第39話 逢と哀と愛

◇◇◆◇◇◇



 私達はアネッタの部屋に集まり、緊急作戦会議をおこなっていた。


「……いったい、何があったのかな?」


「副隊長の部屋を訪ねたけど返事はないし、社長は何かを知っているご様子でしたが理由を教えては頂けませんでした」


 朝食のさい副隊長の姿が見当たらなかったので部屋を訪ねたが、ドアには鍵がかかっており返事もなかった。

 社長にその事を話すと「あー、うん、今はそっとしておいてあげよう」とバツの悪そうな表情で逃げるように歩いて行った。

 昨夜、何かあったのだろうか?

 食堂でラルク君達と話をしていたのはアネッタが見かけたと言っていたが……


 その事を話すと、黙っていたシャニカのお子ちゃま顔が神妙なものへと変化した。

 神妙というか、幼過ぎて迫力に欠けるためか”珍妙な顔”という表現が正しいと感じる。


「シャニカね、食堂で働く人から聞いちゃったノ! 昨日、副隊長とラルク君が喧嘩していたらしいノ!!」


 私とアネッタはお互いの顔を見合わせる。

 あのお互いを信頼しあっている2人が喧嘩?にわかに信じられない話だ。


 私達は昨夜の出来事を調べるために、改めて食堂で船員に事情徴収をおこなった。

 詳しい会話内容は分からなかったが、あの冷静沈着な副隊長が激怒した様子で杖をラルク君に突き当てていたと複数人が証言していた。

 ありえない……事実なの?そんな光景想像すらもできない。


 そうこうしている間に、船の汽笛が短く1回鳴り響いた。

 どうやらタクティカ国の港に到着したようだ。


 私達は自室の荷物をまとめ副隊長の部屋を訪ねると、ドアがあっさりと開きすでに空室となっていた。

 船を降りるとレヴィン騎士団長とセロ社長とラルク君が困った表情で何やら話をしている。


「副隊長をみませんでしたか?」


 そうラルク君に聞くと、困った表情で「入港前にレヴィンのワイバーンに乗って先に降りたらしい」と話していた。

 社長とラルク君を送り届けるまでが今回の仕事だったはず。

 副隊長が業務を無視して、しかもワイバーンを無断借用するなんて異常事態だ。

 その話を聞いた私達は我慢する事を止めて、ラルク君に直接事情を問い詰めた。


「旅に出たいと言ったのですか?」


 昨日の夜、旅に出たいという話をしたら副隊長が激怒してラルク君の個人カードを奪い、その後話すら聞いてくれなくなった……というのが真相だったようだ。

 あのネイ副隊長が、そんなに感情をあらわにするなんて……

 ――見たかった。


 私は「痴話喧嘩」という激レアイベントを見逃してしまった事が悔やまれて膝から崩れた。

 地面を見つめると港の岸壁で見かける多足甲殻類が逃げるように散っていく。


 自分に似ていると思っていたネイ副隊長にも、そういう一面があったのか……。

 多分、私ならアネッタやシャニカが同じ事を言っても「ふーん、頑張って。帰ってきたら連絡ちょうだい」程度の希薄な別れをすると思う。

 副隊長も同じタイプだと思っていたので、現実と想像のギャップがあまりにも意外過ぎた。

 憶測でしかないけど、ラルク君と別れたくなくて意固地になっているんだ。


 そうか、そういう事か……!

 これが恋をしてるか、してないかの違いなんだ。

 恋は奥深いな……。


「ちょっと大丈夫? どうしたの?」


「ルーちゃん病気?」


 そうね、私は「恋に恋する病」を患っているのかも知れないわね。

 あのネイ副隊長の心をも乱す恋の力……興味が絶えない。

 もしかして人類を滅ぼす最終兵器になりうるのではないかしら。


「いい? 副隊長の事は他言無用です、つつがなく任務は完了したと報告しましょう。レヴィン騎士団長にも少し口裏を合わせて頂かないといけませんね」


 私は立ち上がり2人に耳打ちをした。

 事情を知っている私達が、ネイ副隊長の立場が悪くならないように裏で立ち回るしかない。

 私は改めて心に誓った。

 これからもネイ副隊長の味方です!

 ……そしてラルク君との行く末を最後まで見守らせて貰います。



◆◇◇◇◇◇



 タクティカ国に戻ってから3日が経った。

 その間、僕はルーン工房での通常業務を行いながら毎日ネイの事を探していた。

 なぜかというと、ネイは帰国後すぐに長期休暇願いを出して姿を隠していたのだ。


 そして昨日、彼女から1通の手紙が届いた。

 それは魔法師団の宿舎内にある訓練場への入館許可証と模擬戦の申し込みだった。

「私を倒してカードを奪い取る事ね!」と言っていたのは本気だったのか。


 手紙にはこう書かれていた―――。


 今日から数えて2日後の正午、魔法師団の訓練場にて1対1の模擬戦を行う。

 もし模擬戦に勝てれば、個人カードを返すと記載されていた。

 試合の立会人は騎士団長レヴィンと魔法師団の数人が見届けると記載されていた。


 ネイと戦うとか意味が分からない。

 多少の批判を受けた後、最終的には折れてくれると勝手に想像していた。

 まさか、こんなにこじれるとは思わなかった。


 スピカは何が可笑しいのか腹をかかえて笑っていた。

 レオニスにいたっては、「俺があるじの替わりに倒そうか?」などと訳の分からない事を言い出す始末。

 ネイの戦いを見た事がないから、気安くそんな言葉が出るんだ。


 ……何度も何度も、彼女に守って貰った。

 体付きは華奢だけど物理攻撃に対する回避能力の高さ、戦況に応じた魔法スペルの扱い……その強さの全てがAランク冒険者たらしめている。

 そう、彼女の強さは僕が1番良く知っている。


 それ以上に、自分の我侭わがままを通すために好きな人と戦わないといけないなんて酷というものだ。

 なんとか話し合いで解決はできないだろうか?

 ……まぁ、逢ってくれないのがその答えなんだろうと考えると少し悲しくなる。

 1つの迷いを振り払ったと思ったら、別の迷いが生まれる。


「……迷うのなら止めるか? いつまで平和でいられるかは分からないが、この国でのんびり暮らすのも悪くはないと思うぜ?」


 一頻ひとしきり笑い終えたスピカは気怠そうに背筋を伸ばし、見透かしたように僕の迷いに対して問いかける。

 旅に出ないと言えばネイの機嫌も直り、今までと同じ温かい日常が送れる。

 ……散々悩んで決めたんだ、自分の足で最初の1歩を踏み出すと。


「戦うさ、僕は死なないから彼女の魔力マナと気力が尽きるまで何時間でも粘って喰らいつく!」


 僕がそう言うとスピカは少しだけ感心した表情でケラケラと笑った。

 さっきから何がそんなに可笑しいんだろうか、まったく変な猫だ。


「悪い悪い! ただ、船の倉庫でベソかいていたヤツが頭をチラついてな」


 随分と昔の話を持ち出してきたものだ。

 スピカと初めて出会ったあの時、僕は全てを失って絶望していた。

 ……そんな時、今と変わらない澄ました顔で元気付けてくれたのがスピカだったな。


「男の顔になったな、好きだぜ今のお前」


「……猫に告白されても嬉しくないな」


 そう返すとスピカはまた陽気に笑い始めた。

 その様子を見ていたレオニスが「おい!なんの話だよ、倉庫でベソかいていたヤツって誰だ? 2人だけで盛り上がってんじゃねぇよ!」と疎外感に耐えられずすがりついてきた。

 やはりレオニスはちょっと甘えんぼうだ。

 ・

 ・

 ・


-魔法師団の訓練場-


 指定日当日、僕と2匹の黒猫は魔法師団の宿舎を訪れると入口でルーティアさんが待っていた。

 彼女は休暇中と言っていたが正装を着ており、その事を訪ねると「見届け人としての心構えです。」と言った。

 彼女の真面目さが、それを物語っているような気がした。


 その後、ルーティアさんに敷地内を軽く案内して貰った。

 初めて足を踏み入れたけど、大勢の人々が暮らしている様子だった。

 男性用の宿舎と女性用の宿舎の間が訓練施設となっており、その中央に円形の舞台が模擬戦を行う場所だとルーティアさんが説明してくれた。


「おいおい!こりゃぁ……」


 スピカとレオニスがあんぐり口を開く、僕達はその光景に目を見開いた。

 円形の舞台を取り囲むように200名以上の騎士達がひしめき合っていたのだ。

 確かに手紙には”騎士団長レヴィンと魔法師団の数人が見届ける”と記載されていたけど……

 これじゃ、数百人規模の見世物みたいじゃないか。


 ルーティアさんに案内されて舞台への道を進むと騎士達の囁く声がザワザワと聞こえてきた。

 でも、僕はそんな事が気にも止まらない程、正面の人物に視線が集中していた。

 舞台の中央辺りに武具を身に着けていない正装のネイが安そうな木製の杖を握り立っていた。

 なるほど、騎士団の武具を着用していないのはハンデって訳か……。


 手紙にはルーンの武具を身に着けても良いと書いてあった。

 天と地ほどの実力差があるとはいえ、ネイ相手にルーンを刻んだ完全武装で真剣を振るう事なんてできない。

 だから僕は普段着で訓練用の木剣だけを持参してきた。

 その姿を見た男性の騎士達が「見上げた騎士道精神の持ち主だな」とか「だが、一般人とネイ副隊長じゃ試合にすらならないんじゃないか?」とささやく声が聞こえてくる。


 僕は彼女の戦いを1番近くで見てきた。

 それに僕だって日々訓練を重ねてきて、何度か実践も経験したんだ。

 少しだけなら自信もついたし、やれるだけやってみるさ!


 舞台に上がり東西に分かれる形でネイと対峙する。

 その時、一際大きい騒めきが起きた。

 そちらの方に目を向けると、グレイス軍務大臣と護衛の近衛騎士2名、それに随行するようにレヴィンが舞台に近付いて来た。

 まさかグレイス軍務大臣まで足を運んでくるとは、酔狂にもほどがある。

 あの人は自分の立場をもう少し弁えた方が良いと思うけどな。


 グレイス軍務大臣は1番手前のイスにドカリと腰を下ろすと、舞台上の僕をみつけ軽く手を振って来た。

 僕が頭を下げると「どういう間柄なの?」「あいつ一般人なんだよな?」と小さな騒めきが起きた。

 ……完全に悪目立ちしている。


 舞台から客席を見渡すとシャニカさんやアネッタさん、それにルーン工房に手伝いに来てくれていた人達の姿も見えた。

 しかし皆、複雑そうな表情をしていた。

 当然だろう、僕とネイがこんな形で対峙するなんて皆思ってもみなかったはずだ。

 ……多分だけど僕らが戦う理由すら知らされてないと思う。


 そうしていると、レヴィンが舞台に上がり僕の方へと近付いて来た。

 レヴィンは少し困ったような微妙な表情を浮かべている。


「ほぼ丸腰とは見上げた度胸だと思うけど、正直無謀過ぎると思うよ?今なら僕が仲裁に入る、お互いにとって無益な戦いは止めるんだ」


 レヴィンは僕の肩に手を置き、横目で見つめながら仲裁をすると申し出る。

 昔の僕だったら、航海最終日の朝にでも仲裁をお願いしていただろう。

 僕が彼の提言を否定する前に僕の頭上から降りたスピカがレヴィンの肩に飛び乗り口を挟んだ。


「ラルクは覚悟を決めてこの舞台に立ったんだ、にーちゃんは審判なんだろ? それとも向こう側から不戦敗にするようにと賄賂でも受け取ったのか?」


 スピカが挑発するような台詞でレヴィンを煽る。

 レヴィンは「……そうか」と一言呟くと目を伏せるようにして舞台中央に歩みを進めた。

 スピカはレヴィンの肩から降りると「シシシ……見たかあの顔。色男が台無しだな」と笑う。

 ……お前かなり性格悪いな、少しだけ心配してくれたレヴィンに申し訳ない気持ちがわいた。


 僕とレヴィンとネイの3者が舞台に揃うと、レヴィンは右手を上げた。

 すると戦場で合図として使われる巨大な巻貝が吹かれ、会場全体に響き渡った。


「これより模擬戦を始めます。両者、構えて……はじめ!」


 レヴィンが右手を振り下ろすと会場から歓声が響き、そして模擬戦が始まった。


 ネイの持つ長杖が光ったと思った瞬間、僕の脚部から頭部にかけて雷撃が貫いていった。

 一瞬何が起きたか理解が遅れる。

 ――電撃属性の魔法スペルが地面を這って僕の体に直撃したんだ。

 だけど、安物の杖だけあって威力は低い。

 それとも、僕なんかこの程度で仕留められると単純になめられているのだろうか。


 僕は左手を付き、態勢を立て直しネイに向かって走った。

 対魔法職スペルユーザー戦は間合いを詰めるのが基本戦術だ。

 まずは剣の届く間合いへと入らなければ話にならない。


 少しだけ体に痺れを感じるけれど動かせない訳じゃ無い。

 距離を半分詰めた所で、ネイの体が赤、青、黄色へと巡に輝いた。

 恐らく自身の体に なんらかの能力向上魔法バフをかけたみたいだ。


 僕が彼女の間合いに入るが彼女は微動だにしない。

 まさか、僕の剣術と真向勝負をするつもりなのか!?

 僕は少しだけ躊躇したが、彼女に対して木剣を振り下ろした。


 その瞬間、彼女は自身の左腕で僕の剣を受け止めた。

 ドンッと鈍い音と共に硬い岩を思いっきり叩いたような感触と、衝撃の内部反射が直接腕に伝わってきて木剣を握る手を放しそうになった。


「なっ!?」


 僕が驚いたのもつかの間、気付いたら目前に彼女の長杖の先端が見えた。

 そして強烈な打撃で視界が歪み、景色が反転する。

 吹き飛ばされた僕は全身を強く舞台に打ち付け、寝そべる形で倒れた。


 頬が熱くジンジンと重い痛みを伝える。

 僕の脳が、今起こった事実の整理を行うがそれが追いつかない。

 気が付くと舞台に人影が見えた。

 見上げると氷のように冷たい瞳をしたネイが立っていた。

 そして何日ぶりかの彼女の声が聞こえた。


「ラルク、今のあなたでは勝てない」


 ――強い。


 模擬戦が始まって3分、この短いやりとりの中で確信する。

 ルーン技術に頼らない自分と本気になったネイとは、ここまで圧倒的な差があるとは思わなかった。

 戦闘慣れし始めたからこそ、僕と彼女の実力差を示す谷底の深さが理解できる。


 彼女の魔法スペルの対策はある程度考えていたけれど、まさか肉弾戦で来られるとは思いも寄らなかった。

 僕は痛む頬をさすりながら立ち上がり、ネイと見つめ合う。

 ……いや見つめ合うというのは僕の主観で、彼女は完全に僕を睨んでいた。


 僕は再度至近距離から斬りかかるが、あっさりといなされる。

 そして今度は真正面から腹部に長杖による強烈な突きを貰った。

 一瞬呼吸が止まり、意識が飛びそうになる。


「ぐぅぅ」


 今度は完全に両の膝を付き、剣を落して腹を押さえる。

 自然と口から唾液が漏れて、痛みで立ち上がれない。


 ドンッ!


 突然左肩に殴られたような打撃を受けて、吹き飛ばされる。

 顔を上げた瞬間、圧縮された空気が僕の顔面を捕らえ巨大な拳で殴られたような重みと痛みを感じた。


 ――ドンッ!ドンッ!


 連続で殴られているような感覚が全身を駆け巡る。

 息が切れ、口の中に鉄分の味が広がる。


「ハァハァ……」


 僕は死なないはずだ、意識さえ失わなければ負けにはならない。

 倒れ込んだ姿勢から起き上がる。

 舞台中央にはネイ、少し離れた所にレヴィンが心配そうな表情で眺めている。


 客席の人々は見るに堪えないといった表情をしていた。

 僕がもう少し真面に戦えると思っていたんだろう。

 しかし実際は魔法師団副隊長に弄られ蹂躙される一般人という構図になっている。


 僕は木剣を拾い、痛みでよろける足に下位の回復魔法をかける。

 まだ終わるわけにはいかない、僕にだって意地があるんだ!

 持てる力を振り絞り、僕は何度も何度も果敢に斬り込んだ。


 一定距離が開き間合いの外に出れば、時に炎が四肢を焼き、時に水の斬撃が僕を斬り裂き、時に風の打撃が全身を襲う。

 間合いを詰めて接近戦を挑めば、強化された彼女の肉体と実践で洗練された体術の餌食へとなった。


 模擬戦というにはほど遠く、内容があまりにも一方的な戦いは既に1時間近く経過していた。

 いつしか周囲の床は飛び散った僕の血液で赤黒く染まり、戦況を見守る観客は言葉を発するのを止めて会場は静寂に包まれていた。

 顔は赤く腫れ頭部から流れる血が目に入りしみる。

 全身は筋肉や骨はガタガタと悲鳴を上げ、追い付く事の無い回復魔法を常に使い続け立っているのがやっとだった。

 会場にいる人々の目には、僕が 腐敗生命種ゾンビみたいに写っている事だろう。


 さすがのネイも長期戦で体力と魔力マナの消費が顕著に表れ始めダメージを負って無いものの、動きが鈍くなり額に汗が滲んでいた。

 そしてそれは表情にも表れているように見えた。


 僕の状態を見兼ねたレヴィンが何度も試合を中断しようとしたが、その度に僕がそれを認めなかった。

「もし強制的に中断をするなら、ネイの負けとしてもらう!」と叫ぶとレヴィンは唇を噛んで、仕方なく試合の続行を宣言する。

 こうして僕は何度も膝を付き、その度に立ち上がる。

 その回数を重ねる度にネイの表情がつらそうに歪む。

 それはまるでお互いの意地と意地の張り合いのような、永遠とも思える時間が流れ続けた。


 何度地面に這いつくばったか分からない。

 ただ同じ数だけ、よろけながら立ち上がる。

 今や体の至る所が麻痺し始め、痛みは感じなくなってきた。

 両手で膝を支え、俯いた状態でなんとか立ち呼吸を整える。


 何度目かのダウンから立ち上がり顔を上げると、ネイが立ったままの姿勢で大粒の涙を流していた。

 突然の事態に僕はギョッと驚く。

 彼女の表情は既に戦意が失われ、溢れる涙の滲んだ瞳には慈愛すら感じれた。

 1度大きく俯いた彼女は左手で涙を拭い、そして大声で叫んだ。


「なんで!! なんで立ち上がるの!? もう…もう嫌だよ!! 負けてよ!! 起きて来ないでよ!!」


 普段冷静沈着で感情を表に出さないネイが、感情を剝き出しにして喉が潰れるんじゃないかと思うくらいの声量で叫んだのだ。

 その取り乱しながら叫ぶ様を目にして、会場にいた人々も驚き口を紡いで状況を静観していた。


 初めて見る取り乱した姿の彼女を見て、僕は今の自分の気持ちを伝えようと口を開くが、腫れあがって傷だらけの口内が原因で彼女に届くほどの声量が出せないでいた。

 彼女は戦意を喪失したのか杖を床に落し、流す涙を拭う事無く零し続けた。


 そんな彼女がとても愛おしくて、僕はゆっくりと歩いて近付いた。

 そして手を伸ばせば届く位置で立ち止まった。

 もう歩く事すらつらく、立っているのがやっとだった。

 でもこの言葉だけは……きちんと伝えないといけない。

 僕は自身の消え入りそうな声が彼女に届くようにと、耳元に顔を近付けて「……ごめんね」と囁いた。


「うわぁぁぁぁあああぁぁああ!!」


 その瞬間、彼女は僕を強く抱きしめて会場全体に響くような大声で泣き叫んだ。

 大勢の人達の前で恥も外聞も関係無く、叫びにも似た声を響かせる。

 周囲の人にこの光景はどう映っているんだろうか……


 多量の出血で冷たくなった体に、彼女の温かい体温が心地よく伝わってくる。

 いつしか僕も自然と涙を流し、力無く彼女に体を預けていた。

 彼女は僕の胸の中で、まるで子供のように大声で泣き止めどなく涙を流す。


 ――そして僕は、彼女を抱きしめられたまま気を失った。

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