第3話 正ヒロインに出迎えられる最低の朝
今日も今日とて最低の朝が来た。今のこの時代、わざわざ対面で学校に行く必要があるのだろうか。
気怠さによる欠伸を噛み殺しながら俺は玄関を上げた。
「あっ、おはよー柳下くん!待たせすぎだよ」
「最高の朝じゃないか」
「え?」
「ごめん、なんでもない。おはよう桜井さん」
「うん、おはよー」
片手を目一杯伸ばして人好きのする笑みを浮かべる桜井さんは、僕の横までくるとどちらともなく歩き出した。
今日から桜井さんと一緒に登校することは知っていたのだが、寝起きに見る美少女の微笑みは想像の何倍も破壊力があった。
すると桜井さんは何やらガッツポーズを見せる。
「略奪ポイント、一点獲得!」
忘れてた。この子は見た目だけでだいぶ中身がアレなんだった。
「その物騒なポイントはなに?貯まったら義賊でもやってくるの?」
「やってくるのはユウ君だよ。私たちが恋人らしいことをするとポイントが貯まって、その分ユウ君は快楽を得られるのです」
得意げに説明して胸を張る桜井さん
刺激的な光景に僕はつい視線を横に流す。
「というかさ、坂本くんって親友を第三者に取られるのが好きなんだよね?ならさ僕たちがこんなことしてて快感こそ得ても櫻井さんを取り返そうという動機になる気がしないんだけど」
我ながら頭が痛くなるような会話だな、これ。とてもじゃないが時折すれ違う小学生たちには聞かせられない。
「ダメだねー君はユウくんのことをちっとも分かってない」
チッチッチ、と指をゆる桜井さん。そりゃそうだろ、こちとらぼっちなんだから。
「ユウくんはね、天の邪鬼なの。だから奪われるのが好きだと言いながら、私が別の男と親密そうにしているのを見ると、それはそれでつまらないのよ。そしてそこで気づくの!自分の奥底に隠れた独占欲にッ!」
桜井さんは強く拳を握る。
まずい、変なスイッチが入った。僕はたじろぐ。
「『奈緒、やっぱり俺には君が必要だ!』そう言って人目も構わずに親しげに話す私と柳下くんの間に割って入ってくるのよ!キャー、だめよ!ユウくん。こんなとこで、そんな激しく!」
「もう、死ねばいいんじゃないかな」
自分自身を両手で激しく抱きしめる桜井さんをおいて、僕は先に行った。
早朝は静かに限る。ただでさえ嫌いな学校ではなにをしてなくとも精神と体力がすり減っていくのだから、今ばかりは安静にしてなければ。
「ちょっとちょっと、約束の15分前には家の前にやってきて、健気に君を待ってた私はもっと丁重に扱われていいと思うんだけど!」
「知らない、うるさい・・・って15分も前からいたの?」
「え?うん」
振り返ると小動物を思わせる表情で小首を傾げる桜井さん。
僕は想像する。
降りた朝霧がまだ晴れぬ早朝の住宅街にて一人、壁に背中を預け今か今かと僕が出てくるのを待っている可憐な少女の立ち姿を。
もしかして桜井さん、俺との登校が待ちどおしてくてそんな早くから・・・
「どうにもさ、ユウ君に振られたせいで寝付けなくてさ・・・」
ホント、誰か幸せにしてあげてよこの子。
地雷を踏んでしまった居た堪れなさと思春期特有の尊大な勘違いによる恥ずかしさから僕はしばらくなにも発することはできなかった。
僕たちの通学路ではもうすっかり桜は散り、青々とした木々が心地よさげに靡いている。比較的早い登校時間のため、俺たち以外に人はまばらで早朝特有のゆったりとした時間が流れている。
「時に柳下くん。男の子は女子のどんなところにぐっとくるの?」
こちらの顔を覗き込みながら櫻井さんは言った。
「そんなの人によるんじゃないかな」
「なら一般論でいいからさ」
そこは僕の意見ではダメなんですね。
グッとくるとこかぁ。
澄んだ空を見上げながら考える。
「や、やっぱり母性というか、優しさみたいなものじゃないかな。ほら、男の心はずっと子供のままっていうだろ?」
「母性ねぇ・・・」
よかった。だいぶ恥ずかしい答えを言った気がするけど、桜井さんが寛容なのかはたまた鈍感なのか助かったみたいだ。
今度は桜井さんが悩むそぶりを見せる。それから少し聞くか逡巡したのちに櫻井さんは数歩前にでた。
「わ、私って母性ある!?」
こちらを振り返り胸の前に手をやって、ものすごい目力で問いかけてくる櫻井さん。
朱に染まった表情に、前傾によってさらに暴力性を増した胸。そして上目遣い。
思春期真っ只中の俺にはその三種の神器は凶暴すぎる・・・!
なに一つとして思考力が働かないまま、ふっと桜井さんから視線を外す。
「か、可愛いとは思うけど、母性まではわかんないよ」
「うーん、そっか」
そもそも桜井さんとちゃんと話すのは昨日が初めてだったし、人となりについて僕はなにも知らない。同じクラスだけどグループが違いすぎて、正直あまり関心もなかったし。
ただの綺麗な人。それが俺の櫻井さんへの認識の全てだった。もうそれも遠い昔のように感じるけども・・。
「坂本くんに好みとかは聞いてないの?」
「・・・・だから、略奪されることなんでしょ。ははっ、笑っちゃうよね。私の努力の方向性、明後日どころかタイムスリップレベルだもんね・・・」
「そうじゃなくって髪型とか性格とかそういうのだよ!」
だめだ。少しでも手を抜くとダークサイド桜井が出てくる。
・・・めんどくさいなぁー、この人。
「えーとユウくんはね、ハーフアップが好きで。料理が上手な女の子が好きで、お淑やかな子が好みって言ってたよ」
「ほう」
料理の腕は知らないから置いとくとして、その二つに関しては満たしているように思う。髪型は趣向通りだし、性格だってたまに面倒くさい部分が出てくるだけで基本的にはお淑やかな方だと思う。
「えっ、あれ!?どうして柳下くん泣いてるの!?」
「う、ううん。なんでもないんだ。ほんと、なんでも」
つ、辛すぎる。なら本当に彼女が振られた理由って、マジのガチで純愛だったからってコトッ!?
なんという負け確イベント・・・。初見殺しもいいところだろ、坂本くん。
僕は溢れそうになる涙をなんとか止めて桜井さんを見た。
「絶対、ユウくんに振り向かそう。約束する」
「ほんと!?」
大きな瞳をキラキラとさせて、桜井さんは俺の手を取った。
「─って、痛い痛い痛い!」
ぶんぶんと上下に大きく腕を振られ、僕の手首は悲鳴を上げていた。
ようやく僕の悲鳴が聞こえたのか、桜井さんは僕の手を放す。
「よかった。正直さ、冷静になってから、わたし柳下くんにとんでもないことお願いしちゃったんじゃないかなって思ったりもしてさ」
「そこに疑う余地はないよ?」
「だからこそさ、柳下くんにそう言ってもらえたことがすごく嬉しい」
桜井さんは無邪気な笑顔を浮かべた。
ずるいなぁ
どれだけで厚顔無恥で、荒唐無稽で、無茶苦茶でも
夢を見ているまっすぐな瞳と純粋な笑みだけで許してしまう。
とても僕にはできない表情だった。
「よーし、絶対略奪させるぞー!」
「さ、させるぞー・・・」
うん、やっぱりこれ(異常性癖)だけは理解できない。
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