第44話 サンサーラ教団

 額を柔らかい何かが断続的に刺激する。


「…………!…………!!」


 誰かが遠くで何かを叫んでいるような……

 ペシペシペシペシ……

 なおも柔らかい棒のような物が僕の額を何度も何度も叩く。


「あ…おき! …じってば!」


 徐々に意識が覚醒し、遠くから響いていた声が近くなってくる。

 僕はゆっくりと目を開けると、目の前に巨大な肉球が見えた。


「おっ、あるじ! ようやく起きたか!」


 スピカ……?いや、この声と僕を呼ぶ敬称が”あるじ”って事はレオニスか。

 レオニスはペロッと僕の頬をひと舐めして僕の胸の上から降りた。

 僕は眠い目を擦りながら体を起こすと目の前の女性と目が合った。

 その女性は黒い縄のような物でぐるぐる巻きに拘束され芋虫のような姿をしたクーヤさんだった。


「や、やぁ! おはよう、よく眠れたかい?」


「うん、おはようございます」


 いたって普通な朝の挨拶を交わしたと思うが、寝起きの頭では現在の状況を理解できないでいた。

 彼女の腰にあたる部分には首にガマ口財布ぐちざいふをさげた黒猫がちょこんと座していた。

 ……こっちはスピカだな。


「あの、この状況は?」


 キングサイズのベッドには中央に僕がいてその横にレオニスが座ってて、目の前にはグルグル巻きに拘束されたクーヤさんがいて、その上にスピカが座っている。

 うん、まったく理解できない。


「俺様が説明してやるとだな、この緑髪がお前の寝込みを襲おうとしてやがったんだ」


 寝込みを襲うって……

 僕は未だ完全に起きていない頭でスピカの言葉を考え、改めてクーヤさんに目をやると唇を噛んで顔を真っ赤にした表情で明後日の方向を見ていた。

 えっ?まじで?


「ちょっ! ちょっと待ってくれ! 私にも弁明の機会を与えては貰え無いだろうか!!」


 彼女は縛られた体をジタバタと虫餌のようによじりながら必死に弁明を進言する。

 その異様な光景に僕は思わず「ど、どうぞ」と答えた。

 その瞬間、シュルっと小さな音を立てて黒い縄が消滅した。


 体の自由を取り戻したクーヤさんは「いやぁ、驚いた。まさか喋れるだけじゃなくて上位魔法ハイスペルまで使えるなんて…本当に驚いたよ、凄い猫だね」と感心した表情でスピカを眺める。

 スピカは「フンスッ」と鼻を鳴らしドヤ顔をしていた。


「なんだか自分でもよく分からないんだけどさ、君に興味が尽きないんだ! 恋とかそういった感情ではないと思うんだけれど、1番近い感情としては”使命感”のような……ああ、もうどう言ったら良いんだ?ともかく、君の事が気になって気になって仕方が無いんだ!」


 なんだか情熱的に口説くどかれているような気がしないでもないけれど…

 たぶん僕の持つ”破壊神の加護”に、彼女の持つ”爆雷の女神の加護”が何らかの反応をしているんだと思う。

 僕を殺さないといけないという使命感を無意識に感じてるんじゃないだろうか?

 だとしたら、ちょっと…いや、かなり怖いぞ。


 僕としては、正義感が強くて理知的で話し易い人だし仲良くできたら良いと思うけど、加護が原因で何か迷惑をかけそうで少しばかり不安だ。

 そして、その事実を知らずに奇妙な悩みにさいなまれているクーヤさんが不憫でならない。


「えっと、僕もクーヤさんと話をしていると楽しいし、仲良くなれたらいいなと思ってますよ」


 なるべく穏便に状況を解決する為に言葉を選んだつもりだ。

 しかし彼女が何を考えて答えをどう飛躍させたかは知らないけれど、彼女は僕の肩を掴んで叫んだ。


「いっそ! 結婚しよう!」


 唐突な求婚の言葉を受けて、僕は唖然とした。

 スピカとレオニスも目を大きく見開いて、親鳥から餌を貰う小鳥のように口を開いて止まる。

 まるでこの瞬間だけ、室内の時間が止ったように静寂に包まれた。


「俺様がゆるさん!」

「駄目に決まってんだろうが!」


 静寂を破ったのは、「娘はやらん!」と怒鳴る父親のが乗り移ったような剣幕で怒るスピカとレオニスだった。

 スピカの蹴りとレオニスの拳がクーヤさんの体に直撃し、「ぐはぁ!」と大袈裟な反応をしてベッドに倒れ込んだ。

 本気ではないと思うけど、面と向かって求婚されたのは初めてで…なんというか微妙な余韻の残る気分になる。

 ふとネイの顔が浮かび、僕もあの時これくらい度胸があればなんて、後悔に似た感情が浮かんで消えた。

 僕はアルフヘイムの夜を思い出し、底無し沼のような深みに嵌りそうになる自分の思考を振り払おうと頭を振った。

 そんな混沌に満ちた早朝の部屋に、その空気を一変させる報告が届いた。


「失礼します。お嬢様、大変でございます! マウリッツ様が教団に幽閉された模様です」


 部屋に飛び込んで来たのはジョルディさんだった。

 珍しく額に汗を浮かべ、急いで来たのか少し息を切らせていた。


 ”マウリッツ・イジ・ユーイン”はクーヤさんの父親で公爵家の現当主と聞いた。

 しかし、公爵家の当主と言えば多数の護衛が常に身辺警護をしている印象が強い。

 それを幽閉なんて、そう簡単にできるものなのだろうか?

 部外者の僕は踏み入った事を聞く事ができず事態を傍観するしかなかった。


「連中が実力行使に出たと言う訳か。それで要求はあったのか?」


 クーヤさんは先程とはうって変わって真剣な表情を浮かべる。

 父親が誘拐されたと言う報告を受けたのに、クーヤさんは極めて冷静に状況確認を行っていた。

 それに、誘拐犯の事をクーヤさんもジョルディさんも知っているような口ぶりだった。


「はい、要求に書いてあったのは…【雷槌いかづちミョルニル】の徴発がマウリッツ様解放の条件だと記載されておりました」


 そう言って、ジョルディさんが薄汚れた巻物状の書簡をクーヤさんに手渡した。

 クーヤさんは書簡を広げ目を通し、怒りに任せた様子で散り散りに破り捨てた。

 彼女は僕の方に向き直り無理矢理作り笑顔を浮かべ、こう言った。


「……すまない。ちょっと野暮用ができてしまった。私はこれから出向かなければならなくなってしまったので、しばし屋敷で留守をお願いできないだろうか?」


 おおよその事情は会話内容から察する事ができたけれど、クーヤさんは僕達に迷惑がかからないようにと配慮してか詳しい事情を教えてはくれなかった。


じい、ラルク君を頼む。御要望通り、私1人で教団へと出向く。。くれぐれも情報が漏れないように従者達に口止めを頼む」


「承知いたしました。留守はお任せください」


 ジョルディさんは深々と頭を下げてクーヤさんを見送った。

 そして僕達には「部屋に朝食をお持ちしますので、今日の所はお部屋でおくつろぎください」と言い残し部屋を後にした。


「なんだか大変な事になったみたいだな」


「まぁ、俺様達には関係ない話だし、あの緑髪は馬鹿だが頭は良さそうだから上手い事解決するだろう」


 馬鹿だけど頭が良いという言い回しは何となく理解できるような気がする。


 スピカは大欠伸おおあくびをしながら「朝食が来たら起こしてくれ」と言い、ベッドの上で丸くなって眠り出した。

 相変わらずマイペースと言うか図太いと言うか……

 その後、運ばれて来た朝食を食べ終えどうしたものかと考えていると、部屋の本棚でハイメス国の歴史書を見つけ興味から読んでみる事にした。


 第一章 創世記 歴史の始まりの年


 ――数千年前の神話の時代

 ハイメス国と隣国オスロウ国はおのが領土を求め、絶える事の無い戦争を繰り広げていた。

 我がハイメス国は”太陽神の加護”を得た王女”デイア・フィル・ハイメス”様を大将にした数万の兵で善戦を繰り広げていた。


 そのおりオスロウ国の国王が魔人と入れ替わっていたと判明し内乱が起きた。

 そして二ヶ国を巻き込んだ大戦へと発展した。

 大戦は苛烈を極め両国が疲弊したその時、天より4人の使者が舞い降りた。

 その名は”鮮血の桜舞う呪い姫” ”使い魔” ”爆雷の女神” ”姿無き魔槍まそう”と言う。

 王女デイアとオスロウ国最強の戦士クリスと4人の使者は力を合わせ魔人を討伐し、それを期に両国の戦争は終結を迎えた。

 天よりの使者は魔人を倒し、両国の和平をも実現させたのであった。


 ――中略。


 ……最終的に世界の全ては破壊神により滅ぼされ人々は星へとなった。

 しかし、天よりの使者と守護天使の軍勢が力を終結し、最終的に破壊神を消滅させた。

 戦いに勝った使者と守護天使達は奇跡を起こし、世界を再構築させ全ての死者を蘇生させた。

 この年を創世記として新たな歴史が刻まれ始めた。


 第二章 黎明期へと続く


 創世記の記述は故郷のと違い、そしてタクティカ国のものとも違った解釈がされていた。

 数千年に渡る長い年月の中で口伝により解釈の仕方が変化した証拠なんだろう。

 実に興味深い話だ。


 故郷で読んだ本よりも、この国の背景が細かく書かれていて新鮮さを感じながら夢中で本を読んでいると足元に何か押されているような感覚を覚え、視線をずらすと上目遣いで僕を見上げるレオニスがいた。

 レオニスは口に紙切れを咥えて僕の足をグイグイと押している。


 僕がその紙切れを受け取って見ると、先程クーヤさんが破り捨てた書簡が多少の不格好さはあるものの、読める程度に修復されていた。


「これ、レオニスがなおしたのか? 凄いな」


「エヘン!」


 僕が頭を撫でるとレオニスはやたら嬉しそうに喉を鳴らして喜んだ。

 テーブルに書簡を広げ、ズレた部分を補強しながら文字を追うように読み上げた。


 差出人はサンサーラ教団……の大司教オノス・フェニック?

 えーと、何度も警告しているようにユーイン家が不法拾得している歴史的遺産の【雷槌いかづちミョルニル】を教団に徴発するように……そして、その役目は当主代行のクーヤ・イジ・ユーイン様のみで御来場をお待ちしております。

 ……と書き記されていた。


雷槌いかづちミョルニル】とは、クーヤさんの掲げていたあの大槌の事だろうか?

 不法拾得している歴史的遺産って書いてあるけど、この家の初代当主の持ち物なら子孫が所有していても問題ないように思うけど…

 適当な理由を付けて没収しようとしているんだろうな。


 それからっ…

 破れていた紙を繋ぎ合わせているので少し読み難い。

 マウリッツ卿は教団本部に3日間の滞在予定をしており、客人待遇で丁寧におもてなしさせて頂きます。

 お帰りの際に危険が伴う恐れがありますが、我が教団は一切関知いたしませんので、その点は御容赦下さい。


 脅迫と取られた時に言い訳がし易いような、回りくどい書き方がされている。

 なるほど、これは見方によっては3日以内にブツを持ってこないと命の保証はしませんよって書いてあるるようなものだ。


「……おい、お前ら助けに行こうとか思ってねぇよな?」


 不意に、ベッドで寝ていたスピカが寝たままの姿勢で片目だけ開けながら話しかけてきた。

 助けに行く……そもそも、僕が役に立てる事があるのだろうか?

 クーヤさんには凄くお世話になっているし、まだ会えていないけれどマウリッツさんには色々聞きたい事がある。

 僕は少し考えてスピカの問いに答えた。


「助けに行こう。スピカとレオニスも来てくれないか?」


「俺は良いぜ! あるじの護衛役だからな!」


 レオニスは「フンス」と鼻を鳴らし、僕の提案に同意してくれた。


「……しゃねぇな。ラルクの頼みなら行くか」


 好奇心旺盛なレオニスは反対しないだろうが、食物以外の事に対して冷静なスピカは反対すると思っていた。

 しかし、僕の考えとは裏腹にスピカも助けに行く事に同意をしてくれた。

「一宿一飯の恩義もあるしな」と言い、耳を掻く仕草をする。

 結構義理堅いヤツだな。


 僕は少ない荷物を抱え、クーヤさんの後を追う為に屋敷を出ようとした。

 しかし、玄関ホールでジョルディさんに見つかってしまった。


「ラルク様、どちらへ御用向きでしょうか?」


 正直に言うべきか、それとも適当に誤魔化すべきか……。

 そう考えていると、僕が喋る前にスピカが答えた。


「緑髪の親父を助けに行く、教団の場所を教えろ!」


 ドストレートな答えにジョルディさんと僕は同時に驚いて顔を見合わせた。

 ジョルディさんはすぐに表情を戻し、咳払いをして姿勢を正した。


「私はクーヤ様からラルク様達のお世話を仰せつかっておりますので外出を許す事は出来兼ねます」


 反対されるとは思っていたので誤魔化そうと考えていたんだが、やはり予想通りの答えが返ってきた。

 これは窓からこっそり出て、街でサンサーラ教団の施設の情報を調べるしかないか。

 そう考えていた矢先、ジョルディさんは急に僕達に背を向ける。


「……これは独り言ですが、お嬢様はこの屋敷から南西方向に徒歩で6日間の場所に向かわれました。おっと本日の馬屋の当番はクラウスとマリーか、運動不足の馬を走らせるには良い天気かも知れませんな。ラルク様はくれぐれもお部屋でおくつろぎ頂けますようお願いいたします。では失礼いたします」


 そう言ってジョルディさんは玄関ホールから厨房方面へと歩いて行った。


「素直じゃねぇじいさんだな、きっと主人に似たんだぜ」


 本当にその通りだ。

 でも、やはり心配なんだろうな。


「あるじ、馬屋へ行って双子に馬を借りようぜ!」


 ――その後、僕達は馬屋向かいクラウスさんとマリーさんに事情を話した。

 つい2時間前に険しい表情のクーヤさんが馬を1頭連れて行ったと言う。

 僕はクーヤさんを追う為に馬を貸してほしいと頼むと、事情を知った2人も同行したいと言う。

 こうして僕達は馬を借り、クーヤさんの向かった教団本部施設へと向かった。



◇◆◇◇◇◇



 夜も更け、馬を休ませる為に道中立ち寄ったキルニス村で宿を取る。

 本当なら今頃は父上が帰宅し、ラルク君と共に楽しい夕食のひと時を過ごしていたはずなのに……

 そう考えると、安い干し肉と硬い黒パンを頬張る現状に苛立ちを覚えた。

 領地外の小さな村なので、手持ちのお金があったとしても、それに見合った持て成しが受けれる施設自体が無ければ意味を持たない。


 領民の幸福度が領地の繁栄に繋がる事を知らない領主が多くて、とても嘆かわしい。

 比較的先進的なハイメス国においても、領民に重税を強いて私欲を肥やす貴族の多い事。

 そして、国土の広さが仇となり統制を取るのが難しいというジレンマ。

 この村もユーイン家の領土であれば、もう少し発展していただろうにと、少し傲慢な考えが脳裏をゆぎる。

 さて、前払いで宿の部屋は借りたが、身の安全のために野宿する所を探すとしよう。


 我が家からサンサーラ教団本部までのルートは限られている。

 教団の連中が私が到着するまで大人しく待っていてくれるとは思えない。

 そう考えると、道中宿泊する可能性の高いこの村か隣村に待ち伏せをして夜襲をかけると考えた方が良いだろう。


 私は部屋へと戻り、明りを消すと窓からそっと抜け出した。

 宿の小屋に繋いである馬を引き、闇に紛れるように村の外れに身を潜めた。

 木にもたれかかるように座り仮眠を取る、野宿なんて何年ぶりだろうか?

 ロクに準備もせずに飛び出した事を少しだけ悔やみながら、浅い眠りへとついた。

 ・

 ・

 ・



「野盗だ!」

「自警団はまだか!!」

「逃げたぞ!!」


 深夜と呼べる時間帯、村人の叫び声と暗闇を照らす松明の光に目を覚ました。

 私の予想通り、宿屋の方面で騒ぎが起きている様子だった。

 悪い事をしたな、せめて怪我人が出て無い事を祈ろう。

 私は馬に跨り、日が昇るのを待たずにキルニス村を後にした。


 整備された街道を敢えて外れ、比較的平らな草原を走る。

 1時間走った所で急に馬が歩みを止めた。

 草原の先に見えたのは暗闇に輝く無数の眼光、どうやらモンスターのお出ましのようだ。


 1人で戦うのは余裕だが、馬が逃げないように守りながら戦うのは難易度が格段に上昇する。

 まずは迂回して逃げつつ、魔法スペルで攻撃しながら撒くしかない。

 私は手綱を引き、方向を変えて走り出す。

 後方からは無数の小さくて素早い足音が聞こえて来る。


 私は風属性の魔法スペルを後方に向けて放つと「ギャン!?」と言う鳴き声が聞こえてきた。

 追って来ているのは恐らく”ブラッディウルフ”という獣型の吸血モンスターだ。

 後方に向けて何度か追撃を加える、その度に少しずつ追って来ている数が減っていった。


 そして諦めたのか、しばらくすると気配が完全に消えた。

 ふぅ、なんとか巻いたようだ。

 これだから夜は行動したくないんだよ。


 これだけ村から離れれば大丈夫だろう、私は馬から降りて宿り木に繋いで一息つく。

 しかし今回は仕方が無い、どこで教団の連中が待ち伏せしているか分からないからね。

 せめて教団本部のある聖都ウプサラに入ってしまえば、表立って襲ってくる可能性は低くなるはずだ。


「すまないな、無理をさせて。」


 愛馬の顔を撫でると、それに答えるように頬を寄せて来た。

 街までもう少しだ、日が昇っったらすぐに目指すとしよう。


 そして私は愛馬に身を寄せ、2度目の仮眠についた。

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