30.上司Iさんの、辛辣なようで優しい言葉
①「うちの会社に優秀な人材なんて入ってくるわけねえだろ!」
私が今の会社に入社して間もない頃の話である。
いきなり大舞台での通訳を担当することになり、結果はボロボロ。
専門用語が分からず、焦って普通の単語まで誤訳する始末。
会合が終わって落ち込む私にIさんが放った言葉がタイトルのものである。
そしてその後に
「だから誰もお前にそんな期待していないし、いる人間でなんとかするしかないんだよ」
と言葉を繋いだ。
私は『なるほど、私の役目は素晴らしい通訳をすることではなくて、場をなんとかすることなんだな』と理解し、大変気が楽になった。
②「お前本当に仕事してんのか?」
入社してしばらく経った頃のことである。
弊社は粗利が下がってきており、会長がとにかく「節約!経費削減!」と叫んでいた。
私はそれを真に受けて、徹底的に経費を削減した。
中国出張では移動をほとんど夜行列車にして宿泊費を浮かし、仕方なくホテルに泊まる時も外国人が宿泊できるギリギリの線を攻め、時には招待所(最低ランクの宿泊施設)に泊まったりドミトリールームに泊まったりもした。
その結果、私の使う経費は部でぶっちぎりの少なさになったのだが、その数字を見たIさんが放った言葉がタイトルのものである。
私は当然不服だったので、私が如何にして経費を削ったか意気揚々とIさんに語った。
するとIさんは褒めてくれるどころか顔を真赤にしてこう言った。
「ふざけんじゃねえ!お前がそんなことしたら俺らまでやらなきゃいけなくなるじゃんかよ!」
その時30代前半だった私はその言葉に納得できず、内心『あんたもやればいいじゃねえか』と思った。
しかし、40代になった今なら分かる。Iさん、貴方が正しかった!
あんなアホみたいな出張してたら体がもたんわ。
③「馬鹿野郎!なんのためにお前を駐在させていると思っているんだ!」
私が北京事務所に駐在することになってしばらく経った後、Iさんが出張でやってきた。
ひとしきりもてなして、夕食をとった後、Iさんは
「じゃあお姉ちゃんいる店行こうか」
と言った。
私はIさんの行きつけの店でもあるのかなと思って
「どこですか?あんまり行きたくないんですが」
と言うと、
「いや、お前が普段使っている店に行くんだよ」
との返答。
私はKTV(日本のキャバクラみたいなところ)には興味がないので
「行ったことないので分かりません」
と答えた。
そこでIさんが放った言葉がタイトルのものである。
私はムッとして
「ちゃんと昼間仕事してますから。それに北京は風紀の取り締まりが厳しいんです」
と抗弁したが、Iさんはすかさず
「昼間の仕事なんて出張ベースで出来るんだよ!それに取り締まりが厳しい街だからこそ安全に遊べる合法な店を探しておくんじゃねえか。それは住んでないとできないだろ」
と力説。
更に
「要はいかにお客さんを満足させるかなんだよ。北京にお客さんをお連れして、飯食ってはいさようならで済むかよ。店が少ないなら尚更日本語が通じるお店を探しておけ。お前のためじゃなくてお客さんのためだぞ」
とまくし立てた。
なるほど、確かにお客によっては昼間の仕事だけでは満足できない人もいる。
そういう人には夜も満足してもらわないと契約に響く。
Iさんの理屈は分かったので私は対策を取った。
すなわち、飯のくっそ旨い店を探し出し、お客がついつい腹いっぱいになるまで食べてしまうようにしたのだ。
その結果、お客は毎回たらふくごちそうを食べてくれるようになり、
「いや~、お腹苦しいです。もうホテル帰ります」
と言ってくれるようになった。
Iさんはその様子を見て、毎回苦々しげに私を睨んだが、お客は満足しているのでさすがに文句は言わなかった。
私はそれを見て溜飲が下がる思いだったが、しかしお客の満足のために現地に滞在しているという認識の大切さは学ばせてもらった。
おかげで既存のお客は失わずに済んだので今は感謝している。
④「はい却下!」
私は会長と折り合いが悪く、しょっちゅうくだらない事で衝突をした。
ある日私は出張先の青島で会長と喧嘩になり、タクシーの中で激論を交わしていた。
最終的に会長が堪えきれなくなり
「もういい!お前はクビだ!」
と言ったので、私も売り言葉に買い言葉でそれを了承し、赤信号でタクシーが停まった時に車を降りた。
すると会長が
「おい、お前どこ行くんだよ。お前がいないとこの後の日程が困るだろうが」
と私を引き止めた。
仕方なく私はその後の日程も付き合ったのだが、クビという話はまるでなかったかのように会長は振る舞い、そのまま帰国した。
数日経ってもうあの話は忘れたのかなと思った頃、突然会長が
「お前は出張中私に逆らって業務を妨害したので始末書を書け」
と言ってきた。
私は
「その後の業務に支障はなかったはずですが、始末書を書かなければならないようなどんな損害を私は会社に与えたのですか?」
と抗弁すると、会長は
「この会社は私が株主だ!私に逆らうことは会社の損害なんだよ!」
と強弁する。
確かにこの会長は筆頭株主のオーナー社長だし、株式会社は畢竟株主を満足させるためにあるとすれば、オーナーの心象を害する行為は会社を害する行為と同義かもしれない。
私は仕方なく退職することも念頭に、とりあえず筋に従って始末書ぐらい書いてやるよとネットで拾った始末書のフォーマットをちょっといじって会長に提出した。
すると会長は
「そうだ。これで良いんだ。お前も反省したようだな」
とご満悦。
「内容はこれでいいから上長のIにこれを提出しておけ」
と言って始末書を返してきた。
その後、始末書を受け取ったIさんが言った言葉がタイトルのものである。
Iさんは最後まで読みもせず
「くだらねえ」
と一言言うと、始末書をビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。
こうして私の始末書は不受理となり、存在を抹消された。
退職願もポケットに入れていた私はそれを見て胸がスッとしてしまい、退職願は出さずにそのまま席に戻ったのである。
⑥乱暴な言葉の裏に感じられる思いやり
本文を読んで分かるようにIさんはとても口が悪い。付き合いが長くない人は怖い人なのかと思ってしまうかもしれない。
しかしIさんは本当は照れ屋なだけなのだ。
ストレートに慰めたりアドバイスするのが恥ずかしいので、ちょっと外した露悪的な言い方をするのである。
それが分かるととても付き合いやすい良い上司である。
一昨年、亡くなられたのが本当に惜しい。今、会社は火が消えた様になっている。
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