15. 愛とはなんぞや
私が、これまでの人生のなかで一番症状が悪化していた時。
油性マジックペンで、体に文字を書いた。
【しね、いらない、きえろ】
あとは覚えていない。でも、たくさん書いた。
それこそ、腕からはじまり、足先にまで、書きなぐった。意味なんてない。ただ、自分が醜い、いなくなれればいいのに。
そんなふうに思って。
それを、何度だって消してきたのが母だ。練り石鹸で、ごしごしと消された思い出がいまは遠い。
きっと、そんなことをがあったことは父は知らない。何度か回数があったことも。
たぶん、知ったら一言。
「入院するか」
と言ってきていただろう。
だって、兄の暴走に対しては、精神科に
「今日は入院させたくてきました」
そう、言ってそう成った。
兄は、ひとに暴力的になり、親でも手に負えない、と。そしてもう、こうするしかない、と。
父の独断だった。
それが、兄にとって「正解」と呼べたのか、私にはわからない。ただ。1年に満たないほど、家は多少の静けさを得たのも事実。
暴れる兄は、病棟にて拘束されたらしい。その姿を唯一見た父は、後悔したかもしれない。
退院も、ほぼ父の独断だった印象が強い。
「かわいそうだから」と。自分で決めたことに後悔して、ふたたび自分で決めたのだ。
その時、父が主治医と喧嘩したので、病院も変わった。
でも、それらの判断ははたして私たち、そして兄本人にとって、よかったと言えるのか。
今、兄は出来ること、自分でやろうとする気持ちが減った。代わりに、人への要求は多い。
よく泣くし、手もでないとは限らない。年中紙パンツだ。
そんな私たちに対して、父は
「向き合う」と「逃げる」の二択とするなら、間違いなく後者だ。
知らないことは、知らないと耳をふさぐことで、自分はなんにも悪くないと思っているのだろうか。
私たちに、母は何度だって「向き合う」ことを選んだ。時に一対一になり、子どもを諭す。
大人になったこどもたちに、根気よく言葉を渡そうとする。
それでも、上手くいかない時も多い。疲れもする。
そんな、ここ近年は母に代わり、私が兄に向かい合うことが増えた。かなりではある。
たぶん、苦悩する母を見ていたことが大きい。そこにあるのは、母への「感謝」と、こうなってしまった兄への「責任」も多少あるのだろうか。
ひとは、ひとを見て育つという。
「する」と「しない」、どちらかが正解で、もう片方は間違い、なんて言いはしない。でもやっぱり、それを求めてしまうのが人間なのかもしれない。
それこそ、形のないものだからこそ。
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