12.紫色をした甘い深い眠り

「――……ト! ……ゼット! シュゼット!」

「……わっ!」


 シュゼットがバチッと目を開けると、ロウソクの火に照らされた困惑した表情のエリクが飛び込んできた。


「ど、どうしたの、エリク?」


 シュゼットは寝ぼけながらそう尋ねる。エリクのように寝起きの態度が悪いわけではないが、それでもすぐには頭が働かない。


「どうしたのじゃねえよ!いや、俺が悪いんだけど……」


 エリクは気まずそうにバサバサ頭を掻く。その顔を見ると、徐々にシュゼットの頭はハッキリしてきた。


「ああ、起こさなかったこと? エリクってばよく寝てるから、起こすのもかわいそうだなと思って」

「だとしても、無理やり起こしてくれてよかったのに」

「あ、夕食の時は声をかけたよ。料理取っておいてあるから、今食べる? 今日の夕食はたっぷり野菜のラタトゥイユだったんだ」

「いや、いい。ありがとな。てか、今、何時だと思ってるんだよ」


 そう言われたシュゼットは、壁の鳩時計を見た。時刻は夜の一時過ぎ。窓の外は真っ暗で、辺りは静まり返っている。


「俺が起きるまで、ここにいるつもりだったのか?」

「うん。本当は起きてるつもりだったんだけど、ブロンが寝たら退屈になっちゃって」


 ブロンはシュゼットの足元で寝息を立てている。エリクの声にも起きないくらいよく寝ているようだ。

 エリクはブロンをなでると、ため息をつきながらソファに座りなおした。その顔は怒っているというよりも戸惑っているように見える。どうやら気を使わせてしまったようだ。

 シュゼットは話題を変えようと、明るい声で話し出した。


「でも、こんなにぐっすり寝られたってことは、ハーブティーがよく効いたんだね。よく寝られたでしょう?」

「……まあ、それは。よく寝られたよ。感謝してる」

「感謝してほしいわけじゃないよ」


 シュゼットがにっこりと微笑むと、エリクもうっすらと微笑みを浮かべてくれた。しかしすぐに厳しい顔つきになり、シュゼットにズイッと詰め寄った。


「でも、いくらなんでも危ないだろ。俺が悪いやつだったらどうするんだよ。何かを盗んだり、壊したり、シュゼットたちに乱暴したりしたら、どうするつもりだったんだ?」

「ええっ。その心配は、なかったなあ」


 シュゼットはどの言葉にもピンとこなかった。


 ――なぜかわからないけど、エリクを悪い人って思えないんだよな。でも、こんな曖昧な理由じゃ、エリクは納得してくれないだろうし、今はちょっと怒ってる気もする……。


 そこで、足元で眠る親友を理由にしようとシュゼットは考えた。


「エリクの言う通り、ブロンが魔法動物なら。ブロンがエリクのことをすぐに好きになったってことは、エリクは安全ってことになるって思ったんだよ」


 これは嘘ではない。ブロンは基本的に人懐こい性格をしているが、嫌いな者や苦手な者には態度が一変する。目が爛々らんらんとして、普段は隠れている鋭い犬歯をむき出しにするのだ。

 そのブロンが、出会って間もないエリクにはお腹まで見せているところを見ると、シュゼットは安心せずにはいられなかったのだ。


 エリクは口を開けたまましばらく固まっていた。

 シュゼットが「ね?」と言って首を傾げると、弾かれたようにため息を付いた。


「……いろいろ言いたいことはあるけど。まずは改めてお礼だな。ありがとな、シュゼット」

「どういたしまして」


 シュゼットが手を差し出すと、エリクはすぐにその手を取って、強く握ってくれた。


 ――こういう時に素直に握手をさせてくれるところも、信頼できるんだよな。


「今日はうちに泊まっていきなよ。元はおじいちゃんが使ってた部屋にベッドがあるから」

「さすがに図々しくないか?」

「ちっとも。むしろ真夜中に友達を帰らせるような薄情者だと思われたくないよ。エリクさえ良かったら、泊まって行って」

「まあ、今は武器も持ってないから危ないか。それじゃあ一晩お世話になります」

「どうぞ、どうぞ」


 シュゼットは眠っているブロンを抱き上げ、祖父の部屋の鍵を使ってドアを開けた。カーテンがついていないため、月明かりが部屋の中に差し込んでいる。その下に、ベッドがぽつんと置いてあった。


「シーツと毛布と枕は戸棚の中のを使って。あ、そうだ、それから……」


 シュゼットはバタバタと二階の自室に駆けて行き、すぐに戻って来た。


「はい、これピロースプレー」

「ピロースプレー?」


 シュゼットがエリクに手渡したのは、ガラス製の霧吹きだ。


「ラベンダーの精油が入ってるから、これを枕に吹きかけると良く寝られるよ」

「へえ、良いな。でも、これ以上寝たら、猫になっちまうんじゃねえか?」


 シュゼットはエリクに似た毛がバサバサの猫を想像し、クスッと笑った。


「いいじゃない、エリクはずっとよく寝られてなかったんだから。猫に負けないくらい寝た方が良いよ」


 シュゼットはそう言い、部屋の鍵をベッドの上に置いた。


「鍵の管理よろしくね。わたしの部屋は二階にあるから、何かあったらいつでもノックして」

「了解。それじゃあまた明日な、あ、数時間後か」

「あはは、そうだね。それじゃあまた朝に」

「おう、朝に」


 ふたりは笑顔で別れ、それぞれの部屋で、紫色をした甘い香りの深い眠りについた。

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