三好爆発

三好孫四郎長慶 彼は恨みを抱いていた。物心ついた頃から、その恨みを押さえつけてきた。自分は三好家の家長なのだと、感情にまかせてはならないのだと、ずっと。


 長慶の手元には山城国の領有権を巡る主君の裁定が記された一枚の書状があった。



長慶の心は波風一つ立っていない。思い出すのは幼い日の記憶。厳格な父に立派になれと頭をなでられたあの日。その後、父は立派な武士(もののふ)になる気があるか問い、首肯した自分を船に乗せた。疑問と決意が入り混じった大阪湾で主君が煽った一向一揆に父が膾切りにされたと、伝えられた。


ああ、怒りはとうの昔に変質し、けして溶解せず残り続けた。


長慶は堪えた。三好の家の長として。理不尽な行いも、いわれのない侮蔑も、父の仇の己に向ける冷笑も、全て。


その結果がこれだ。父の旧跡を父を裏切った叔父に与えるとは、あの地は父の土地だ。許せるものか、さんざ父に頼った挙げ句、父を裏切り母を娶ったあの男。許してなるものか。


長慶は大きく息を吸い、深く息を吐いた。

長慶の心は定まっていた。その道は家臣を、民を危険にさらす。長慶は、最後の覚悟を決めるべく、心の拠り所としている人物の元へ訪れた。



「殿?」

不思議そうに女性が目を瞬かせる。当然だ、彼女の瞳が己を写すのはもっぱらと夜闇のなか。陽がのぼるころに会うことは稀だった。


女性の名をお清と言った。父の名は波多野秀忠。丹波大槌(たんばのおおつち)と称される実力者である。


お清はおよそ美人と呼ばれる女性ではなかった。瞳はぱっちりと大きく、彫りは深く、   で 。気が強く、武芸に長じる代わりに琴が弾けず、政に通じるかわりに なかった。


だが彼女を長慶は好いていた。気弱な母と違い、彼女は堂々と意見を言った。気弱な母と違い、彼女は 。


彼女の感心した顔がすきだった。彼女の笑顔が好きだった。彼女の労る言葉が、長慶の荒さみ荒れた心を癒やした。


まぶたを閉じれば彼女の表情が駆け巡る。耳をすませば彼女の声が囁いてくる。これで最後だ。もう会うことはない。長慶は畳に座るとお清に告げた。


「離縁…でございますか?」


彼女は、長慶が見たことがない顔をしていた。驚きと悲しみが入り混じった表情を彼女は整え、言った。


「何ゆえでございますか?」


尋ねてくる彼女に言葉を濁しても良かった。いや、戦略上濁すべきだった。彼女の父親は細川晴元が重臣、波多野秀忠。


実力で丹波をまとめた傑物に計画を知られてはならない。


知られてはならないのに…長慶は彼女の…が 。すべてを語った。仇を討つのだ、そのためにお主とは離縁せねばならぬ。


 の音が部屋に届いた。 彼女が と笑った音だ


「殿、祝言の夜に贈って頂いた言葉を覚えておいでですか?」


彼女の優しく、温かい声が長慶の決意を揺らがせる。いいや、だめだ。気をしっかりもて。彼女を手放し、儂は仇を討つのだ。


目をつむり、心を落ち着かせ、しっかりと最愛の女性を見つめた。


「 お前と共に歩む そう告げた。」


「偽りですか?」


「いいや。」


「偽りではありませんか!」


長慶は瞠目した。常の彼女と異なる。大声を聞いたのは初めてだ。彼女は自分を慕ってくれていたのだろうか、滲み出た感情を押しのける。未練があってはならない

未練を作ってはならない。


しかしその堅固な意思は悲哀に顔を歪ませる彼女を前に崩れた。気がつくと、長慶は本心を吐露していた。


「心はいつもお前と共に。」


自分はなんと卑怯なのだろうか。わがままで家臣を危険にさらすというのに、彼女に言葉をかける資格などないのに。


後悔の念に苛まれる。 


これ以上この場にいてはどうかしてしまう。足早に立ち去ろうとする長慶の背中に強い意志が刺さった。


「なぜ、そのようなことを言うのですか!なぜ、 

私は、あなたに…」


「俺の力になってくれと、どうしておっしゃってくださらないのですか!?そなたの父親を説得してくれと、できなくとも、儂と共に死んでくれとどうして・・・」


お清は力なく崩れると、さめざめと泣いた。



彼女を、うつむいて泣く己の妻を、長慶は 






いいえ父上、殿にお味方すれば所領は増し、何よりも憎いあの男を討てます。


ふむ、


そうか、


「私は殿」




 

むほほ、


三好長慶、謀反!ここ、摂津国に迫っております!退避を!


ほ?


後生近畿地方と呼ばれる地域すべてを巻き込んだ、近畿動乱が、始まった。

この世界の都は伊勢の国にあります。






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