12. 旨し糧、鍛えし体

「……香練こうれん先生、どうもありがとうございました!」


 ふと、あの顔面たわし男の威勢いせいのいい声が響いた。声の方を見れば、その男はコウレンの横に並ぶようにこちらへと歩き出していた。


「ということで、お前ら全員には迷宮めいきゅうもぐってもらうことになる訳だが……その上で、これからお前らには最初の仕事をしてもらう!!!そんじゃ着いてこい!!!」


 彼が背中を向けながら手を空へとあおぐ。背後から見ればたわしにしか見えないその頭を目印めじるしにしながら、私とミール、そして奴隷どれいたちは、向かう先も知らずに歩き出した。




                  ◇




 私達が寝ていた長屋から少し離れた場所。水場みずば近くに建っている平屋ひらや、その中の広い一室。木製の長机ながづくえ椅子いすがいくつも並ぶ室内で、私たち奴隷は言われるままに座っていた。


 目前もくぜんには一杯いっぱい雑炊ぞうすいとお茶、漬物つけもにさじはしが一つずつ並んでいる。木製のおわんによそわれた雑炊からは湯気ゆげが立ち上っており、お米の甘さを思い起こさせる香りが鼻をくすぐってくる。中にはみじん切りの野菜と肉が混ざっており、やや薄茶色のこの雑炊をいろどっている。

 前世の日本で生きていた頃の私なら、正直物足りなく見える食事だろう。だが、今の私にとっては久しぶりの飯だ。正直、湯気すらご馳走ちそうのように思える。

 どこからかつばを飲んだような音が聞こえた。ふと周囲を見回せば、この場で席に座る皆が皆、目前のお椀を見つめながらこらえているように見えた。


「全員、眼の前に飯はあるかー?……よぅし、行き渡ったみたいだな」


 あのたわし男の声が聞こえた。この部屋の全員の前に食事が行き渡ったのを確認し終えた彼は、そのまま全員に聞こえるような声で再び話し始めた。


「んじゃ遅れたが自己紹介と行くか!!俺の名は干山かんざん!!!この食堂での飯と迷宮内での野戦やせん炊飯、衛生えいせい技能ぎのう周りの指導しどうを担当している者だ。よろしくな!!!」


 たわし頭の彼――いや、カンザンの自己紹介を聞いた瞬間、この場の全員が彼の方を見た。ここは食堂で、彼はいわゆる料理人。つまり、この飯を作った男……

 どうしよう。さっきまでは無造作むぞうさで品のない顎髭あごひげかみだなぁ思っていたその顔が、聖人か仏とみまごうような、たいそう徳の高い人相に見えてきた。いや宗教とかこの世界にあるかは知らないけどね?感覚的なアレよアレ……てかアカン、顎髭と髪がなんか後光ごこうに見えてきたわ。どないしよ、我ながら単純すぎる。

 このままでは内心であがめる一歩手前な存在になりそうなカンザンだが、当の本人は快活かいかつな様子で私達を見ながら、そのまま普通に言葉を続けた。


「んで、まずお前らにせられた仕事だが……それはその干物ひものみてぇにかわいてせた貧弱な体を作りなおすことだ!!!これからお前らには、この雑炊を一日六食、今日から毎日食ってもらう!!!その後、おりを見て献立こんだてを増やし、やがてはドカ盛りの米と主菜しゅさい副菜ふくさい汁物しるものに変えていく!!!!」


 彼の説明を前に、この場の奴隷がざわめく。というか若干じゃっかん浮足うきあし立ってすらいる。ミールは口をゆるく開きながら目を輝かせているし、かく言う私も軽い興奮状態なのか、ちょっと鼻息が荒い、気がする。いやだって、さ?この、めっちゃまともそうなご飯を、毎日……?てか、六食……?え?てか……ここから食事、増えるの?

 そんなうわつきつつある私達に対し、カンザンは再び声を張った。


かれてるところ悪いがな……今日から俺が与える食事を残すことは処罰しょばつ対象となる!!!!!!」


 それまでざわざわと活気があった場が一気に静まった。カンザン表情もそれまでの柔和にゅうわさはなく、圧のある眼力でこちらを見渡している。普段は優しい先生がブチギレたときの、あのいや〜な緊張感が場を満たしていた。


 衣擦きぬずれの音すら目立つような、そんな沈黙ちんもくがしばらく続いた後、カンザンが一つ息を吐き、再び話し始めた。


「……脅すような言い方をしたな。ただ、これはお前らの為でもある。これからお前らが飛び込む迷宮は、何が起きても自己責任の……わりぃがまともな奴が行く場所ではぇ。どろや敵の血肉をすすってでも、持ち帰った情報や物品でどうとでもなるような極限環境だ。そんな環境において、お前らのその体は死なない限り奪われることのない、数少ない財産だ!敵をひねり潰し、ねじ切り、吹き飛ばし、生き残るためにはかせないほこだ!!仲間の腕を取り、危機をだっする糸口を掴むための、最後までそばにある盾だ!!!」


 依然いぜん、彼の語気には真剣さが漂ってはいるが、同時に私達を鼓舞こぶするかのような暖かさも感じさせるものがあった。気付けば、この場に満ちていたあの嫌な緊張感はどこかに消えつつあった。


「そして、お前たちが戻ってくる限り、俺はお前らに飯を出す!夏はすずしくせいのつくものを!!冬はこごえをほぐ活力かつりょくで満たすものを!!何があってもお前らに食わす!!!だから……まぁなんだ、俺の飯は一粒たりとも残すんじゃねぇぞ、いいか!!!」

「「「「「「はい!!!!!」」」」」


 私達に対しての彼なりのエールに対し、私達は出せるだけの大声で返事を返した。


「はぁー……高説こうせつれるなんざ、慣れねぇことするもんじゃねぇな……そんじゃ食事ッ、はじめッ!!!!!」


 カンザンの掛け声で全員が、一斉に目前のお椀へと突っ込んだ。けもののようにがっつく者、さじをちゃんと使う者、一口一口を泣きながら味わうもの。秩序ちつじょもへったくれもないにぎやかな光景ではあったが、カンザンに対しての感謝だけは、多かれ少なかれ感じながら食事をしているように思えた。


「飯を食い終わった後は交代で風呂にぶち込むぞ!!こびり付いたあかとフケを洗い落として、湯船ゆぶねに浸かったら今日は終わりだ!!!」


 あんなふうにおどされはしたが、なんだかんだ言って飯は美味い。今だけはこの雑炊を作ったカンザンと、信じるにもどこか胡散臭いコウレンにもついでに感謝をしながらご飯を食べていた。




                  ◇




 る太陽、おど陽炎かげろう。目が痛いほどに白い地面から立ちのぼる息苦しい熱気を感じながら、私を含めた皆がこの広場でうつ伏せになっていた。ただし、体と足をまっすぐと伸ばし、ひざを浮かせ、つま先と両肘りょうひじだけを地面につけた 状態じょうたい――いわゆるプランクの体勢たいせいでだが。


「……んの……クソぁ……!」


 あちこちからうめき声が聞こえる。私もこの日照ひでりの中、腹が立つほどキツい現状に思わず悪態あくたいがこぼれる。もちろん腹筋ふっきん負荷ふかをかけているせいで、無理やりしぼり出した声だ。声量も覇気はき皆無かいむひとしかった。

 なんとか耐えようと食いしばるせいか、顔がゆがむ。視界もくしゃりとすぼむ。一息ひといき入れようと顔を下へと下ろすせば、その視界の先、両腕の間には幾重いくえにも落ちた汗で浅黒く濡れた地面が見えた。

 

「……めぇっ!!今日の鍛錬たんれんここまで!!」


 監督官かんとくかんのかけ声で、この場の全員がその場に倒れ込んだ。かわいた白土しろつちの細かい砂が、ブワッと宙に舞う。もちろん汗を吸った服には砂がアホほど着いて汚れるし、口の中も少しジャリジャリするが、んなことはどうでも良い。今はとにかく休みたい、それだけだった。


 あの雑炊を口にしてから早くも二ヶ月ほどが経った。私達も含めここに来た奴隷の多くがえていたのもあってか、あの日も、翌日からも出された雑炊も一粒残すこと無く食べつづけた。そしてカンザンが言ったとおり、食事内容も次第に白米に切り替わり、献立こんだてが増え、今では主菜・副菜・米に汁物とかなり文化的なものになっていた。

 ちなみに個人的なおすすめは小魚の梅煮うめにみたいなヤツ。程よい酸味と塩味、その奥から香る生姜しょうが?の風味が白飯に合いすぎる。あと生姜焼きみたいなのも好き。

 そしてそんな食事が一日三食になった二週間前、私達はこうして広場に集められ、朝から夕までトレーニングけな日々を送り、今に至るわけである。


「あ゛ぁ゛~……づがれ゛だぁ゛~……」


 私の隣、アマガエルのようなダミ声でミールがぼやいた。顔を向ければ、ミールも私と同じように、顔だけは横に向けつつうつ伏せで倒れこんでいた。ただし、そこには猛火もうかの如く伸びまくっていた髪の、あの野生児やせいじじみた姿は無かった。


 というのも、私も含め多くの奴隷はあの日以降、順に頭髪とうはつを中心として身だしなみを整えされられた。そんなこともあり、今の私は程よくおさげと前髪を残しつつ、後ろ髪を紐で束ねている姿で落ち着いた。意識こそしていなかったが、前世と似たような髪型になったのはちょっとおもしろかった。なお、髪を切ってくれたのもカンザン。あんな見た目だけど、思っていた以上に色々できる男のようだった。


 改めてミールを見直す。あの伸び切った天パの赤毛は両耳が軽く見える程度に短く整えられており、少し太めに整えられた眉毛が前髪の間からちらりと見えた。私よりも少し浅黒あさぐろな肌は筋トレ後もあってかほんのりと赤らんでいる。前世でも慣れ親しんだりの浅めな顔やほほを伝う汗、そして濃い琥珀こはくのような瞳がキラリと光る。初めてあったときからは想像できないほどに健康的で、その……まぁ、美人だなぁって思う、うん。


「……どしたのアズサ?わたしのことジ――――――――――――――ッと見て」

「……いや、肉付きよくなったなぁって」

「うん、言い方ってあると思うんだ」


 流石に快活かいかつでボーイッシュ、それでいて輝かしい瞳の貴女あなたに見とれてました、なんてずかしいことを言えるわけもなく、私は軽くからかいの言葉を返した。ただ、彼女の肉付きが良くなったのは、それはそれで明確な事実でもあった。


 まともな食事に日々の筋トレ、晴耕雨読せいこううどくならぬ晴筋雨筋せいきんうきんな毎日を送ったおかげで、ほとんどの奴隷はかなり肌艶はだつやもよくなり、健康体な姿へと見違みちがええている。現に、私もその一人であり、こうしてプランクを耐えられる程度には腕力や腹筋など、筋力もつき始めている。改めて自分の腕を見るが、あの納屋の中で見つめたそれに比べれば、この腕のなんと頼もしいことか。


「まぁ良いけどさー……でも邪魔なんだよ?これ」

「……」


 体を起こし、あぐらをしながらミールが胸元むなもとの土を払った。軽く触れた手によって、彼女の無駄むだに大きい胸が無〜〜駄むぅぅぅぅだにぷるんとこれ見よがしに揺れやがった。

 別になんのねたそねみもないし、くやしさなんて感じる必要はない、断じて無い……んだけど、なんか、こう……言葉が出なかった。


「……いる?」

「いるかっ!!」


 両手で軽く胸を持ち上げたミールに反射的にツッコむ。というか、あーた胸以前にそもそも筋肉つくスピードも異様いように早くない?なのになんで胸にそんな栄養いくん?私なんか、ほどほどに筋肉は付いてるけど胸は相変わらず薄くて軽いし……なんでなん?


 そんな負け犬めいたことを悶々もんもんと考えながらも、私も起き上がり、服についた砂を払う。すると、監督官かんとくかんが口を開き全員に聞こえる声量せいりょうで話し始めた。


「先週からも伝えていたが、本日から午後は座学ざがくの時間となる!全員、まずは水分を取り、浴室よくしつで汗を流せ!!」


 監督官かんとくかんの指示を声を聞きながらひざに手を当てつつその場で立ち上がる。ついに座学かと言えば良いのか、面倒めんどくせぇ……とボヤけば良いのか。そのくせ、変なところで水分取らせる配慮はいりょはあるんだよなぁ、異世界ファンタジーもついにコンプラ意識する時代なんか?えぇ?


「この後、二十分後に一度目のかねを鳴らす。それから五分後、二度目のかねが鳴るまでにこの場へ集合しろ!いいなッ!返事ッ!!!!!!」

「「「「「「はいッ!」」」」」」

「よぉーし、では一同解散ッ!!!!」


 そしてこの監督官かんとくかんとの二週間で完全に染み付いた、軍隊じみた上下関係。フツーに高校の体育を思い出す。あっちのほうが遥かにマシな気はするけど。んで、そこにこれから座学が詰め込まれるんかーと考えると……今の心情では面倒めんどくさいがやや優勢、そんな気分だった。


「あ゛ー!!!終わったー!!!早くお風呂行こ、アズサ!!」

「ん、そだね……」


 さっきまで溶けていたはずなのに、その元気はどこからいてるんだ?そう目前の彼女に思いながらも、いつの間にか彼女に手を握られ、そのままぐいっと私は引っぱられた。

 緑風りょくふうに交じる生暖なまあたたかい熱気。そこに若干の気だるさを混ぜるようにため息を一つ。疲れに加え、午後の座学への不安をうっすらといだきながら、私はミールと一緒に自室へと着替えを取りに歩き出した。

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