１

　溜井戸都（ためいどみやこ）は、教室前の廊下で顎に手を当てて立ち尽くしていた。

　その表情は険しい。隣には同じく難しい顔をした七尾。そして正面には困り眉のマキが、落ち着きのなく視線を動かしていた。

　祭り明けの寝不足のまま登校した都と七尾が、トイレの前で青い顔をしたマキに出会ったのがつい先ほどのこと。そこで黒いわらわの話を聞いた都と七尾は、言葉を失ったまま立ち尽くしていたのだった。

「結局どういうことなんだよ、それって」

　先に口を開いたのは七尾だった。眠気の飛んだ顔からは動揺の色が見える。

「私にも分からないよ……とにかく、いなくなったわらわちゃんが戻ってきたみたいで、だけどなんだか見た目が少し違ってて……」

　マキ自身、状況を飲み込めず判断に迷っているようだった。当然と言えば当然だ、突然消えたはずの人物が装いを異（こと）にして現れたのだから。

「…………」

　都は爪を噛みながら黙考する。

　マキに話を聞いた後、三人は一度教室の様子を見に行ったのだが、黒いわらわとやらの姿を見ることができるのはやはり、先に紹介されたマキだけで、都と七尾はまだその姿を見てはいない。ただでさえ訳のわからない相手な上、姿も見えないとなると、マキの話と状況証拠に頼るしかない。

　都は、頭の中で情報を整理しながら手を上げる。

「わらわさんがいると言うことは、つまり、誰かがあの『おまじない』をやった、ということですか？」

　マキはその質問にしばらく口ごもってから、小さく頷いた。

「…………そう、みたい」

　マキから聞いた話によると、彼女たちは昨日、祭りの後にわらわを呼び出す『おまじない』を実行したのだそうだ。

　最初はちょっとした遊びのつもりで、実際に何かが起こるなどとは誰も思っていなかった。だが、祭りの夜という非日常感は少女たちの好奇心と冒険心を大いにくすぐり、より心の湧きたつスリルを求めた彼女たちは、祭りの熱気に浮かされたまま、あろうことか夜の学校に忍び込んだのだ。

　そして『おまじない』を実行し、現れたわらわと『おともだち』になったのだった。

「…………」

　話し終えると、マキは再び目を伏せて俯いた。

　それを早く言ってくれ、と都は内心で思ったが、流石に口には出さなかった。

　都は教室の出入り口から、ちらりと室内に視線を向ける。視線の先には先ほど話に出ていた四人の女の子たちが、楽しそうにお喋りをしている様子が見える。

　そしてその中に、話題の中心になっている女子がいた。

　確か名前は、坂田美麗（さかたみれい）。

　なんでも大のオカルト好きとかで、そういう本を求めて一時期図書室に通っていたのを覚えている。占いも好きらしく、お昼休みにも人を集めて血液型占いや星占いをしながら、近々よくないことが起こるだの、誰が誰を好きだのといった内容で盛り上がっていたはずだ。よくもあんな根拠のないもので人の相性をどうこう言えるものだと思っていたが、そういう意味でも自分と相性のいいグループでないことは間違いなかった。夜の学校に忍び込むという倫理観のなさもそれに拍車をかける。恐らくマキもそういった思いがあって、話すのを躊躇ったのだろう。

　ふん、と都が鼻息を立てる中、マキが口を開く。

「それであの子たち、今夜もやるみたいなの……『おまじない』」

「マジかよ……！」

　七尾が驚きの声を上げる。それは今夜も学校に忍び込む、ということだろうか。あまりの常識のなさに呆れて声も出ない。

　とは言え、都にとっては、あんな連中が自分たちと関係のないところで何をしようがどうでもよかった。

　黒いわらわについては不安が残るが、『おまじない』をしたのがあの美麗という女子であるのなら、もし何かあったとしても害を被るのはマキではなく美麗の方だろう。であれば下手に関わる理由も、そうする必要もなかった。

　なかったのだが───

「私……行こうと思う」

「⁉」

　マキのその言葉に、思わず都は飛び上がった。

「な、なんでですか⁉」

「だってわらわちゃんのことだよ、私たちも無関係ってわけじゃないし……」

　都は内心で歯噛みした。

　まただ、この人はまた妙な責任を感じている。

　このマキという少女は出会った時からずっとそうだ。関係のないことに首を突っ込んで、必要のないことに責任感を抱き始める。おせっかいと言うべきか、過干渉と言うべきか、とにかくそういう悪癖が染みついているのだ。

　マキのこういうところを、都はどうしても理解できなかった。

「先に出ていったのはわらわさんじゃないですか！　もうマキさんがわざわざ関わらなくてもいいんですよ⁉」

「それはそうだけど……」

「そうでしょう⁉　だったらどうして……！」

「おい、ミヤ」

　思わず大声を出した都を七尾が制した。廊下を歩く生徒が、ちらちらとこちらを見ていることに気付き、都は、ばつが悪そうに顔を伏せる。

「……………………」

　マキはしばし逡巡すると、小さく息を吸って言った。

「都ちゃんの言うことは分かる。分かるけど、でももし、わらわちゃんがああなっちゃったのが私のせいなら、やっぱり私が行かなきゃダメだと思う。そのせいであの子たちを危ない目に合わせられないよ」

　意志のある表情だった。

　マキがこんなにもはっきりと自分の意見を表すことは珍しい。いつもは周囲に合わせて譲ることの多いマキだったが、それだけに自分がこうと決めたことには信念を持って向き合っていた。

　そういう点ではマキの考え方は、都のものによく似ていた。

「……………………」

　無言のまま、マキと都は互いに視線を交わす。

　そして、しばらくの沈黙の後。

「……はあ」

　ため息とともに都が折れた。

「仕方ないですね、私も手伝います」

「！　都ちゃん！」

　口元を結んでいたマキが、ぱっと笑顔を浮かべる。

「マキさん一人で行かせるわけにはいきませんしね。そうでしょう、七尾さん」

「当たり前だろ」

　待ってましたと言わんばかりに七尾が親指を立てる。

「みんな……！」

　マキはにっこり笑うと、二人の手を取って何度も感謝した。

「………………」

　都が再び教室に視線をやると、例の女の子たちの姿が見えた。

　彼女たちは、先ほどと変わらず楽しそうにお喋りを続けている。

　そう、彼女たちは、

　先ほどと変わらず、誰もいない場所に向かって、

　内容の一部が欠けたお喋りを、延々と繰り返していた。