第14話 亀裂

 炭鉱の闇を切り裂いた閃光。


 それが私が放ったものだと認識するのに、しばらく時間がかかった。杖を握る手はまだ震え、魔力を放出した後の気怠さが全身を包んでいる。


 「師匠、生きててよかった……!」


 モーデンが皆に駆け寄った声に、私はようやく我に返った。解放された炭鉱夫たちは口々に喜び、熱い抱擁を交わし合うのだった。怪我をしている人が複数いたため、私は彼らの感動の再開を邪魔しないよう回復魔法を施して回る。


 「モーデン、お前が無事で良かった」


 「自分のこと心配しろよ……っ!」


 涙と煤でぐちゃぐちゃになった顔で、モーデンは私達に向かって深々と頭を下げた。


 「ありがとうございます……! 特に、あなた」


 彼の笑顔はシモを差し置いて私へと向かう。その視線は明らかに私に対し、先ほどまでとは違う畏敬の色を帯びていた。


 「あ……いえ、私は、夢中で……」


 「謙遜なさんな!」


 師匠と呼ばれた初老の男が、モーデンに肩を借りながら立ち上がった。その長い髭を揺らし、孫娘をみるような温かい目で囁いた。


 「あんたがいなけりゃ、俺たちは今頃あの化け物の腹の中だ……この恩はロックフェルの炭鉱夫一同、決して忘れねえ」


 モーデンも力強く頷く。


 「そうだ、あなたは……俺にとって、もう一人の勇者だ!」


 もう一人の勇者。その言葉は私の胸に温かく響くと同時に、チクリとした痛みを伴った。私は未だうずくまるシモの背中を、複雑な思いで見つめるのだった。


 坑内から脱出すると、入り口で待機していた警備隊や家族たちがワッと歓声を上げた。


 「戻ってきたぞ!」「にいちゃーん!」「さすが勇者様、一瞬で片付いたぞ!」 


 私たちは英雄の凱旋のような熱狂の中、礼を受けるのもほどほどに宿へと引き上げることになった。シェバンニは自らが負傷しているにも関わらずシモへ肩を貸し、インヒューマは「人間の集団ヒステリーはこれだから好かん」と不機嫌そうに日傘を開いてトランクを引きずっている。


 シモに対して感謝の嵐が降り注ぐ。彼は笑顔を崩さず、ささやかに手を振った。それにまた人々は沸き立つ。


 しかし、私はシモの荒い呼吸だけが気にかかっていた。


 宿の部屋に戻り、扉が閉まったその瞬間。それまで人々の前でかろうじて威厳を保っていたシモの身体が、糸が切れたように崩れ落ちた。


 「……っだめ、だ」


 彼はその場で再び胸を強く抑え始めた。炭鉱でうずくまった時よりも、明らかに苦しみ方が激しい。呼吸が奪われ、その顔色は陶器を通り越して死人のように青黒く変色していく。


 「以前もこのように?」


 「いえ、前よりもずっと苦しそうです……!」


 インヒューマが厳しい表情でシモの瞼を指でこじ開け、その瞳孔を覗き込んだ。


 「さぁどうするシモ……今度こそ、私の血を受け入れるか?」


 怪しく穏やかな調は、部屋の空気を凍てつかせるほどの重みを持っていた。シェバンニがシモの背中を支えつつ、牙を剥き出しにしてインヒューマを睨みつけた。


 「……いい加減懲りろや、クソデブ」


 「貴様こそ知恵が足りん。真祖の血液さえ取り込めば、容易く死の苦しみからは解放されるぞ」


 「シモをお前みてえな化け物にする気か? アァ?」


 「永遠の若さと力を得るのだ。無様に苦しみながら朽ち果てるより、よほど合理的だと思うがね」


 彼らを見るに、インヒューマは前々からシモを同族にならないかと誘っていたようだった。シモの勇者としての在り方、その清廉さを気に入り、同時にその脆さを危うんで。


 「…………っあの、ね」


 シモは二人の口論を聞きながら、激しい呼吸の合間にかろうじて声を振り絞った。


 「……何度も言うけど、僕は……人間として、やり遂げなきゃならないことがあるんだ……キミの助けは……借りたいけど……」


 「愚かな。その意地がお前を殺すというのに」


 偉大なる吸血鬼は心底つまらなそうに、ふぅと大きなため息をついた。それでも、自身に意見したことを咎めることはなかった。


 「お前がそう言うのなら、別の手段を講じるまでだ……が、かなり辛いぞ」


 インヒューマはおもむろに、あの巨大なトランクを開いた。中には本やシャツに紛れて、おびただしい数の薬瓶や乾燥させた植物の束が詰め込まれている。


 「今まで貴様らが行ってきたのは『応急処置』だ。進行を遅らせるためのものに過ぎん。だが今のお前には『進行を止める』強力な一手が要る」


 トランクのさらに奥深く……隠し底のようになっている場所から黒い小瓶を取り出した。


 「これは使いたくなかったが」


 「何だソレ」


 「私の血液だ」


 シェバンニは激昂し、インヒューマの首を刎ねようと腕を振るった。バヂン、と火花が弾ける。 


 無詠唱魔法とは違う、ノーモーションの魔法使用。戯れてくる子犬を嗜める、一瞬の出来事だった。


 「話は最後まで聞け。こんな微細な量を接種したところで吸血鬼になれはしない」


 彼はその小瓶から粘度の高い一滴を別の薬瓶に垂らし、調合を始めた。魔法と薬学は別物であるというのに、図説もなく目分量で作ってしまう。


 「これを飲ませれば、一時的にだが生命活動を無理やり引き上げることができる。死人さえも、数日は歩かせることが可能な劇薬だ」


 「ヤベェことに変わりはねぇのかよ」


 「いい加減口を慎め。確かにこれは聖戦に用いる最終手段だ……だが、それしかないだろう」


 インヒューマは完成した紫色の薬液を、シモの口に無理やり流し込んだ。


 「ん…………っぐ!」


 シモの身体が弓なりに反り、大きく痙攣した。耳をつんざく絶叫が部屋中に響き渡った。側で耳を塞ぐシェバンニの恐怖に満ちた顔が、やけに恐ろしく見えた。


 そして、数秒後。


 「…………ぷはっ!」


 まるで水底から顔を出したように、シモが大きく息を吸い込んだ。荒れ狂っていた呼吸は瞬く間に落ち着き、急速に血の気が戻っていく。


 「……お……?」


 シモは、自分の胸を押さえていた手を不思議そうに見つめた。さっきまでのたうち回っていた激痛が嘘のように引いている。


 「……おお……おお……!」


 シモは杖を使わず、自らの力で立ち上がった。病気になる前の彼が戻ってきたかのようだった。


 「シモ……!」


 私は思わず彼の腕に駆け寄った。


 「すごいよ、あんなに苦しかったのが嘘みたい」


 シモはその場で軽く飛び跳ねてさえみせた。


 「これでまだ旅を続けられるよ」


 彼は屈託なく笑う。だがその笑顔とは裏腹に、インヒューマの表情は険しいままだった。


 「言っておくがシモ。それは治ったのではない……お前の命を前借りしているに過ぎん。効果が続いている間に諸々手に入れられねば、お前の魂は今度こそ燃え尽きるぞ」


 「……分かってるよ、時間を稼いでくれたんだろう?」


 シモは、力強く頷いた。私たちは休む間もなく、砂漠への出発準備を始めた。インヒューマの薬の効果がいつまで続くか分からないからだ。


 私は街で一番大きな水筒をありったけ買い込み、干し肉や保存食をリュックに詰め込んだ。灼熱の砂漠を越えるための、薄手だが肌を隠すためのローブも人数分用意して。


 シェバンニは砂漠の魔物に関する情報を、ギルドで「建設的な話し合い」によって収集してきた。


 「意味の分からん花は西の砂漠にあるってよ! けど、どいつもこいつもまともな地図持ってねぇ」


 「構わん。大体の方角さえ分かれば、貴様の鼻でどうにかなるだろう」


 「次こそ本当に噛み殺してやるからな……」


 インヒューマはお気に入りのフリルシャツの上から、特注品らしい、魔力で冷気を発生させる漆黒の日傘をさして準備万端といった様子だ。


 そして、シモは。


 彼は宿の窓から、ロックフェルの喧騒をじっと見つめていた。身体は動く。だがその表情は、回復したはずなのになぜか晴れなかった。


 「……シモ?」


 準備を終えた私が声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。


 「ああ、チコル……ありがとう」


 「え?」


 「キミに守ってもらっただろう? ……すごい光だった。キミは本当に優秀な魔導士だね」


 「そ、そんなこと……!」


 「……僕は」


 シモは傍に携えた自分の杖を強く握りしめた。


 「僕は、無力だった」


 その声はひどくか細かった。


 「薬で、こうして動けるようにはなった……でも分かるんだ。これは僕の力じゃない、インヒューマの力だ」


 彼は自嘲するように笑った。目にかかった前髪を指で払いのける。隙間から覗くその顔は、悔しさに歪んでいた。


 「自慢じゃないけど、全盛期の僕はこんなものじゃなかった。シェバンニが苦戦するような魔物も、インヒューマの助けがなくても、一人で……」


 シモの脳裏には、かつて魔王軍を相手に縦横無尽に剣を振るえた勇者の姿が浮かんでいるのだろう。


 だが、現実は違う。魔王の残滓に呼応しただけで、うずくまることしかできなかった。そして、彼が守るべきだった仲間……モーデンたちはおろか、私にさえ守られた。


 「……僕は……」


 シモの視線が揺らいでいた。


 「シェバンニは今も変わらず強い。インヒューマは、僕の知らないことを全て知っている」


 「……」


 「二人とも、市民が語り継ぐ姿そのままだ……それなのに、僕は……僕は皆が期待する勇者では、もうないのかもしれないね」


 身体の苦痛は薬で消えた。しかしそれと引き換えに、もっと深刻な心の傷が彼の胸を苛み始めていた。


 人々が向ける羨望の眼差しと、現在の自分との埋めようのないギャップ。


 「シモ……」


 私がかける言葉を見つけられずにいると、部屋の扉が勢いよく開いた。


 「準備できたぜ! クソッタレ砂漠の情報も手に入れた、さっさと行くぞ!」


 シモはハッと顔を上げ、さっきまでの苦悩を隠すように無理やり笑顔を作った。 「ああ、分かった! ……行こう、チコル」


 「……はい!」


 私たちは、ロックフェルの南門へと向かった。「ああ、陽射しが不愉快だ」と、丸々とした吸血鬼は日傘を深く傾け、グチグチと呟く。シェバンニも「砂漠かぁ……水浴びもできねぇのかぁ……」と嘆いていた。


 私は先頭を歩くシモの、その翳のある横顔を不安げに見つめるのだった。

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