氷河の魔女が住む場所は

竜田くれは

氷河の魔女の水晶宮

 すっかり夜も更け、空には星が瞬く。

 王都から離れたとある湖のほとり。

 そこには毛布を被って横になり、すうすうと寝息を立てるひとりの女性がいた。

 

 彼女の名はグラシエ。王国でも数少ない奇跡の使い手、魔女の一人であり、その冷気を操る力から氷河の魔女と呼ばれている。

 黒いローブを身に着け、傍らにはとんがり帽子と背丈ほどの長さをした杖が置かれており、まさに魔女と呼ばれるに相応しい姿をしていた。


 その魔女グラシエは寝ていた。誰もが寝静まる時間だ。彼女が寝ていることは全くおかしなことではない。その場所が、外でなければ。 

 魔女であるグラシエはその功績から爵位を賜っており、当然王都の中心部に住まいを持っている。そんな彼女がなぜ王都から離れた場所で野宿をしているのかというと……


 暫くの間すやすやと眠り続けていたグラシエだったが、次第に呼吸が荒くなる。月明かりに照らされる美貌も苦しそうに歪む。直後、彼女の身体を中心として爆発的に眩い光が広がった。凍てつくような銀光、それが止んだ後彼女の姿は消えていた。


 代わりに現れたのは、巨大な竜だった。白銀の鱗を身に纏い、飛翔に用いる翼、そして長い尾を持っている。月光を反射し煌めく姿は幻想的であり、物語に登場する空想の生き物のようだった。

 

 そんなおとぎ話に出てくるような竜は、ふらりとバランスを崩して湖に落ちた。

「っげほ、げほ!」

 水がどこかへ入ったか苦しみ悶える竜。現れてからというもの、瞼を閉じたままだった竜はここで初めて眼を開いた。ずっと眠っていたらしい。

 そして、

「またやっちゃった……」

 そう、透き通った女性の声で嘆くのだった。


 竜化という魔法がある。

 強大な力を持つ竜に自らを変じる魔法である。竜の姿になればその翼で大空をかけることも、絶大な威力を誇る息吹ブレスを放つことも可能になる。だが、強大な力にもデメリットは存在する。竜化魔法、その欠点は、習熟していない場合寝ている間勝手に竜になってしまうことだ。


 一週間前、氷河の魔女グラシエは好奇心から竜化の魔法を唱えた。魔法は正常に発動しグラシエの体を竜の姿に変えた。彼女は竜の姿になれたことに興奮し、暫く飛び回ってはしゃいだ後人の姿に戻り家へと帰り床に就いた。デメリットのことなんて忘れて。

 その夜、彼女の家は崩壊した。竜と化して巨大になった彼女自身の肉体によって。

 

 永く生きる魔法使いであれば竜化の魔法に手を出さない。魔法を扱えない者や並の魔法使いであればそもそも竜化の魔法を発動できない。彼女は若く優秀な魔法使いだった。故にこの悲劇が起こるのは必然であった。


 家が崩壊してから一週間、グラシエは夜家に帰らず野宿をしている。自宅は既に再建されているものの、悲劇を繰り返さないためやむを得ず外に出ていた。快適な屋内とふかふかなベッドに慣れ切った彼女は、早くも心が折れそうだった。

 

 人の姿に戻った彼女はずぶ濡れになった体を拭きながら、叫ぶ。

「こうなったらでかい家を建ててやるぅ!」

 竜の身体で壊れない家を。


「それで、どうなったの?」

「王都にそんな土地はない、って突っぱねられちゃった」

 友人の魔女ルーゼとタオルを買い足しながら歩く。

 グラシエはルーゼと会う前、大臣に土地を貰えないか交渉していた。ただ、竜となったグラシエが寝られるほどの大きさを持つ家を建てるには、大貴族の屋敷数軒を丸ごと含めるような広大な土地が必要となる。当然断られたが、

「けどね、最近寝床にしてるとこなら貰えるって!」

「まあ、それは良かったわね」

 王都から離れた、されど魔女の力であれば数刻と経たず往復できる位置にある湖の周辺。そこであれば自由に使ってよいと許可を得ることができた。


「と、いうわけで建てるの手伝ってくれない?」

「貴女が建てるの!?」

「その方がお金かからないでしょ? それに、一人で建てるのは寂しいし手伝って欲しいな~って」

「私の魔法は役に立たないと思うのだけれど」

「炎の魔法は明かりにもなるし有難いんだけどなぁ」

 そう言いながら、ちらちらとルーゼを見るグラシエ。ルーゼは溜息を一つ。

「仕方ない、手伝ってあげましょう」

 グラシエは嬉しそうに笑い、

「じゃあ、家の建て方から調べよっか」

「そこからなの!?」


 建築が始まってから二年。

 湖はグラシエの魔法によって完全に凍てつき、その上には王城に匹敵するほど巨大な建造物が完成していた。

 名を水晶宮殿。グラシエの生み出した水晶の如き氷によって形成された、荘厳な宮殿を模した建造物である。その美しさは訪れた人間が、精霊や神が住んでいてもおかしくないと感涙にむせぶほどであった。


 しかし、グラシエがこの水晶宮殿に住むことは無かった。


 なぜかというと、

「やっぱり、でかすぎたかも……」

「そうだろうと思ったわ……」

 あまりにも巨大すぎたのだ。この水晶宮殿は。一人で住むにはあまりにも持て余す大きさになってしまったのだ。

 当初は睡眠時の竜化に備えて寝室のみを巨大にする予定だった。竜の姿に耐え得る大きさの部屋は寝室だけでいいのか? バランスが取れないのではないか? そう考えたグラシエとルーゼは全ての部屋を巨大にすることにした。結果、王城に匹敵するほど巨大な構造になってしまったというわけだ。


 しかも、グラシエは二年にわたる建造の中で竜化をマスターし、意識が無くとも人間の姿を維持できるようになった。それはつまり、元々あった王都の自宅に住むことができるということ。一人では掃除も行き届かないような巨大な宮殿にわざわざ住む理由が無くなったのである。


「どうしよっかなぁ、これ」

「なら、こうするのはどうかしら?」

 ルーゼの思いがけない提案を聞き終えた後、グラシエは目を輝かせて、

「さっすが私のルーゼ!」

 友人を褒め称えるのだった。


 現在、水晶宮殿は氷河の魔女グラシエの管理する観光施設として、多くの王国民に親しまれている。観光客で賑わう自らの力作を見ながらグラシエは、

「ふふん。最初からこうなるって理解しわかってたもんね!」

 なんて呟き、笑みを浮かべたのだった。


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