第1話⑧ はじまり

 気がついたら表参道駅近くに佇んでいた。

 

 今日は一学期の終業日。何故ここにいるのだろうか。ここに来るのは明日のはず。

 

 家に戻ると、学校はどうしたの、と母に怒られた。俺は午後に学校から消えてしまったらしい。今朝からの記憶が全くない。どうしてしまったのだろうか。母は学校に電話して、恐縮しながら謝っていた。


 2階の自部屋で着替えようとすると、ズボンのポケットに小石が入っていた。赤青緑が鏤められた、この世の物とは思えない石だった。それを眺めていると、あの長い一日を思い出していった。涙が止め処もなく流れてくる。俺は何てお馬鹿さんなのだろう。

 

 次の日から、表参道に人捜しに出かけるようになった。つきあっていた彼女と待ち合わせていたが、すっぽかした。どうせ振られるんだ。彼女からは〝バイバイ〟という連絡があった。

 

 一緒に何百回もループを繰り返して目的を果たした、アルマ・アイが見つからない。アイと出会ってから1日しか経っていないけれど、共有した時間は、他人とは言えない長さがあった。もう一度会いたいという思いが込み上げてくる。

 

 この世界にアルマ・アイという女性は存在するのだろうか。別の世界にいるのだろうか。だとすると、人への想いは、異なる世界に届いてくれるのだろうか。

 

 再会できるかも知れないと、毎日表参道を彷徨った。出会った廃ビルも覗いてみた。彼女はどこにもいない。微かな形跡すらもない。ここにいて欲しいと願ってしまう。

 

 なぜ、グッドラックと言われる前に本心を伝えなかったのだろう。後悔が何度も胸を締め付ける。

 

 これって失恋なのだろうか。こんな気持ちになったのは初めてだ。

 

 アイへの想いを忘れられる日がくるだろうか。淡々と暮らしていけば自然と記憶から消えていくのだろうか。


 太陽が西に消え去ろうとするとき、後ろ姿がアイにそっくりの女性を見掛けた。

 まただ。何人目だろうか。

 

 今日は、幾人かに声を掛けるが全て別人だった。気味悪そうな顔をされて走って逃げらもした。

 

 駄目で元々と無言で女性の前に立った。

 

 今度はビンゴ。外灯に照らされた女性は、忘れもしないアルマ・アイだ。

 

「どちら様?」と覚えていない様子。ループを解除して忘れてしまったのだろうか。そんなはずはない。俺はアルマ・アイを覚えている。一緒に異世界間をジャンプし、ループを繰り返した。戦いも食事も共にした。

 

 俺と同じように何らかの切っ掛けが必要なのかも知れない。

 

「アルマ・アイだろ?」

 

 女は首を傾げる。「私は君なんか知らない。どこの誰だ」と口をへの字に曲げる。

 

 他人の空似か。アイは高い声で喋らない。ハスキーな声だ。作為的に変えているともとれる。今日、何人もの女に浴びせられた軽蔑の眼差しに萎縮していく。

 

「すみません。人違いでした」ポケットからあの石を出して、女に握らせた。「お詫びの印です。差し上げます」と下に向けた頭をさらに下げて、「グッドラック」と呟くと逃げ出したい気持ちにしたがって踵を返した。

 

 そういえば〝私は君なんか知らない〟ってアイの口癖のような台詞じゃないか、と奇妙な懐かしさを覚えた。すると、ループを繰り返した日々が走馬灯のように思い浮かんでいく。今後アイを忘れることはない。後悔が僕の心を締め付けていく。僕はこの気持ちを一生背負って生きていくのだろう。俯きながら身体が震えてくる。

 

「津奈木渉」と背後から声をかけられた。忘れることのないハスキーな声。

 

 俺は振り返った。

 

 先ほどの女は満足そうな笑みを浮かべている。

 

「今、全てを思い出した。この石は、忘れ掛けた記憶を思い出させてくれる力を持っている」

 

 アイは石を放ってきた。俺は掴み損ねて落とした。

 

「ほんと、君はいつも弱いね。しかも、私がどれだけ待っていたか、そんなことにも気がつかなかったのかい?」

 

 俺は深く首を傾げた後、大きく首を振って、笑顔を返した。

 

 もう絶対に離ればなれにならない。そう心に呟いて、アイに歩いていった。

〈終〉

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