第48話
森を抜ける頃には日も傾き、夕焼けの中に町が見えた。
海に接した港町、ロ=ロームだ。北の王都へ向かう中継地点にして、交易の中心地。その証拠に、薄暮の時間でもまだ港を出入りする船の黒煙が見えた。
もう既に、蒸気船の文明は確立しているようで、どの船も大きい。
こうしてこの星はまた、少しずつ狭くなっていくのだ。
「わーっ! 海だし! チイたん、ほら海! 海だよ海!」
カホルはまだまだ元気で、テンションが高い。
チイもシャリルもまだまだ余裕があるようだが、ブランシェは少しお疲れ気味である。
今夜はこの町で一泊ということになるだろう。
「どうでしょう、このロ=ロームにも結社の支部があります。そちらに一泊しては」
シャリルの提案をありがたく受けつつ、内心ヤイバはチャンスだと思った。
環境保護団体、自然を愛する仲間たち……なんとも胡散臭いが、シャリルのような理性的な人間もいる。では、組織自体の空気はどうか。
それは、懐に入ってみればわかるだろう。
そのためにも、支部への潜入は絶好の好機だった。
「すこし、つかれたかも……わたし、ねむい」
「そうだね、ブランシェも今日は一生懸命歩いたものね」
「まほう、使えば、すぐだった」
「それはよしておこう。いらぬトラブルになりかねないからね」
コクンと頷くブランシェの手を引いて、ヤイバは一同とともに町の門をくぐる。
先日の城塞都市イ=ツェルに比べて、警備も簡素なものでひっきりなしに荷馬車が行き来している。驚いたことに、オートモービル……ごくごく初歩的な自動車の姿も何台か確認できた。
確かにもう、この世界に魔法は必要ない。
錬金術から発達した科学は、日進月歩の勢いで世界中に広がっていると感じた。
「ヤイバっち! ちょっと海見ようよ、海!」
「海、好きなんだね」
「そりゃもう、ファミリーネームはロングビーチだぜー? 日本語でいうと、まあ、長浜さん? みたいな?」
「まずは結社の支部に腰を落ち着けよう。ブランシェも疲れたみたいだし」
「おっけまるー! あ、夕ご飯はやっぱりシーフードかなあ。凄い活気だし、いこいこ、早くいこうっ!」
カホルはガシッ! とシャリルの腕を掴んで、引きずるように案内させる。
カホルは時々距離感がバグってて、流石のシャリルもドギマギと頬を朱に染めていた。
ヤイバはヤイバで、ブランシェを背中におぶってあとを追う。
そっと横に並んだチイが、小さく声をひそめてくる。
「結社の支部、ですか。イクスさんの情報がなにか手に入るかもしれません」
「ああ。それに伯爵のことも」
「ある程度は警戒したほうがいいですね」
「虎穴に入らんばナントヤラ、だね」
こうしてそぞろに歩けば、すぐに町の中心地へと視界が広がる。
広場は出店や屋台が並んで、もう夕食を求める客たちでごった返していた。どうやら規模の小さな町だが、港があるだけに大勢の民が行き交っている。
そこでヤイバは、思わず目をみはる光景に遭遇した。
シャリル以外の全員が、その場で固まってしまう。
背後でギュムと、ブランシェが強く抱きついてくる気配が伝わった。
「こ、これ……ちょ、ちょい待ち! シャリルン、この銅像って」
「シャ、シャリルン? あ、ええ、こちらは伯爵の偉業をたたえた像です」
なんと、広場の中心に堂々とキルライン伯爵の銅像が立っていた。
それを見上げて、ヤイバも驚く。
確か伯爵は辺境の領主で、こちらの異世界では有名な冒険家という話は聴いていた。この科学に傾いてゆく時代の中で、辛抱強く魔法のかけらを集めて回った男。ついには禁術とされる異界へのゲートを開き、イクスを追いかけてヤイバたちの地球に来てしまった人物である。
確かに、以前ラジオでも伯爵が行方不明だというニュースは聞いていた。
だが、まさかこんなにも目立つ存在だとは思わなかったのだ。
「あまり、似てません、ね」
「ああ。でも似てるような、雰囲気はあるような」
チイと二人で、ヤイバはまじまじと銅像を見上げる。
ちょっとわからない。こうしたものはやや誇張され、美術品としても高レベルなものに作られていることがある。口ひげや紳士の帽子にスーツ、ステッキというおなじみの顔だが、その造形は微妙に他人っぽくもある。
同時に、これが例の伯爵本人だという直感もあった。
「自己顕示欲の強い人間、例えば独裁者とかは……自分の肖像や銅像を好む傾向がある」
「ヤイバ君?」
「いや、一瞬思ったんだ。こっちが本物のキルライン伯爵で……今まで僕たちが戦っていた相手は、キルライン伯爵の名を語る偽物なのかな、ってね。でも、どうだろう」
横暴にして傲慢、そして冷酷無比……自己陶酔型の環境テロリスト、それがキルライン伯爵だ。この銅像には、そうした一面は微塵も感じられない。
一方で、ヤイバの知る伯爵ならば銅像に歓喜してはしゃぐだろう。
世界的な冒険家というふれこみも、この交易都市の発展に寄与したのかもしれない。
「どうしたんですか、皆さん。……まあ、私も以前からちょっと思っていました」
「シャリル」
「伯爵はもっと、毅然とした優雅さがあって、とても優しい顔をしてらっしゃいます。ちょっと職人が厳つく、威厳? みたいなものをつけすぎた感じがしますね」
カホルがすかさず「盛ったのかよー!」と笑う。
だが、彼女の目はしっかり伯爵を見据えて、ともすれば睨むように鋭く細められていた。
この男が、ヤイバたちの世界では大暴れしてくれた挙げ句、ブランシェを虐待し、最後にはイクスをさらっていったのだ。
ヤイバも、改めてその姿をまぶたに焼き付ける。
すると、背後から温和な声が響いた。
「おや、シャリルではないですか。そちらにも手紙が届いていたのですね」
振り返ると、恰幅の良い男が笑顔で立っていた。
身なりはそれなりに裕福なようで、手には指輪も光っている。そんな姿も目立たないくらい、この広場を行き来する者たちは誰もが民族色ゆたかだった。異国情緒もあって、ヤイバたちも同じ異邦人だ。
シャリルは慇懃に頭をたれて、笑顔で応じる。
「支部長様。わざわざお出迎えに?」
「ええ。待ちわびていましたよ、シャリル。そちらの方々は」
「イ=ツェルでお世話になった人です。結社の本部集会に興味があるとかで、旅の道連れにお願いしてついてきてもらったんです」
実際には逆なのだが、あくまでシャリルは謙虚だ。
彼なら危険な森も一人で抜けられたかもしれないし、あくまでヤイバたちがおしかけた形だ。それでも、支部長と呼ばれた男は嬉しそうに微笑む。
「では、是非とも我らが支部でおもてなしさせていただきたい。本当にシャリルがお世話になったようで」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。それで」
それとなく探りをいれてみるヤイバ。
シャリルもそうだが、今のところ結社には妙な違和感はない。しごく真っ当な環境保護団体、それが自然を愛する仲間たちだ。
実際にはどういった活動をしているのか、それも気になったのだ。
「僕たちも環境問題には興味があるんです。是非、お話を聞かせていただければと」
嘘は言ってない。
母ミラがそういう仕事をしてるし、ヤイバたちの世界では環境破壊は深刻な問題だからだ。なにせ、人類が皆でそろって地球を退去しなければいけないレベルである。
地球を一度大自然に還し、数千年レベルで月にこもらなければいけないのだ。
「おお、皆さんも自然破壊を憂いておいでなのですね」
「ええ、まあ」
「我々結社のみならず、この世界の生命全ての問題なのです」
支部長もまた、善良な人間に最初は思えた。そこがシャリルと一緒で、どうにもヤイバの知っている伯爵と繋がらない。
やはり、ヤイバたちの知る伯爵は別人なのだろうか?
本物のキルライン伯爵は、この銅像のような厳格で公明正大な人物なのだろうか。
見た目ではそれはわからないし、やはりもう一度会う必要があるだろう。
その時が勝負……そして決着の時だ。
ヤイバは既に、イクスを連れて元の世界に戻る覚悟を決めていた。同時に、伯爵には少し痛い目をみてもらおうとも思ってて、やはり短気で短慮だなあとも思う。
「我々の町は港町ですが、砂浜にはゴミが絶えません。漂着物も様々でして」
「清掃活動とかですか?」
「ええ。町の人々にも声をかけて、みんなで海を、浜を守っているんです。ほかには」
支部長が語る話は、ヤイバが感じる結社、いわゆる悪の秘密組織みたいな響きの言葉とは縁遠いボランティアだった。それもしごく真っ当で、支部長はこの町では何席もの船を持つ名士とのことだった。
その私財を、惜しげもなく自然保護に提供し、結社にもそうとう突っ込んでると見た。
だが、そこに強制やカルト的なものが、不思議と全く感じられない。
全く怪しくないというところがまた、ヤイバには少し怪しく思えた。
「まあ、立ち話もなんです。支部で夕食でもご一緒しながらお話しましょう。そちらのお子さんも随分とお疲れのようですし」
既にヤイバの背中で、ブランシェは居眠りをしていた。
その頭はネコミミフードで覆われているので、ダークエルフとはバレていないだろう。カホル同様、褐色の肌もこの土地では珍しくないようだ。
こうしてヤイバたちは、結社の支部で一泊することになった。
改めて移動すると、カホルはまだ坂の向こうに広がる海を見ているのだった。
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