第31話
その日、イクスが厨房に立った。
居候らしく、せめて昼食でも振る舞おうという話らしい。
だが、それがヤイバにはほんのりと心配だ。
例の転送空間、四次元ポケット的なのから怪しいアイテムが大量に出てくる。
「いやあ、包丁を握るなんて久しぶりじゃのう!」
嫌なの予感しかしない。
というか、あれは有名なマンドラゴラとかいうやつでは?
大小さまざまな瓶がならんでるけど、それってなんです?
紫の小瓶、どう見ても毒みたいなイメージなんですが?
でもまあ、イクスの気持ちが嬉しくてヤイバも一緒に並んで立つ。近代の台所では機械も多いし、ちょっと見ててあげないと不安でもあった。
「で、なにを作るんです? イクスさん」
「うむ、ホラホロイッチャじゃよ」
「ホ、ホラ? え、えっと」
「ホラホロイッチャというのは、エルフの伝統料理じゃな」
「……人間でも食べられますかね」
「なにを言うとる、ワシのホラホロイッチャは評判だったぞよ。……ま、まあ、得意料理といえばこれくらいしかないんじゃが」
とりあえず、冷蔵庫を解放して食材を選ばせてみせる。
イクスがチョイスしたのは、玉ねぎとじゃがいも、ニンジンだ。
多分、シチューかポトフみたいなものなのだろう。
今日のお昼は、イクスと二人でホラホロイッチャ。
いったいどんな料理なんだ、ホラホロイッチャ。
そう思いつつ、野菜を軽く洗ってあとはイクスに任せる。
「肉はなにがいいかのう」
「レンジで解凍すれば、豚も鶏もストックがありますけど」
「折角じゃから、少年! 異世界の肉を食ってみたくないかや?」
「え、あ、いや、まあ……」
「っと、おお! これは……まだこんなものが残っておったか」
ずらりならんだ異世界食材。
その中から、イクスはなにかの包を取り出した。
なにかの肉のようだが、魔法の紋様を刻んだ御札でグルグル巻きになっている。鮮度を保つための魔法かなと思ったが、そのようなものらしい。
なんの肉かは怖くて聞かないようにしたが、笑顔でイクスはそれを開封する。
「これはの、ドラゴンじゃよ。龍齢500年くらいのストームドラゴンでのう。退治するのに難儀したもんじゃ」
「ド、ドラゴンて……」
「龍は皆、高度な知性と力を持っておる。自然界において最も神に誓い存在、それがドラゴンじゃ。ストームドラゴンは気まぐれで嵐を巻き起こし、城塞都市も一瞬で瓦礫の山よのう」
「た、倒したんですか、それを」
「説得したんじゃが、魔王側につくというのでしかたなくの。ヤイバとミラが大活躍じゃった……もう200年も前の、ふふ……冒険の思い出じゃよ」
こっちの世界では20年前だ。
突然失踪した少年少女が、数カ月後に突然帰ってきた。
異世界で一年くらいの旅をして、そして二人は結ばれヤイバが生まれたのである。
そう思うと、このドラゴンの肉も亡き父の忘れ形見のようなものだった。
「えっと、下処理とかは」
「世界樹の葉で清めてあるから大丈夫じゃよ。これは希少部位での、ドラゴンの逆鱗の下肉なんじゃ。うんまいぞう!」
「はあ」
イクスはなんだか、見てておっかなくなるくらい危なっかしい包丁さばきだ。それでも、野菜を不格好にざっくり雑に切り、ドラゴンの肉にも包丁を入れていく。
なんとなく横から見てると、ちょっと高級霜降り肉っぽく見えなくもない。
綺麗にさしが入ってて、それは今もプラチナのように輝いている。
イクスは鍋に油をしいて、ガラゴロとぶつ切りの肉と野菜を軽く炒める。なんの油だろうか、とっても香ばしくていい匂いが広がった。
さらに、謎の小瓶を三つか四つ、ササッとそれで味付けしてあとは少し煮込むという。
「よし、これで待つだけじゃな!」
「これが……ホラホロイッチャ?」
「以前ヤイバたちにも聞いたが、こっちの世界にも似たような料理があるらしいのう」
「強いて言えば、肉じゃがかなあ。ドラゴン肉じゃがかあ、豪勢だな」
ご飯は昨日の残りを温めて、スープはインスタントで済ます。
今日のランチは、ちょっとした異世界体験になりそうだ。
普段ヤイバが使ってるエプロンがちょっと大きすぎるのか、それを脱いでイクスはふうと一息つく。結構長い間立っていたが、少し疲れたのだろうか。
彼女はコンロの火を恐る恐る調節して、便利なもんじゃと呟き居間に戻った。
町内放送がスピーカーを通して響き渡ったのは、そんな時だった。
『本日13時より、内閣府よりの緊急放送があります。町民の皆さんは必ずテレビかラジオで確認するようにしてください。繰り返します、本日13時より――』
例の、朝にミラが言ってたやつだ。
ちらりと時計を見上げれば、あと15分ほどで13時である。これというのも、イクスの料理の手際が恐ろしく悪かったからだ。見ててすぐに手を貸したくなったが、せっかく御馳走してくれるとのことで、助力は最小限にしたのだ。
お陰ででも、鍋からいい匂いがただよってくる。
その香りに満足気に鼻をひくつかせると、イクスは座布団の上に倒れ込んだ。
「ふいー! 久々に疲れたわい。腰が……にはは、ワシはやっぱり妻や母親ができんやつじゃのう」
そんなことはないと思うし、やってた時期もあると朝に聞いた。
ヤイバもテレビをつけながら、ホラホロイッチャとやらが仕上がるのを待つ。
「そうじゃ、少年! ちと腰を揉んでくれんか?」
「ああ、はい。いいですよ」
「強めに頼むぞよ。――あー、そこ、そこじゃ! んー、極楽じゃのう」
なんとも華奢な腰で、力を込めれば折れてしまいそうだった。
そんなイクスの柳腰をもみつつ、ヤイバはテレビをちらりと見る。
まだお昼のワイドショーをやってるが、どうやら大事なお知らせがあるらしい。ミラの仕事とも関係のあることで、日本のみならず世界各国でも同じ話らしい。
スマホで見たが、どこの国でも謎の緊急放送にざわついていた。
「なにやらテレビとかいうの、騒がしいのう。なんじゃろうなあ、緊急放送て」
「さあ」
「んっ、ん……そ、そこじゃあ、もちっと上を、こう、ぎゅっと」
「はいはい、ここですね?」
「おっふ……ああ、だいぶ腰が楽になってきたわい」
そうこうしていると、例の緊急放送とやらが始まる。
ミラが言ってた通り、どのチャンネルでも同じ番組だった。政府広報のマークと文字が写り、総理の顔に切り替わる。
露骨に緊張しているのが伝わる。
読み上げる文章を手にした総理は、震えていた。
同時に「お、そろそろじゃな!」とイクスは起き上がるや、キッチンに行ってしまう。
どうやら彼女には、この世界を揺るがす大発表は気にならないらしい。
『日本国民の皆様、本日は重要なお知らせがあります。是非、周囲の方もさそって、皆様全員でこの放送をご覧ください』
もってまわるなあと思ったが、ぼんやりとヤイバはテレビを眺める。
そんな彼の予想を上回る、誰もが予想できないような事実が発表された。
『本日、国連に地球再生準備機関ユグドラシルが設立されました。この組織は、悪化する地球環境を再生するために、地球人類を50年かけて月に移住させる目的で活動しております』
は? 今、なんて?
でも、確かにミラもそういう仕事をしてると言ってたし、今や地球は温暖化を通り過ぎて沸騰中だ。排出される二酸化炭素の影響で、南極北極の氷は溶け、季節風は蛇行して天災を振りまいている。
だからといって、月に全人類を移住させるというのは、とてつもないプロジェクトだ。
『ユグドラシルはあらゆる国家を上回る権限が与えられ、常任理事国の拒否権も凍結されました。そして、国連非加盟の国の人間でも、優秀であればスタッフとして参加できます』
ようするに、地球規模の超々法規的組織ということだろう。
まるで漫画かアニメのような話だ。
『我々人類はこれから国境を捨て、イデオロギーを忘れねばなりません。そうして半世紀かけて月に移民し、地球を一度自然に戻すしかないのです。ユグドラシルの研究による経産では、このまま人類が地球で現状の文明を維持し続けると――』
――あと数百年で地球は滅びる。
まあ、そうだろうなとヤイバは思った。
このところの異常気象は危険だし、どんどん地球環境は変わってゆく。今まで毎年同じ季節に捕れていた魚や野菜が、全く手に入らなくなったこともあるのだ。
毎年大水害に見舞われる国、ハリケーンが多発する国、海面上昇で水没しつつある国。
その先にあるのは、約束された滅びらしい。
実感はわかないが、実態は嫌と言うほど思い知らされていた。
ここ数年の酷暑を思い出せば、ヤイバもなるほどと思わざるをえない。
「少年、できたぞーっ! ささ、ワシのホラホロイッチャを食べるのじゃ。……少年?」
「あ、ああ、はい。すみません、ちょっとぼーっとしてて」
「テレビとやらはなにを言ってるのじゃ?」
「いや、なんか月にお引越しするって話らしいです。人類全員で」
イクスは小首を傾げたが、すぐに笑顔でテーブルに料理を並べる。
思った通り、ホラホロイッチャとやらはビーフシチューとポトフを足して、肉じゃがで割ったような料理だった。
いただきます、と手を合わせて箸を伸ばせば、未知の美味がヤイバを包む。
ドラゴンの肉は高級国産牛もかくやという、なんともいえぬ黄金の旨味を口の中に広げていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます