第33話

 衝撃の放送で、世界に激震が走った。

 にもかかわらず、ヤイバの日常はさほど変わらない。

 あれこれ説明したあとで、ミラは激務が祟って寝入ってしまった。夕食の買い物ついでに、チイとカホルを送ってゆく。

 いつもの商店街は、驚くほどに平凡そのものだった。

 まるで、月への移住という映画を見終わったあとみたいである。


「……そんなに混乱してないですね」

「それなー! あーしもびっくり……ほら、ハリウッド映画とかだとパニックになるじゃん?」

「多分、話のスケールが大きすぎてみんな実感がまだないんじゃないかな」


 もしくは、妙な納得感を得ているんだとヤイバは思った。

 誰もが皆、日々の中で感じていたのかも知れない。

 この星の、地球の限界が近いことを。

 相次ぐ異常気象、豪雨と水害、酷暑の夏。

 声高に叫ぶ環境活動家からも、そっと目を反らしてきた。

 それでも、皆が心のなかでどこか予感を秘めていたのだろう。


「ま、それにしたってやり方というものがあるとは思うけど」

「ん、ヤイバっちは不満? あれかー、男の子はやっぱり隕石落としたりコロニー落としたりする方が好きかー」

「いやいや、カホル。それはアニメの話だし、地球環境に対してはむしろトドメになりかねないよ」

「そなの? じゃあ、あの赤い人って馬鹿なの? なんであんなことしたのさ」

「手段と目的がチグハグになっちゃうんだよ、革命家ってさ」


 そんな話にうんうんとついてきてるあたり、チイもガンダムを見るのだろう。というか、ちっちゃい頃はチイの方がアニメや漫画に詳しかったように思う。一緒にゲームもしたし、幼馴染だからほぼ毎日彼女はヤイバの家にいた。

 小学校三年生くらいまでは一緒にお風呂にも入っていた。

 それはそれとして、杖をつくイクスは少し前をゆっくり歩いている。

 彼女も周囲の光景を見渡し、少し驚いているようだった。


「なんじゃ、妙に空気が凪いでおるのう。普段通りの活況じゃわい」

「あ、イクスさん。なにか食べたいものとかあります? 母さんもダウンしちゃってるし、夕食はお刺身にしようかなと」

「オサシミ?」

「魚です。魚を生で食べるんです」

「なんじゃと!? ……そういうの、アリなのかや」

「和食では普通ですね。貝とかも生で食べますよ」

「よほど新鮮なとれたての魚介なんじゃろうなあ」

「冷凍技術とかが発達してますからね。保存方法が凄いんですよ」


 新発見、ハイエルフは生魚は食べない。

 多分、彼女の世界はよくある中世ヨーロッパのような世界観なのかもしれない。一口に中世といっても幅があるし、ヨーロッパも国によって様々だが。

 ただ、ゆっくり歩きながら商店街を見て回るイクスは、少し楽しそうだ。

 彼女には地球脱出も月への移住も、あまり関係がない。

 異世界の人間、それも3,000歳のエルフなのだから。


「ふうむ、刺し身……この歳になってまだ、食べたことがないものがあるとはのう」

「ちょっと奮発して、お刺身にお吸い物……ああ、手巻き寿司とかもいいかな」

「テマキ=ズシ? あ、昔ツルギが言っておった寿司とかいうやつじゃな」

「ええ、まあ」


 ふと、ヤイバの足が止まった。

 自然とつい、チイとカホルの影に下がってしまう。

 負い目がないと思っていても、実際にはこういう感じで後ろめたい。親から学費を出してもらってるのに、不登校を続けているからだ。

 そして今、前の方からクラスメイトの男子たちが歩いてくる。

 その中に、ヤイバと因縁浅からぬ少年の姿があったのだ。


「おっ、委員長じゃん。カホルも。……ありゃ、ヤイバもか?」


 当たり前だが、見つかってしまった。

 茶髪に染めて体格の良い男子で、確か藤村とかいうやつだったと思う。下の名前は知らないし、ニ年生になってクラス替えがあった直後にヤイバが事件を起こしたからだ。

 藤村なにがしとその取り巻きは、一緒のイクスにも目を向ける。

 すかさずイクスは、服の下で二の腕を小さく光らせた。


「ありゃ? ここにもう一人女の子がいたような……婆さんだな」

「しっかしいいよな、ヤイバ。今日もモテモテじゃんかよ」

「母ちゃんも美人だし、前世でどんだけ徳を積んだんだよ」


 どうでもいい言葉が投げかけられるが、ヤイバは驚いた。

 イクスはいつもどおりの可憐な美貌だが、彼らにだけは老婆に見えているらしい。まあ、実際高齢者なのだが。それも、とてつもなく時を重ねてきたハイエルフなのだ。

 その尖った長耳も今は見えないらしく、イクスは少年たちをぐるり見渡す。


「なんじゃ、ヤイバの友かや? ワシは今、ヤイバの家で世話になっとるもんじゃよ」

「お、そっか。……いやなんか、でも確かにもう一人」

「こんな老いぼれしかおらんよ。今は買い物中で、チイとカホルを送ってくとこじゃよ」

「へえ。それでも両手に花ってか。いい身分だよなあ、ヤイバ」


 くだらないやっかみだと思った。

 それ以前に、チイやカホルと一緒にいてなにが悪いのか。

 藤村とかいう少年に、なんらかの不利益が発生しているのだろうか。

 そのへんに関しては鈍いヤイバだったが、あの日のことはよく覚えている。

 そしてその記憶は、次の一言で発火した。


「カホルよー、おめーも派手に遊んでんなら俺らとも絡めよな?」

「知ってんだぜー? お前よく学校サボってアチコチ行ってるらしいじゃん」

「少しは委員長を見習えよな。尻が軽い女は嫌われるぜ?」

「俺は嫌いじゃないけどな、そういうの」


 いい年して、中学生レベルか。

 ヤイバは鮮明に思い出した。

 あの日、自分は結構迂闊な人間だと思い知らされたし、暴力は嫌いだがなかなか悪くはないものだと感じたのだ。

 そんなヤイバが思わず拳を握ると、藤村が鼻を鳴らす。


「よせよせ、ガチでやったらお前なんかに負けないんだからよ。それとも、前みたいにいきなり殴ってくるのか? 喧嘩もしらないお坊ちゃんがよ」


 あの日もカホルは侮辱を受けた。

 長身でスタイルもよく、金髪に小麦色の肌はとにかく目立つ。そういうところをギャルだからといじる奴は、本当に見てて恥ずかしくなるくらいだ。

 母のミラのことをアレコレ詮索されるのも嫌だった。

 率直にいって、腹が立つ。

 で、短絡的にヤイバは以前、藤村を殴ったのだ。

 チイが止めてくれなかったら、ニ度三度と拳をふるったかもしれない。


「藤村君、根拠のない話でカホルさんを辱めないでくれますか?」

「だってよー、委員長。こいつ噂になってるぜ?」

「その噂に根拠がないと言っています」

「へーへー、優等生にはかなわねえな。おい、行こうぜ」


 いわゆる不良崩れの半端者たちが、やいのやいの言いつつ横を通り過ぎてゆく。

 今回はかろうじて我慢できたが、ヤイバは心底嫌になった。

 言い返せない自分にも、すぐ暴力に頼ろうとする自分にもだ。

 意外と自分は直情的で、短絡的なところがあるらしい。

 カッとなって手がでるようでは、連中以下の幼稚な人間だ。

 だが、握った拳をそっとイクスが手でつつむ。


「金持ち喧嘩せず、じゃよ。よう我慢したの、少年」

「イクスさん、僕は」

「ああいう連中は冒険者にも多かったからのう。まあしかし、チイもカホルも気にするでない。この数日でワシはようわかっておる。二人共素直で優しいいい子じゃよ」


 そう笑いつつ、そこは異世界のハイエルフ。

 ついついいらないことまで言ってしまう。


「それに、二人共ちゃんと純潔を守っておるではないか。ワシにはわかる、二人共ちゃーんと処女じゃよ。男遊びするような人間ではなかろう」

「ちょ、イクスさんっ! ヤイバ君の前でなんてことを! ……は、恥ずかしい」

「あっ、あったりまえだし! あーし、こう見えても身持ちは固いんだから!」


 チイは何故か、ヤイバをちらりと見て赤面にうつむく。

 そんなチイを上目遣いに睨んで、カホルも真っ赤になってしまった。

 ヤイバはヤイバで、ちょっと落ち着かない。

 イクスだけが不思議そうに小首を傾げるのだった。


「まあ、あんなつまらん男たちの言うことなど、気にする必要はなかろう」

「それはまあ、そうなんですが」

「ワシも千年前までは、それはもう好機の目でみられてのう。……なんじゃろうな、エルフってそこまで面白いもんでもなかろうに」


 だが、そういうイクスが抜群の美しさなのは事実だ。

 まるで神々が作った美術品のような美貌、そして理知的で優しい人格。小柄な矮躯にはアンバランスな、その肉付きの良さ。

 そんな彼女は、確かに無数の異性を振り向かせてしまうだろう。


「まあでも、3,000年生きてればどうでもよくなるもんじゃよ。なにせ人間、ワシより先に死ぬしの、ホッホッホ」

「うわ、エグい悟りかたしてる。エルフ同士ではどうなんです?」

「エルフはのう……男も女も、情欲が薄いのじゃよ。それもあってか、少数民族じゃし、今はもう絶滅してしまったわい」

「なるほど、あとさっきのは」

「ああ、認識阻害の魔法をつかってみたんじゃが、奴らにはワシは老婆に見えたじゃろうて。よいか、少年。チイもカホルも。ああいうつまらん人間に時間を使ってはいかん。怒り憤る時間すら惜しい。なにせ、人間の寿命は短いからの」


 そう言って笑うと、またてくてくとイクスは歩き出す。

 それもそうだとヤイバも思った。これから人類全員で月に行こうって時に、同級生をからかって面白がってるような連中の小ささときたら、どうしようもないものだった。

 イクスの言葉で、不思議とヤイバは心が軽くなった気がした。

 だが、彼は一つだけ気付けていない。

 背後でチイもカホルも、耳まで真っ赤になりつつ……ほのかな恋心を熱くしていることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る