかった。


「バーリィ。やりなさい」


 代わりに、誰かにそう命じる。

 ぬっと大柄な人影が視界に現れ、小屋に入ってきた。


 身長は2メートルくらい、筋肉ムキムキの巨漢で、見事な禿げ頭だった。

 この小屋では、かがまないと頭をぶつけるくらいデカい。

 上半身は裸で、粗末なズボンだけ身につけていた。


「ひっ」


 俺は喉の奥で悲鳴を上げた。


 ――あなたの体に分からせてあげる。


 フラウアが言っていた言葉が頭によぎる。

 まさか、この男が……!?


 男は俺の肩をがしっとつかむ。

 万力のような強さで指が肉に食い込んだ。


「やめろっ! 放せ!!」

「ジットシテロ」


 暴れようとする俺に、バーリィとかいう男が妙にカタコトなイントネーションでささやく。

 抵抗する俺の体も、転生前のものとはまるで違っていた。


 デブニートだった生前とは違う、中肉中背の、おそらくは若い男の体だ。

 けど、どちらにせよこの男の手にかかっては、赤子同然の扱いだった。


 苦もなく俺の体を抑えこみ、バーリィは俺の手足に鉄のかせをはめた。

 じゃらり、と鉄の鎖が不吉な音を立て、俺は拘束された。


 さいわいにも、バーリィはそれ以上何もしてこなかった。

 俺が鉄鎖てっさにつながれたのを確認すると、無言でフラウアのかたわらへと戻っていった。

 フラウアはあざけるように笑って言う。


「よく似合ってるわよ。奴隷くん。今度首輪も作ってあげようかしら?」

「ふざけんなっ!」

「ふざけてなんかいないわ。いい? あんたはここで粉を挽きつづけるのよ。死ぬまでね」

「粉を挽く、だと?」


 何がなんだか分からないで呆然としている俺に、そう言い放つ。

 そして、くるりときびすを返し始めた。


「待てっ。俺は……。ぐッ!」


 相手に駆け寄ろうとした俺は、手足に痛みが走るのを感じた。

 思った以上に鎖は短かった。

 壁につながった鎖はぴんと張り、俺の手足が引っ張られる。


「近寄らないでよ」


 汚物でも見るような目で、フラウアは吐き捨てた。

 そのまま唾でも吐きかけてきそうな顔だ。


 彼女は小屋の入り口に立っていたが、決して中に入ってこようとはしなかった。

 奴隷小屋に、そしてたぶん俺にも、生理的嫌悪を抱いている感じだった。


 それでも、こうしてわざわざやってきたのは、加虐心を満たすためだったのだろう。

 その推理を裏づけるように、それからもフラウアはときおり用もなくやってきては「ほら、とっとと挽きなさいよ。ノロマ」だの「あら。まだ生きてたの? だったらもっとキリキリ働いて、ちょっとは役に立ちなさいよ。グズ」だの、罵倒の言葉を投げかけ去っていく、ということを繰り返していた。


「じゃあね。死にたくなければ必死で粉を挽くことね」


 それだけ言い捨て、今度こそフラウアは去っていった。

 バーリィが鉄格子状のドアを閉め、ガシャンと耳障りな音が響いた。

 

 俺は絶望的な気分で、小屋を振りかえった。

 小屋の真ん中には、巨木の切り株のような、大きな石臼がでん、と鎮座していた。


「……これで粉を挽け、というのか?」


 俺のそのつぶやきが正解だったことを、すぐに俺は知ることとなる。


 そして、俺の、毎日石臼を回し、粉を挽き続けるだけの日々が始まった。


 ――――


 Tips:

(挽いて粉状にした)小麦は英語でflour

 大麦は英語でbarley

 パンはごぞんじbreadですね

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