スラム街のさくら
水野いつき
第一章
第1話
売春婦たちの乳を吸って育った。
ゴミ溜めみたいな路地裏に生まれ落ち、母親が変わるたびに名を剥ぎ取られ、また与えられた。
私もいつか、ここで子を産み捨てるのだろうか。他人に乳を与えるのだろうか。
「おなかすいた」
木の枝みたいな子供が両手を差し出してきた。物乞いかと思えば何かを持っている。盗んできたらしい豆の缶詰を開けてやると、指を突っ込んで貪った。
可哀想に。こんな栄養状態では、きっといつまでたっても初潮がこない。ここでは困らないことかもしれないけれど。
豆を食べ終えた子供は名残惜しげに缶の蓋を舐めている。そのみすぼらしい行動には身に覚えがある。かつて私も木の枝だった。
私のような人間が集って生活するこのスラム街は裏側と呼ばれている。ゴミ捨て場でも構わない。
誰にも望まれずに生まれ落ちた年齢ルーツ住所不明の私たちは、世間から切り離され死を待つように生きている。
少女を見るともなく眺めていると、知った顔が通り過ぎ、路地を抜け表側に出た。馬鹿な奴。ただで済むわけがない。向こうの連中は、裏側の住民をドブネズミとしか思っていないのだ。
表側と裏側。人間になるかドブネズミになるかは隣り合う二つの街のどちら側に宿るかに懸かっている。そして二つの世界を繋ぐ細い路地には、見えない壁が立ちはだかっている。
路地から顔を突き出して表通りの様子を見ていると、レストランから店主が出てきた。両手で抱えたバケツから野菜の皮が垂れ下がってる。そして無関心を装った目は異物の通過のタイミングを見計らい、カラスのように光っている。
舌打ちが出た。こうなるから表通りに出てはいけないのに。
「クリス!」
首をめいっぱい伸ばし、何度も呼びかけた。聞こえていないはずがない。それなのに、薄汚れたコーディネートを見せ付けるかのように堂々と歩いている。
「おいったら! こっち来い!」
結局、クリスは頭から生ゴミをあびせられた。
ほら見ろ。だから警告してやったのに。
仕上げに突き飛ばされたクリスは恥ずかしそうに立ち上がり、来た道を引き返してきた。
路地から手を伸ばし、裏側へ連れ込んだ。
「クリス! なんで無視するんだよ!」
「イツもイッテルデショ。ソレ、オトコのナマエ。クリスティーナとヨンデ」
「うるっせえなこのくそばばあ」
「Watch your mouth」
「はあ?」
「コトバにキをツケテ。ソレをマモレバ、Everything will be okヨ。ヤクソク、ワスレナイデ」
クリスはニィッと笑った。
歯に真っ赤な口紅がついている。
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