第23話「月の繭で眠れ、人類」
日曜日、快晴の朝にヤイバは目をかばった。
今日は日差しも強くて、初夏を通り越して真夏のような空気だ。
それでも、イクスやチイ、カホルとそぞろに歩けば、風は涼しい。
ゆっくりと杖を突いて進むイクスは、酷く上機嫌だった。
「こっちの列車は凄いのう! 蒸気ではなく、電気で動いておるのかや」
「イクスさんの世界ではまだ、汽車なんですね」
「うむ。電気よりも石炭による蒸気とか、ガスとかがまだまだ主流じゃよ。……むむ! なんぞあれ! 少年、あれ! あれっ!」
酷く興奮して、ともすれば駆け出しそうな程にイクスははしゃいでいた。
彼女が指差す先には、巨大な紅白の鉄塔がそびえたっている。
青空を貫く、それは東京タワーだ。
東京都といっても、ヤイバたちが暮らしている23区の外は片田舎もいいところで、こうして電車で都心部に出てくると人混みに驚くばかりである。
「あれは電波塔です。今はもう、スカイツリーがあるので電波は出してませんが」
「なるほど! あれでラジオに電波を送っておるのじゃな……なんと大きい」
「なになに? エルフさんてば東京初めて? ほら、あっち……微かに見える、あれが東京スカイツリーだし!」
カホルが指差す先を振り返って、イクスは「おおー」と目を丸くする。
他にも、行き交う大勢の人々に驚き、自動車やバスにも言葉を失う。
そうしているうちに、今日のイベントの開催場所にたどり着いた。
駅から歩いて数分、看板には「アース・フェスティバル」と書かれている。今流行ってるSDGs関連の展示も多数あるらしく、やや意識高めな印象だ。
でも、出店や屋台で賑わってるし、どこかの企業のゆるキャラが風船を配ってる。
この暑い中でも、着ぐるみのゆるキャラはイクスをみつけて風船を差し出した。
「やや、これはありがたい。素敵なおくりものだのう。……なぬ、タダじゃと?」
「かなり賑わってますね。ヤイバ君、おば様の会社の展示は」
「ああ、ちょっと奥まった方かな。メインステージの近くだ」
カホルが自撮りでゆるキャラとのツーショットを撮り終えるのを待って、一行は再び賑わう中を歩き出す。
自然と皆が歩調を合わせて、ゆっくりとしか歩けぬイクスを人混みから守った。
半ばボランティアみたいなことをさせてしまっているが、チイもカホルもそれなりに楽しんでいるようだった。
「チイたんさ、化粧水とかなに使ってるの? せっかく都会出てきたんだし、あとで色々見に行こーよ!」
「私は化粧品は特に……母と同じものを適当に使ってますが」
「えっ! ちょ、マジ!? シャンプーは? トリートメントは!」
「近所のスーパーで適当に買ってますね」
「肌つやつや、髪さらさら……さてはオメー、天性の美少女だな!」
「いや、そういう訳では。でも、他にも本屋とかもまわりたいですね」
そうこうしている間も、イクスはあちこちの企業の展示に目を奪われていた。ヤイバたちも喜んで寄り道に同行し、科学の最先端や地球環境の現状なんかを見て回る。
思ったよりも、砕けた気楽なイベントの印象だ。
そして、イクスにはどれも刺激的で興味的なものばかりである。
「見よ少年! あのオートモービルは水素で走るらしいぞよ?」
「ええ。あっちはソーラーパネルを積んでるから太陽光発電ですね」
「なんと……おひさまから電気が。確かに熱、カロリーはエネルギーじゃから……しかし、どうやって電気を。っていうか、こっちの世界電気凄すぎなのじゃあ」
そうなのだ、特に日本は世界でも高レベルのインフラが整理されている。
反面、先日のように変電所を襲われると大規模な停電で大きな損害が出る。今はオール電化の家庭も少なくなく、地震等の災害には酷く弱い。
加えて言うなら、電力需要も高まっているので、電力会社は大変な思いをしているのだった。
そうこうしている間に、予定より遅れて母の務める企業のブースに到着する。
そしてヤイバは、ああまたか、と顔を手で覆った。
「あらヤイバ! イクスも、チイちゃんも。そっちはカホルちゃんね。いらっしゃーい!」
何故かそこには、水着で日傘を持った母の姿があった。
どうしてこの人、露出度が無駄に高い日々なんだろうか。
これには理由があるとばかりに、ミラは言い訳を並べ始めた。
「頼んでたコンパニオンの子がね、一人欠員が出ちゃって。あたしもさあ、三十路にこれはキツいって言ったんだけど……ニハハ、これでも研究員待遇なんだけどなあ」
まあ、自分で言わなければミラの美貌はまだまだ若々しい。
それはヤイバも認めるところだが、やはり実母が大胆なハイレグ姿で客たちの対応をしてるのは、見ててなんとなく気恥ずかしかった。
と、その時イクスがひときわ素っ頓狂な声をあげる。
彼女がしがみつくようにして身を乗り出す柵の先に、青い水の星が浮かんでいた。
「……これが、少年たちの星かや? 確か、そう……地球」
「あ、うん。イクスさん、地球は見るの初めて?」
「いんたーねっと、とかいうので地図は見たがのう。やはり世界は丸いのじゃなあ」
そこには、3Dの立体映像で地球儀が宙に浮かんでいた。
大きさは直径2m前後だが、とても精巧に作られている。
早速ミラが、展示物の説明をしてくれた。
「これはアプリを使って、リアルタイムで地球環境を見ることができるシステムよ。例えばそうね……過去百年の森林の減少傾向を表示とか」
母がタブレットを操作すると、眼の前の地球が綺麗に色分けされた。
そして、緑で表示されている土地がどんどん減っている。恐らく1秒で1年程度のスピードだろうか、数分とたたずに緑の土地は激減していた。
特に南米が酷いが、同時に砂漠化した土地を表示すると結構エグい。
「まあ、うちはちょっと今は各国と大きなプロジェクトやってるからね。因みにこれ、こういう遊び方もできるんだよ、っと」
元のリアルな地球に戻った立体映像の、その一部分が拡大されて空中に切り取られる。初めて見るが、空中にウィンドウが浮いていた。
見慣れたその列島国家は、日本だ。
「おおう……これが少年たちの住むこの国かや?」
「そうよ、イクス。で、ここが東京都。あたしんちは23区外の……ここね」
どんどん拡大を繰り返すと、見慣れた一軒家が真上から見えていた。
ヤイバの自宅である。
今現在の画像そのものらしく、この地球儀の立体映像は完全にリアルタイムの地球を再現しているとのことだった。
「えっ、なになに? あーしの家は?」
「はい、カホルちゃん。このタブレットの、ここを操作してみてね」
「あざす! えー、ヤイバっちのママ、滅茶苦茶美人じゃん」
カホルがグリグリいじると、皆が通っている高校や最寄りの駅、昔ながらの商店街も綺麗に映り出す。チイもタブレットを借りると、外国の今この瞬間をあちこち取り出した。
無数のウィンドウが並ぶ中で、イクスはほえーと瞬きしかできなくなっている。
「こ、これは凄い地形じゃなあ」
「アメリカのグランドバレーですね」
「あ、こっちにも、ええと、東京タワー? 電波塔がありよる」
「これはパリのエッフェル塔」
「凄いのう! これは凄い発明じゃ! ……やはりもう、魔法は必要ないのう」
どこか寂しそうな、それでいて安堵したような声だった。
イクスの世界でももう、近代文明が始まっている。産業革命を経て、あっちの人類もヤイバたち21世紀の世界を追いかけ始めた。
だからもう、全ての魔法を封印するとイクスは決めたのである。
あらゆる亜人が滅んだ世界、人間だけの世界が既に始まっているのだから。
「ミラや、この地球は凄いのはわかるんじゃが」
「ええ、ええ。これはあくまで、調査用のものでね。今の地球環境から逆算して、未来の地球を表示させることもできるのよ」
「……まあ、見んでもわかるような気がするぞ」
「そうよね。まあでも、今のままの文明を維持しながら暮らしていくと、百年後にどうなるかとか……視覚化しないと、結構わかってもらえないのよ」
ミラはそういって、こっそりヤイバたちにだけ教えてくれた。
大国を中心に国連とは別に、国境を超えた国際機関が動いているらしい。その組織の末端が、ミラの務める会社だ。
ようするに、地球環境の悪化を止めようという組織らしい。
なんだかんだで人類は、その叡智の数パーセントを良い方向に使えているようだ。
そして、その巨大な人類史上例を見ないプロジェクトの名は――
「Earth Life Force Project……地球環境の再生計画よ」
「では、おば様……地球に隕石を落とすとか」
「んー、チイちゃんはアニメの見過ぎかな? でも、当たらずも遠からずというか……しばらく地球には安静にしてもらう必要があってさ。あたしたち人類はだから、当分お引越しの仮住まいということなの」
まだまだ計画は始まったばかりで、数十年後の話だ。
人類は一時的に地球を放棄し、月に移住する。
そうでもしないと、地球は耐えられないところまで来ているのだ。蛇行する偏西風は世界各地に異常気象をもたらし、人口爆発は食料と真水の深刻な不足を呼ぶだろう。日本でだって、酷暑と呼べる日が続くかと思えば、突然の豪雨に悩まされたりもする。
地球は人類にとっては生命のゆりかごだが、限界があるのだ。
「ヤイバたちが大人になる頃には、ちょっとずつ月にお引越ししてもらうことになるかもね。ま、この計画がうまくいけばだけど」
「凄いのう……ミラ。ワシの世界には月がないから、うーむ……星の海に出るしかないかのう。こう、でっかい方舟を作って、みたいな」
「ふふ、でもねイクス。……こういう強引な手段を取らなきゃいけなくなる前に、もっと人類が頭を使ってればよかったのよ。そっちの世界、まだ近代が始まったばかりじゃない?」
「んむ。人間たちに期待するしかないのう。……そして、そんな世界に二度と魔法を解き放ってはならんのじゃ」
決意も新たに、真剣な表情でイクスが頷く。
その真っ赤な瞳には、眼の前の地球が綺麗に映り込んでいた。
突然の悲鳴が響いたのは、それにヤイバが見惚れていた時なのだった。
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