第28話
電車にうつる自分の顔は酷かった。
洒落た服を着ているぶん、乱れた着こなしはだらしなさが目立つ。
髪はボサボサで、手ぐしで治るレベルじゃなかった。メイクも崩れてる。リップぐらいは塗れるのに。それもできないくらい辟易していた。
―終わりました。今から帰ります―
連絡するのが精一杯だった。
商店街を歩くのも長かった。
夕食を買わなくちゃと思ったけど、商品を選び、カゴに入れ、財布を取りだす行為が怠かった。
どこにも寄らず、家に帰る。
今はただ何も考えずに寝転びたい。
最後の力を振り絞り、マンションにつく。
エントランスに入ろうと、自動扉が両側に開いた。
「すいません、宮内舞衣さんですよね?」
振り返ると、髪の長い女性が立っていた。
すぐにピンときた。
「私、木野秋吉の妻です」
勘弁してよと思った。
なんで今日?
事前に言っといてくれればいいのに。突撃なんてずるい。
自分ばっかりちゃんとした恰好をして。
ファミレスの奥、隅の4人テーブル。舞衣と若菜は向かい合うように座った。
色白で、綺麗な人。肌が綺麗だからナチュラルメイクでも通用する。控えめだけどネイルもしっかりやって、髪だって長いのに手入れが出来ている。
耳にあるピアス。一粒ダイヤ。安物だろうか。見分けなんてつかないけど。
でも、この人がつけていたら、なんとなく良い物なんだと思ってしまうだろう。
家に入っても自分磨きを怠らず、夫を支え家事をこなしている。
秋吉様の奥さんだからそう思うのだろうか。
道ですれ違っただけなら、目にも止まらないのかも知れない。
舞衣は首元のネックレスを握った。
若菜と目が合う
「木野と付き合ってますよね?」
しらを切るのが正解なのか、謝罪するのが正解なのか。でも、申し訳ないと思ったことは一度も無い。この人は常に嫉妬の対象だった。
「証拠はあるの」
ドラマでしか聞いたことない。
まるで、追い詰められた犯人のよう。
心臓が爆弾的にうるさくなった。
「慰謝料ですか?」
辛うじて出た言葉。
若菜が首を振る。
「自分でも不思議なんだけどね、怒りはないの。だから、慰謝料取ろうとか、そういうのは考えてないの。一応、自分でも働いてるし。子供もいないしね」
「えっ…」
「ん?」
「働いてるんですか?」
「一応ね」
「専業だと思ってた」
若菜が笑う。馬鹿にする様子でなかった。
「だって、お金たくさんあるのに」
―一生、俺が養ってやる―
秋吉様は家に囲うのが好きだと思っていた。当然、奥さんもそうなのかと。
「あの人は働いてる人を探してた。なるべく高収入のね」
生涯の伴侶として、秋吉様が選んだ相手は自分とは真逆の人だった。高収入のキャリアウーマン。自分とはほど遠い。
「あなたには違うみたいね」
黙っていると、そう思われたらしい。奥さんの顔が傷ついたように見えた。
「よっぽど、あなたが可愛いのね」
それは違う。現実には自立した女を選んでいる。所詮、私は遊びの範疇から出られない。そう宣言されているようなもの。
「私、女の社会進出とか、男女平等とか嫌いなんです。女は家に居て男に守られる存在でいればいいのにって思うんです」
「そういう生き方もあると思うわ」
若菜は虚勢にはのらなかった。
諭すような、促すような柔和な話し方。
本音は何を考えているのか。したたかな女。
―おめでとうございます。正社員―
中野知美を思い出した。
そんなこと思ってもないくせに。
「でも、STVに派遣から中途採用されたんでしょ?そんなこと言ったらもったいないわ」
地方のFラン短大出身。辛うじて入った会社も1年もたずに退社。それからは、バイトを転々としていた。
知ってるくせに。
「探偵ですか?」
「気持ちいいものじゃないわよね。ごめんなさい」
入社の経緯も、どうせ知ってる。
聞いたところで、何も言わないだろうけど。
「私が実力で入ったと思います?」
「どうゆうこと?」
若菜は眉根を寄せた。白々しい。
「抱かれたんですよ。あなたの旦那に言われて。人事の男に抱かれたら社員になれるって。だから私、見ている前で抱かれました」
同情と哀れみ。この視線には慣れている。会社でも身分不相応な立場にいるのはわかってる。中野知美を差し置いて社員になった。非難な視線は、あまりの出来無さ振りに同情へと変わった。
「本当はもっと出来る人がいたけど、仕事ができない私が採用されました。木野さんが選んでくれたんです」
若菜の表情が険しくなる。
「今日だって、木野さんに言われて知らない男と寝てきました。だから、メイクも落ちてるし、髪もボサボサだし」
これほど強い信頼関係で結ばれていると示したいのに。
話せば話すほど。自分の哀れさが浮き彫りになる。
「どうして、そんなことするの?」
改めて聞かれると口が噤んだ。
変な風に受け取られる。
でも、機転が効く頭も要領の良さも持っていない。だから、事実をこたえた。こたえざるおえなかった。
「命令だから。木野さんの」
呆れているのがわかった。どうしてか、そういう感情は敏感に感じ取ってしまう。
「あなた、洗脳されてない?」
洗脳?
「違います。これは私も望んでいたことだから。木野さんは私のご主人様だから」
馬鹿な女は嫌いなのだろう。
若菜の視線が再び険しくなった。
「SMホテルにも行くのよね?」
やっぱり、知っているじゃないか。
どこまでも調べられている。
「遊びの範疇を超えてるわよ」
出来の悪い部下を叱るような言い方。
「木野さんは悪くないんです。私が」
何を言っても駄目だろう。
やっぱり、二人の世界に留めておくべきだったんだ。
秋吉様が悪く思われてしまう。
悪いのは私なのに。
悪いことはは全て私が請け負いたいのに。
「目を覚ましなさい」
若菜が伝票を手に取り、立ち上がった。
指に光った結婚指輪が目に止まる。
何度も見たことある指輪。
「軽蔑しますか?」
「しないわ」
「うそ」
ふてくされたように言った。目には不本意に涙が溜まる。
「本当。理解はできないけど」
舞衣が鼻を啜った。
「あなたは、本当にあの人のことが好きなのね」
「好きじゃないです。愛してます」
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