祓師奇譚

もりもり森

第1話 可哀なるエリンジウム


「―――――――、――――――――――。」


 閑静な教室で、教壇に立つ中年太りした男――内河治郎うちかわじろうがチョークの音をコツコツと響かせながら、淡々と黒板に文字を書き下ろしていく。

 チョークを持つ彼の指には、きらきらと輝く白金の婚約指輪が光っている。 


 (あんな教師やつでも結婚できるんだな)


 と彼に対して、いや彼のお嫁さんに対しても失礼なことを思いながら、窓の外に目を向ける青年――郷村京さとむらきょう


 郷村は嫌味では無く、彼と共に生きると誓った相手がいる事に純粋に疑問に思っていた……そんな事を考えるのは今日が初めてではないが。


 内川治郎。47歳。中肉中背。

 彼のように歳を重ねた故の膨よかな体型を持つ人々は何かと忌避されがちだが、彼はサッパリとした髪型や体型に合った綺麗なスーツ等、身なりに気を遣っている為か清潔感があり不潔には全く見えない。

 

 長年教師を続けているらしい彼は長年やっているだけあってか教え方が上手く、一歩二歩先へと進んでいる人達にとってはつまらない授業かもしれないが、一つ一つが丁寧で好評である。


 プライベートの話は得意ではないのか、公私混同しない主義なのか全くと言っていいほど自身に関しての話をしないが、そんなのは問題ではない。

 あちらも必要以上にこちらに詮索し肩入れする事がない為、身の上が少し特殊な郷村には気が楽だった。


 身嗜みを整え、指導の質も良い。

 

 ただ一つだけ――彼は人と話すことを嫌がる、と言うよりも怖がっている性質があると郷村は感じていた。

 

 郷村は子供達と関わる機会が比較的多い場所に居る。

 周りから見たらなんてことない動作の一つも郷村にとっては意思を示すサインになり得る故、目を光らせる程ではないがそこそこ確認する癖があり人の動きには過敏であった、だからこそ気づくことが出来たが。

 

 何かに怯え縮こまるような姿勢、蛇口を締めたあとの微かな水滴のようにポトリと喋る口、此方の機嫌を窺うような怯えた目つき。

 

 そんな性質を持っている彼が人を愛し愛される関係を構築することが出来た、そんな相手が誰なのかそして尊敬にすらなり得る、是非会って話をしてみたいものだ。

  

 そんな事を考える彼が鎮座する窓際の席から見える空は重々しい雲に覆われている。雨こそは降っていないものの、今にも振り出しそうな空模様。


  (静かだ) 

 

 静かでどんよりとした雰囲気が漂っている。

 今日ばかりは昼食後の授業にも拘わらず珍しく眠気でうとうとしている生徒が少ない……彼はそのような気がしていた。


 かくいう郷村も眠気が一切なく無く、寧ろ目が冴えている部類に入る。


 教壇に立つ教師は、午後の授業にしては珍しく目を開けている生徒達に対して驚いているのか、何時もの授業よりも少しノリノリ、というか張り切っているような様子が伺える。


 彼の熱量に応えるほどのノリに付き合う程、彼が好きでは無い郷村は授業をマトモに受ける気にはならない。

 郷村はを装うためシャープペンを動かす。が、その実態はノートの端に絵を描いているだけである。

 国民的な青いネコ型ロボット、最近流行ってるらしい小さくて……可哀相?な白い生物、色々なイラストを描いたが彼が思うようにならない。

 


 (へったくそ)


 彼なりに頑張って描いたつもりだが、絵が苦手な人特有の自信のない線画で、イラスト全体に弱々しさを生み出している。彼は自身が生み出した作品に鼻で笑いそうになった。

 普段から絵を描くことが好きなわけでは無い彼だが、こうも気分が乗らないと普段やらないことすらやろうとする、退屈とは魔物だ。

 

 

 (このまま夢中で描いていたら、流石に教師やつにバレる。この絵を見られるのは自分的に不都合はずかしいだ。)

 

 彼はハッとして、慌てて近くにあった消しゴムの丸角を使って生み出した作品たちを無に帰した。


 少し黒くなったノートから目を離して黒板に目をやると、前に立つ教師が熱血に教鞭を執っていた。

 郷村は熱気にため息が出そうになったが、何とか抑えて真面目に聞いているふりをしようとした、がなんだか面倒くさくなった。


 

 (もう寝るか)


 自身は真面目では無いから罪悪感は沸かない。

 眠くないからと言って、目を瞑っていればいずれ眠たくなるだろう、寝る子は育つ。よし。

 

 彼はそう理由をつけて少しだけ休憩することに決めた。


 机に対して俯せになっていると、になってしまうので、に見せかける為、頬杖をついて顔を少し下げ俯くような体勢になり彼はゆっくりと目を瞑った。


 

 (…今日はハンバーグだな)


 じめっとした天気には気分良くなる豪勢なものが良い、手の平から伝わるじんわりと温かい自身の体温を感じながらそのような事を考えていた。


 心地の良い温かさ、というのは不思議なもので先程まで感じることの出来なかった睡魔を呼び起こすことに成功していた。

 段々と遠くなる周りの音と薄れゆく意識が彼を夢の世界へ連れていこうとしていた。


 

 「――――、――――――――」


 紙同士が擦れる人によっては安らぎになりそうな心地の良いその音を最後に、郷村の意識は完全に落ちた。

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