洞窟のなかで

 奇妙な静寂が洞窟を満たす。


「と、とにかく早く着替えるっす。夜は冷えるっすよ。」


「ふん。」


 ぷいとそっぽを向く久姫を見て、安崎は思った。


 かわいい。


 日本ではまったく女っ気がなく、こっちに来てからもやれ襲撃だ出兵だと男まみれの日々を過ごしてきた安崎。


 ふつうに惹かれる。


 折しもランナーズハイ。さらには鉄火場をひとまず乗り切ったのである。妙なテンションになるのもむべなるかなといったところだ。


 ここで読者諸兄に安崎の好みを伝えておく。意思がしっかりしていて頭もよければ最高だ。至極どうでもいい話だが、要はそういうことであった。


 さきほどの素早い動きも好印象だった。今もそうだ。おびえるでもなく、震えるでもなく。貞操の危機を疑っても険しい顔で己が身を守らんとするその姿勢。めっちゃイイ。


「あのー殿?」


 普段性欲どころかかわいいと思うことなんぞないのだが。というかこの娘本当に久姫か?いやでもあいつ見たことあるって言ってたし。いやなんというか守護の娘にしては世俗すぎや、


「殿!」


 ハッと意識が浮上する。平兵衛が困惑気にこちらをのぞき込んでいた。


「殿?」

「殿、こっからが正念場っす。大丈夫っすか?」


 平兵衛の顔には、奇妙な光景に驚いたけどまあ事情はわかった。わかったけどうーん大丈夫かなこの人と書いてある。


 言い訳すべきか、そもなにを言い訳するのかと悩んでいる安崎の耳に、険のある声が届いた。


「これからどうするつもりなの?泳いで逃げるとか言わないでしょうね!」


 久姫は眼前に広がる大海原に目を向けながら身をさすった。


 絶景だが、今のわれわれには壁でしかない。分厚い壁。


 崖の上では兵どもが下りる道を探していると事だろう。早く逃げねば危うい。


「大丈夫だ。」


 心配無用である。脱出計画は万全、のはずである。


 どや顔でうなずいていると、茂吉がやおら動きだした。


 はてなんだろうか。何気なく眺める。口をへの字に曲げながら、右手は刀をつかんでいる。・・・刀?


「茂吉!!」


 大音量が洞窟を制圧する。


 茂吉はびくっと体を硬直させる。安崎は眉間にしわを寄せた。


「なんの真似だ。」


 今、ここで、なぜ刀をとる。


 茂吉はしどろもどろに答えた。


「もちろん殺すためでさあ。『久姫』はこいつでしょう?」


 思わぬ回答に安崎は顔をしかめる。


 こいつは何を言っているのか。


 久姫を殺す選択肢はない。手出しできず、みすみす但馬山名の本拠豊岡城に連れ去られるくらいであれば斬ったほうがよかったが、現状は順調だ。わざわざ因幡支配の大義名分を自ら失うこともあるまい。


 ここからの逃走にも今後の戦略にも有用なこの姫をなぜ殺す。


 尼子も攫えとは言っていたが、殺せなど一言も・・・あ。


 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

「殿、行列を襲うってのはわかりやしたが、姫は?」

「無力化する。逃げられちゃ面倒だ。」

「無力化。」

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


 ・・・・・無力化って言ってる!俺言ってる!


 自分の中では攫って逃亡が既定路線だったので全然気づかなかった。あ、やべ。これはたしかに誤解するわ。攫って逃げるより殺した方が手っ取り早いし。暴れさせない程度のニュアンスだったけどそりゃあ伝わらねえよ。あーやっちまった。


「あー。姫は津山まで連れていく。姫に当たっちゃまずいってんで但馬どもから逃げるとき矢とか飛んできづらくなるし、殿南郷家当主の因幡支配の大義名分にもなる。」


 はへーと感心するふたり。すげえ素直な奴らである。ちょっと心配になる。


 この世界にも詐欺とかあんのかと安崎が思いを巡らす。


 対照的に疑念を顔いっぱいに表現しているのが久姫である。


「なんだ。浮かない顔だな。」


 言って安崎は息を吐いた。なんてセリフだろう。突然襲撃されて見知らぬ男に囲まれればそりゃあ浮かない顔にもなる。先ほどは威勢が良かったが、きっと現実味を帯びてきたんだろう。


 憐れだ。


「当然よ!」


 ん?なんかいい声だな。いや、浮かない顔だなに返答しているんだから正しい回答だが。


「さっきはつい、飛び込んじゃったけど、もともと私は因幡の姫!但馬なんて願い下げだけれど、小汚い姿の地方領主なんてもっといや!」


 小汚い姿とは自分の服装だろうか。安崎は衣服をつまんだ。百姓の権田がくれた野良着、安崎家の正式隠密衣装である。平兵衛も「すごいっす!どこにいたって立派な百姓にみえるっすよ!中身も元百姓っすから完璧っす!」と太鼓判を押した一品だというのに。


「津山ってことは安崎家?」


「ああ、安崎オチバだ。」


「尼子の陪臣じゃない。そんな家行きたくない!」


 ふんっとそっぽを向いた。


 つい先日但馬にコテンパンにされらしいが、随分と元気である。


 これが亡国の姫かとつぶやくと、久姫はこわばった顔をした。


 ・・・ふむ。


「世を儚んで身を投げるなら止めはしない。剃髪するのもいいだろう。あるいは崖を登って山名の兵に迎えられるか。」


 姫は目を合わせない。短い会話のなかでこの姫がどういう人間かつかめるほど安崎は器用ではなかった。


「だが。」


 久姫の肩がかすかに震える。


「だが、お前が津山に来るならば、俺たちの因幡攻略は格段に楽になる。」


「・・・それ、私と関係ある?」


「いや?」


 苛立たし気にこちらをねめつける。


「俺たちが勝てば因幡は尼子の勢力圏に、向こうが勝てば但馬の勢力圏になるだけだ。」


「、、、津山には行かない。」


 久姫がか細い声で告げた。


「兄さまも父さまも、姉さまたちだってもういない。あいつも、死んじゃった。」


 涙はない。だがその横顔は悲哀に満ちていた。


「何をする気もない。兄さまたちの仇に嫁ぐのは嫌だから、ここで果てます。」


 言葉は誇り高き姫君のそれだが、安崎には自暴自棄になっているようにしか見えなかった。


 津山に連れていきたい。戦略的にも有用で、高貴な身分は礼儀作法にも通じていそうだ。なにかと役に立つやもしれぬ。


 さて、どうする。


 雄弁ではない。カリスマもない。言葉で人を制するなど不可能だ。


 利をもって誘導する?身投げするといっている女にか?


 理をもって誘導する?卑近な者のいう事を聞くのか?


 安崎は大きく息を吐いた。自分にできることは、ない。


 諦めよう。


「久姫。」


「、、、なあに。」


「ついてきてくれないか。お前がいると助かる。」


 安崎の率直な言葉に、久姫はあきれたような顔をした。


「話聞いてた?」


「ああ。」


「私はここで、死ぬの。」


「いや、困る。」


 久姫が眉を吊り上げた。


「さっきすきにしろって言ったでしょう!」


「止めないとは言った。」


「おんなじじゃない。」


「いいや。」


 安崎はかぶりを振った。


「止めはしない。だが、お前がいたほうが良い。」


「あなたたちのため?」


「ああ、俺たちのために。」


 しばらく、あきれたような顔をしていたが、すっと背筋を伸ばした。


「じゃあ、こうしましょう?」


「ん?」


「私は、なるべくあなたを助ける。その代わりに、」


 一拍置いて、告げる。


「あなた、但馬山名を滅ぼして。」


 ぱちくりと、目をしばたたかせる。


「わかった。そうしよう。」


 ただの口約束。力のない者同士の、約束。












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