第47話

 薄暗い森の空気が震えた。

 同時に、敵意が消え去りドシン! と大地が揺れる。

 ヤイバが振り返ると、そこにもう巨獣の姿はなかった。

 足止めをしていたチイとカホルも、拍子抜けという感じで顔を見合わせている。

 そして、硝煙の臭いを息でかき消しながら、一人の男が近付いてきた。


「よぉ、大丈夫だったかい? 今どき弓矢じゃ、満足に狩れないだろ?」


 どうやら男は狩人のようだ。

 その両手に、やや大げさなライフル銃が握られている。

 まだ、銃口には白い吐息がくゆって揺れていた。

 男は槊杖を銃口に詰めてから、次の弾を装填する。

 先込め形式の原始的な、極めて初歩的なマスケット銃だった。


「どうも、助かりました。……地元の猟師さん、ですか?」

「ん? ああ、この先のロ=ロームから来たんだ。最近はここまで来ないとなかなか獲物がいなくてなあ」


 ヤイバはそっと、隣のシャリルに耳打ちする。

 落ち着くように言ったのは、彼が両の拳を震わせ握っていたからだ。

 言いたいことはわかるが、あっちも仕事なんだと囁いてやる。

 それでも、シャリルは冷静さを取り戻しつつも口を開いた。


「狩猟免許はお持ちでしょうか? 地域ごとに発行されるもので、猟師ならば」

「ん、あんた、役人かい? なんでそんなことを……ああ、横取りなんてしないぜ。山分けといこうや。これだけの大物なんだし、な?」

「私は結社、自然を愛する仲間たちの人間です」

「げっ……ま、まあ、うん。そりゃ……ロ=ロームの狩猟免許しかないが、しょうがないだろ。獲物がいないんだよ、商売あがったりだ」


 話が噛み合わないのもしかたがない。

 チイがすぐにフォローを入れてくれて、険悪なムードを避けてくれる。

 それでなくとも、猟師の男には悪びれた様子はない。悪い人ではなさそうだが、単純に仕事をしただけなのに、それもピンチを助けたのに絡まれて困惑している。

 シャリルは声こそ穏やかだが、丁寧な言葉づかいがかえって尖っていた。


「森の動物が少ないのは、人間たちが狩り過ぎてるからではないでしょうか」

「シャリルさん、今はそのへんで。あの、助かりました。私からも御礼を言わせてください」

「お、おう……今どき弓矢なんて珍しいな、お嬢ちゃん。お前らその格好……まるで一昔前の冒険者だ。ハハハッ」


 改めてヤイバは、先程まで執拗に追ってきた大猪を見やる。

 ちゃんと落ち着いてみれば、思っていたよりもだいぶ小さい。大型バスくらいはありそうなもんだったが、せいぜいよくて軽トラ並だった。

 恐怖と敵意とが、身体を大きく見せていたのだろう。

 とりあえず、ヤイバは大猪の所有権を放棄する旨を猟師に伝えた。


「えっ? い、いいのかい? なんか悪いなあ、あとからきて一発撃っただけなのに」

「僕たちの手にはあまる凶暴な動物でしたので」


 そっとシャリルの手を取り、後ろへ引っ込める。

 それくらい、今の彼は不快感が丸出しだった。

 なまじ慇懃なだけに、かえって悪い印象である。

 猟師もそれを感じ取ったらしく、顔をしかめつつも獲物に歩み寄る。それと入れ違いに、チイとカホルが合流し、四人はそろってこの場を辞することになた。


「では、僕たちはこれで」

「ああ。気を付けて行けよ! 子供だけの旅は大変だからな。……チッ、ハーフエルフが」


 足早に去る、ここはシャリルへの侮辱も聞かなかったことにする。

 何故なら、今の戦いには理不尽も不条理もないのだ。

 獣は人を襲うものだし、今もそこかしこに鹿やうさぎがいる。そして、こちらを避けるように四方へ散って逃げていった。

 あの大猪とて、人間を取って食おうという訳ではないのだ。

 ただ、猟師は獣を狩って生活している。市場にも毛皮や肉が出回り、それで人間社会は成り立っているのである。

 すぐにカホルがシャリルの肩を抱いた。


「ドンマイだし! しょうがないよ、あっちも仕事なんだし。あと……やっぱりハーフエルフって、ちょっと嫌がられてる?」

「……ただ珍しいだけでしょう。ただ、無益な殺生だと思ってつい」

「無益じゃないじゃん? あんだけ大きかったらボロ儲けだし。みんな喜ぶし!」

「しかし、そうやって乱獲するから――」


 やれやれとヤイバは、先回りするように振り返る。

 少し話をする必要がありそうだ。


「シャリル、君の主義主張は尊重する。けど、それを押し付けるのは間違いだよ」

「……少々、押し付けがましかったでしょうか」

「すくなくとも、さっきのおじさんにはね」

「なかなかわかってもらえないものです。でも」


 背のブランシェをおろしつつ、ヤイバはシャリルの目を真っ直ぐ見つめる。

 彼自身も、突然の遭遇で少し驚いているようだった。


「こうは考えられないかな? 人間は基本的に、他の生物の命をもらって生きてる。肉や魚は勿論、植物だって生きてるからね」

「それは、そうですが……必要以上に取りすぎると、自然界のバランスが狂ってしまいます」

「うん。ただ、ちょっとまだこの異世界は……君の世界は、近代化が始まったばかりなんだ。もう少し時が経てば、嫌でも思い知らされるんだけどね」


 そう、ヤイバたちの地球だってこのところ妙である。

 異常気象や天候不順、動物も魚も今までにない動きで人間社会に入り込んでくる。

 それでまあ、いっとき地球を離れて月に住もうか、という話まで出ているのだ。

 だが、こちらの世界はまだそのレベルまで達していないように思う。

 社会の成熟を待つのはもどかしいだろうが、理屈ではなにも動かない。


「……すみません、私もつい。その、カッとなってしまって」

「あと、ハーフエルフだと侮辱されたら、怒ってもいいと思うよ」


 というか、ヤイバが先に手を出してたかもしれない。

 それはそれ、これはこれだ。

 それに、悲しいかな自分が手の速い短気な人間だと、少しは自覚もある。


「うんうん、マジむかつくしさ! いいじゃん、イケメンだし。耳だってかわいいし」

「カホルさん、そういう問題では……ただ、どこの世界も混血児は苦労するものですね。カホルさんにも心当たりがあるでしょう?」

「あっ! ……そ、そだね、ごめんシャリル。チイたんも、ありがと」

「まあ、全員地球人ですし、エルフもハーフも関係ないですよ。ふふふ」


 森を歩く中で、ようやく重い空気が抜け出てゆく。

 変わって、濃密な樹海の匂いが肺を洗った。

 随分奥まで来たが、そろそろ半分くらいだろうか。昼食を取る時間もほしいし、あまり歩き過ぎてはブランシェの体力も心配である。

 なにも言わずにおとなしいからこそ、ヤイバたちの側で気をつけないと危ない。


「つか、そろそろお昼にしない? なんかバタバタしちゃって、あーしお腹へっちゃった」

「カホルさん、大活躍でしたものね」

「えへへ、もう一生分のパンチ使い切ったかも」


 頃合いだなと思った、その時だった。

 突然視界がひらけて、荒れた道の西側に大きな泉が現れた。

 森の中の水場らしく、色々な鳥や獣がそこかしこで喉を潤している。


「少し休憩して昼食にしようか。ここなら襲われることもないと思うし」

「そなの? ヤイバっち、なんで?」

「野生の動物は水場では争わないものなんだよ。概ねは、ね」


 だが、先程の大猪には明らかな敵意、殺意があった。

 人間への激しい憎悪だったかもしれないし、自分の縄張りを荒らされた憤りだったかもしれない。ただ、その激情は明らかにヤイバたちを恐怖させたし、とてつもない巨大なモンスターに見えてしまった。

 確かに、大自然から見ると人間という生物は異物なのかもしれない。


「んでー? ランチはなーにかな、っと。シャリル、マザーが持たせてくれたよねん?」

「簡単なものですが、サンドイッチですね、カホルさん」

「カホルでいーよぉ、あーしもかしこまっちゃうじゃん。ニヒヒ」


 カホルの太陽のような笑顔に、シャリルも静かにはにかむ。

 彼が荷物から包みを取り出して、中身を皆にわけて配った。

 シャリルも自分でもわかってはいるみたいだった。このサンドイッチに挟まってるハムだって、こうなる前は生きた動物だったのだから。

 人間は常に、大自然に命を譲られて生きている。

 確かに取り過ぎはよくないし、乱獲すれば種が絶えてしまう。

 ただ、だからといって環境問題のためにイクスをさらうのは言語道断だ。


「……あの、チーズと、ハム、ですね……あと、野菜が」

「いいさ、シャリル。さっきの話はもう終わり、一緒に食べようよ」

「時々、わからなくなります。何故、人は必要以上のものを求めてしまうのでしょう。私もそういう人の一人です。……ハーフエルフでも、同じ人間です」

「うん。伯爵に会ったら聞いてみたらどうかな?」


 なんとなく、キルライン伯爵の答えはわかっているような気がする。

 あの人物はシャリルとは違う、自分の妄念に凝り固まった自己陶酔型の人間だ。そう、エゴと欲の塊みたいな人間なのだとヤイバは思う。

 皆がシャリルのような温厚な人間ならば、話せばわかるのだから。

 でも、伯爵には話が通じない。

 言葉は通じるのに会話が成立しないのだ。

 そのことをでも、シャリルには黙ってヤイバもサンドイッチを食べる。


「……なんの肉だろう、このハム。自宅警備員の主夫としては気になるなあ」

「野菜もこれ、レタスやキャベツではないですね。……赤い葉っぱです」

「でも、めっちゃ美味しいじゃん! あーしは好きだな、これ。チーズだけは万国共通……のような? うーん、わかんないけどうめぇ!」


 ブランシェも「おいひい」と一生懸命食べ始めた。

 シャリルもいつもの笑顔に戻ったので、話はそこまでということになったのだった。

 ただ、ヤイバの中で解決すべき問題が一つ増えた。

 伯爵を問いただし、シャリルの生真面目さに向き合ってもらわねばと思うが……どうにもあの奇人とは会話する自信がないのだった。

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