第38話
ヤイバは不思議な感覚に包まれていた。
まるで自分が散らばり千切れるような、世界に拡散して溶けるような感じだ。
光の回廊を今、落ちているのか昇っているのかもわからない。
ただ、握ったブランシェの手だけが熱かった。
そして、世界線を超える。
異世界に今、再びヤイバの肉体が構成されて精神と人格がリブートした。
「ふう、ここが……異世界」
闇夜に、魔法の光が細く消えてゆく。
数秒後には、あっという間に周囲は真っ暗になってしまった。
時刻は夜、見上げる空に瞬く星は、何一つ星座をかたどらない。
見知らぬ世界だと感じつつも、徐々に暗がりに目が慣れてゆく。
「ええと、ヤイバ? すこし、いたい」
気付けばヤイバは、随分強くブランシェの手を握っていたようだった。
慌てて手放すが、ガシリとブランシェは脚にしがみついてくる。
彼女にとってはここは故郷だが、あまりいい思い出がないのかもしれない。静かな夜に、星明かりと虫の鳴き声。どうやら周囲は原生林のようだ。
先に飛び込んだチイやカホルの姿は見当たらない。
「……ブランシェ、ここがどのへんかわかる?」
「んーん、しらない」
「なにか明かりを灯す魔法とかは」
「まって、いますぐ明るくする」
ブランシェの手の甲に、魔法の刻印が光る。
刹那、巨大な落雷が周囲を照らした。
一瞬、ほんの僅かな時間だけ真昼のような光景が白く広がる。
だが、見えるのはどこまでも続く森ばかり。
自分たちはどうやら、大自然の真っ只中にいるようだった。
「ブランシェ、ありがとう。でも、そういう大きい魔法は使う前に言ってね?」
「わかった、気をつける」
「さて、と。まずは二人と合流したいな。同時に魔法陣に入ったんだから、近くにいる筈なんだけど」
だが、近づいてくる気配は仲間たちのものではなかった。
ドシリ! と強い足音に、鼻を突く獣臭。バキバキと木々を薙ぎ倒すようにして、巨大な影が暗闇から姿を現す。
ほのかに照らす星の光が、映し出す巨影で教えてくれる。
ここは本当に異世界、月のないイクスたちの世界なのだと。
眼の前に突然、巨大なモンスターが現れた。
「っ! ブランシェ、こっちへ!」
それは恐竜、否……まさしく竜そのもの。
畳んだ翼を広げて吼える、巨大な飛竜が目の前に現れていた。
一狩り行こうぜ! 的なやつで、前肢が翼になっているタイプだ。いわゆるドラゴンではなく、ワイバーンといったところだろう。
だが、それは些細な差異、問題じゃない。
ヤイバは突然、とんでもなく巨大なモンスターとエンカウントしてしまったのだった。
「これ、知ってる。ワイバーン。とっても、珍しい」
「そ、そうなんだ? ええと、とにかくブランシェ! 逃げよう!」
この森の住人の中でも、ひときわ物騒なやつに出会ってしまったらしい。
ナイフを抜く間も惜しんで、ヤイバは小脇にブランシェを抱えて走った。
同時に、背後が熱く明るくなる。
天地に開かれた顎門の奥底、ワイバーンの喉から苛烈な炎が込み上げた。それは灼熱のブレス。ワイバーンから、苛烈な火球が放たれた。
瞬間、再びヤイバはナイフを抜いて、振り向きざまに切り払った。
「す、凄い……ああいうのも全部、魔法判定として認識してるんだな。このナイフは」
――スペルスレイヤー。
出発直前、母のミラが教えてくれた。それは封印されし禁忌の刃、魔法使いが最も恐れる武器だ。故に、イクスが厳重に管理し秘匿してきた武器である。
端的に言えば、スペルスレイヤーは魔法を切り裂き無効化できる。
魔法のかかった防具や道具なども、あっさりと破壊することができるのだ。
反面、魔法しか切れない……不思議と、紙一枚切れないのだ。
魔法および魔法が付与されたもののみを切り裂く不思議な魔剣である。
灼熱の吐息はバラバラに飛び散って、周囲がほんのりと明るくなる。その奥から、援護の矢が飛んできた。
「ヤイバ君、大丈夫ですか? 私とカホルさんはここです」
「そしてぇ、あーしが、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」
チイの放った矢が就き立ち、わずかにワイバーンがよろける。
そこへ寸分たがわず狙いすまして、カホルの飛び蹴りが突き刺さった。
致命傷とまではいかないようだが、ワイバーンが悲痛な叫びを張り上げる。
流石はイクスが秘蔵していた武具の数々……強固な飛竜の鱗と甲殻を、なんなくチイの弓矢は突き破った。カホルの滅茶苦茶な謎カンフーに関してはもう、なにも言うことはない。
だが、一番近くで追撃の拳を振りかぶったカホルが止まった。
大げさなテレフォンパンチを、彼女は振り下ろさずにそのまま下がる。
「待って、ヤイバっち! チイたんも! ……この子、お母さんっしょ!」
お母さん。
その言葉に一瞬、両手にナイフを抜刀していたヤイバも動きが止まる。
二の矢をつがえていたチイも、物陰から姿を現した。
スナイパーが身をさらす、それは既に戦闘が終了していることを示していた。
ワイバーンの方も、既に戦意を失いつつも低く唸る。
その背後から、まるでひよこのように数匹の小さな竜が飛び出してきた。
「……ひな鳥、じゃなくて、ひな竜?」
「ヤイバっち、多分ここいらがこの子たちの住処なんだよ」
カホルは無警戒かつ無防備にひなたちに近づいた。ひなといっても竜の子供だ、かなりの大きさがある。乗って走れそうな程に大きく、ちょっとした軽自動車みたいなサイズだった。
だが、人懐っこくカホルを出迎え、ひなたちはピィピィと鳴き出す。
どうやらヤイバたちは、こちらへの転移で竜の巣近辺に無断侵入してしまったらしい。
そう思っていると、ブランシェがとてとてとワイバーンに近づいた。
「あぶないよ、ブランシェ」
「ん、大丈夫。わたし、この子の傷をなおしてあげたいの、かも、しれない」
ブランシェがイクスから奪った魔法の一つ、回復魔法。イクスの話では、いわゆる教会の力、神の力を借りて発動する法術とは別系統のものだ。対象の細胞や新陳代謝を強化し、治癒力を高めるのである。
ブランシェがその手を伸べて、光がほんわりと浮かび上がる。
あっという間にワイバーンの傷口はふさがり、刺さっていた矢がぽとりと落ちた。
「これで、いいかも」
「それに、全員合流できたね。チイ、カホルも怪我はない?」
「私も先程カホルさんと合流したところです」
「ばっちしOK! いつでもいけるしー!」
紆余曲折を経て、どうにか仲間たちとまた合流できた。
その頃には目も慣れてきて、周囲が手つかずの樹海となって広がっていることをヤイバは知った。こっちの世界にもまだ、人の手が入っていない土地がまだあるのだろう。
そして、ゆっくりとワイバーンが首を翻した。
ひなたちを連れて、その姿が森の奥へと消えてゆく。
一件落着かと思えたその瞬間、突如としてエンジン音が響く。それは夜空を覆うように強く響いて、暗い森を巨大な影が包んだ。
「いけませんね。早く逃げて……逃げてっ!」
咄嗟にチイが、矢を連続してワイバーンの足元に撃ち込んだ。それで混乱したのか、ひなたちは慌てふためいて四方に散って消えた。
直後に、空から落雷にも似た強烈な一撃が落ちてきた。
ヤイバは微かに火薬の臭いを感じて、ブランシェを庇いつつ身構える。
突如として空から、巨大な鉄杭が落ちてきたのだ。
それはニ度三度とワイバーンに殺到して、五発目が撃ち込まれた時点で断末魔が響き渡る。森の主にも思えた巨大な飛竜は、突然の襲撃であっけなく地に伏した。
同時に、ライトの光が無数に降り注ぐ。
空をみあげれば、巨大な船が空を飛んでいた。
「……ブランシェ、イクスさんは自分の周囲に言語翻訳の魔法を常に張り巡らしていたけど。ちょっと、やってみてくれるかな」
「その魔法、とれてる。やって、みる」
この異世界の人間との、ファーストコンタクトが始まる予感がした。
既にもう、ワイバーンは全く動こうとしない。
そして、無数のプロペラで浮かぶ飛空船の光が、残りの獲物を探すように森中を睨んで広がる。かなりの低空で、鳴り響く轟音の中に人の声が微かに聞こえた。
ロープが何本も降りてきて、それを伝って乗組員たちが降りてくる。
その声が、ブランシェの魔法のおかげでヤイバにははっきり聞き取れた。
「やったぜ、久々の大物だ!」
「この森ももう、駄目だと思ったがな。まだ狩り尽くしてなかったらしい」
「船長ぉ! クレーンのフックを! こりゃデカい……竜齢500年ってとこかな」
どうやら彼らは、竜などの原生動物を組織的に狩る集団らしい。
そしてヤイバは、それを悪徳だと断じて抗議する気にはなれなかった。何故なら、人間は他の生命をゆずってもらうことでしか生きていけないからだ。それでいて、大自然の食物連鎖からは大きく外れてしまった存在でもある。
ヤイバの世界でだって、捕鯨による鯨の絶滅危機などが叫ばれた時代もあった。
「お? ありゃ、なんでこんなところに子供が」
「船長、子供だ! 女の子が二人、いや、三人? それとボウズが一人! 人がいる!」
ナイフをしまって敵意がないことを表明しつつ、ブランシェと一緒にヤイバは歩み出る。これが、初の異世界大冒険の一歩、捕竜船ミネアポリントン号との最初の出会いだった。
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