神變天狐異聞録

@tamagawa

第1話 狐火・一

 昔欽明きむめい天皇――是れ磯城嶋しきしまの金刺宮かなさしのみや国食くにをしし天皇すめらみこと天国あめくに押開おしはらき広庭命ひろにわのみことなり――の御世に、三乃国みののくに大乃郡おおのこおりの人、をみなまぎせむとしてみちに乗りて行く。時にひろき野の中にをみなう。其の女をとこなつく。壮めかりうちて言はく「何すれぞ行くき嬢」といふ。嬢答へていはく「をとこがむとして行くをみななり」といふ。壮また語りて言はく「我がつまと成らむや」といふ。をみな答へて言はく「ゆるさむ」といふ。すなはち家にて、交通とつぎて相住む。此頃このころ懐任はらみてひとり男子をのこごを生む。時に其の家の犬も十二月しはすの十五日に子を生む。の犬の子、家室いへのとじむかふごとに期剋いのご睚眥にら嘷吠ゆ。家室脅えおそり、家長いへぎみに告げて言はく「此の犬を打ち殺せ」といふ。うれへ告ぐといへどもなほ殺さず。二月三月きさらぎやよひころほひに、年米ねんまいまうけてく。時に其の家室、稲舂女等いなつきめら間食けんじきてむとして碓屋からすうやる。すなはち彼の犬の子、家室をはむとして追い吠ゆ。すなはち驚き譟き恐ぢ、野干きつねに成り、まがきの上に登りて居る。家長いへぎみ見て言はく「なむじれとの中に子を相生むが故に、れは汝を忘れじ。つねに来りて相寐よ」といふ。このゆゑをひとことばしたがひて来てき。故に――なづけて支都禰きつねふなり――時にくれなゐ襴染すそぞめて――今の桃花裳つきもなり――窈窕び、襴引すそびきてぬ。をひと去ぬるすがたて、恋ひ歌ひてはく「こひはみなわがうへにおちぬたまかぎるはろかにみえていにしこゆゑに」といふ。このゆえに其の相生ましむる子を、なづけて岐都禰きつねふ。また其の子のかばね狐直きつねのあたひふなり。の人強き力あまた有り。走ることはやくして鳥の飛ぶがごとし。三乃国みののくに狐直等きつねのあたひら根本もと是れなり。



 日本国現報善悪霊異記  きつねとして子を生ましむることのもと 第二




                  ◇




 ――ヒメさま、わたくしはあるお方をすきになりました。

 どうすればよろしいでしょう。


 従者のワラワからそう打ち明けられ、姫君ヒメギミはうつくしい顔を愁眉で曇らせた。


 ……なりませぬ。


 姫君が澄んだ声でそういった。


 ……。


 なりませぬ。人を慕うのはなりませぬ。けっして。


 ……ですが……。


 なりませぬ。どうでも、ならぬことじゃ。



 姫君の声に力がこもる。ワラワオソれて思わず目をふせた。

 その女の童を見た姫君の胸は、針が刺さったようにちくりと痛んだ。

 こども相手にきつい言葉コトバを口にしてしまったと、姫君は心中で悔やむ。


 晩秋を迎えた木幡コワタの森は、アカに染まっていた。つめたい風の中ではらはらと、葉がひとときの間もなく落ちてゆく。

 姫君のオワ玉殿ギョクデンは風光に暮れ、シャをかけた茜色アカネイロに燃える残光ノコリビが、落ちてゆく葉々を赤黄色にカガヤかせ金墀キンチを成す。



 ……。



 姫君の胸のウチに、若君ワカギミと中将殿のことがおもいだされる。

 琥珀色コハクイロの夕空と、染みるような黄と深緋コキヒの渺々たる山並み。

 昔日の瑞々しい思い出と、アカの彩りが姫君の瞳のなかでほろほろと揺れると、ツユのような涙が不意にこぼれ落ちそうになった。


 姫君はうつむいているワラワをちらりと見やる。

 姫君には童のココロの内は、わがことのようによくわかる。

 姫君はわれ知らずキヌの袂を握りしめた。そして長いあいだ夕陽をじっと見つめた。

 そののちに、ほんの小さなため息をつく。



 ……おまえのせつないはめをうち捨てるはしのびない。わたしはおまえをいとしく思って育ててきた。


 ……。


 おもてをあげ。


 ……。


 かようなさまではもはや及ばぬこと。遠くから見るだけでは、とても心が満たされぬじゃろう。


 はい。


 ではそのお方の……そう、おまえに為せることで、そのお方のお力に添える行いをして差し上げたもれ。


 はい、ヒメさま。


 われらは御仏ミホトケの教えを守らなかった前生ゼンショウの行いの報いで、かような身において今生を過しておる。


 はい。


 陰徳イントクあれば陽報ヨウホウあり。現世ウツシヨにて善行ゼンコウを積みたもれ。

 さすれば、かならずや後生にて、宿世スクセによってきことがあろう。いずれ……きっと……。


 ……。


 秋澄める夕の庭。

 それを見つめる姫君の端正タンジョウな顔から愁いのカゲは去らない。

 姫君はまるで御自身にいいきかせておられるようだと、童は思った。

 姫君ヒメギミワラワへと向きなおると、つとめてお愁いを隠し、おだやかに微笑まれた。


 ――でも、もうミヤコへ足を踏み入れてはなりませぬ。ぜったいにじゃ、よいな。わたしは、とてもとても心配したのじゃ。


 ……はい、ヒメさま、もうしわけございません……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る