『VS天狗』
(ここまでは全て計画通り、順調ね)
天涅側の交渉材料は、「時間遡行研究」だ。素人の鷺若丸が
本音を言うと、天涅自身は時間遡行などと言う難題が解決できるとは思っていなかった。『不能七題』に並べられるほどの絶対的法則が、そう簡単に覆るとは思えない。歴史ある土御門家が研究に参加したところで、無理なものは無理だ。それでもこの一件が鷺若丸にとって魅力的な餌に見えるなら、使わない手はない。それが合理的判断というものだ。
(もっとも重要なのは、わたしに与えられた役割を全うすること。そのためなら、使える策はなんでも使う)
彼女は光のない瞳で鷺若丸を伺い、淡々と切り出した。
「もしよければ、一つ提案がある。この件について、わたしたち土御門が協力を――」
しかし彼女は途中で言葉を切った。ふいに向きを変えた風に乗り、茂みの奥から妙な気配が漂ってきたのだ。異様な妖力だった。
「……!?」
龍脈の通る山だ。怪異たちも好んで集まってくる。だから妖力を感じること自体は、別に不自然なことではない。問題は、この気配に覚えがあることだ。
天涅は素早く警戒態勢に移る。鷺若丸を振り返り、掌を向けた。
「ちょっと、そこで待ってて!」
「どうしたのだ?」
返事はせず、気配の方へ動き出す。
妖力の主はすぐに見つかった。執事服に天狗面の大男、
仕事を終えた仙足坊は、振り返りもせずに言った。
「さて、隠れていないで出てきたらどうです?」
こちらの存在はバレているようだ。そう判断して、天涅は木の陰を出る。しかし同時に、別の藪の中から鷺若丸が這い出してきていた。
「いやぁ、見つかってしまったか。……あれ?」
また別の場所にわき出した白い煙からは、不審者ルックの
「ちっ、相変わらず鼻のいいやつじゃ。……うん?」
三様の場所から姿を現した三人は、それぞれに視線を交わし合った後、無言で仙足坊にコメントを求める。仙足坊は戸惑い、頭をかいた。
「えぇ~……。私が声をおかけしたのは、そこの陰陽師……だけなのですが」
「あなや、そうであったか……」
「なら妾らは、今ひとたび引っ込んでおくとするかのう」
「手遅れじゃない?」
とにかく、今は仙足坊だ。天涅は手首から刀を出して、警戒態勢をとった。
「まさかこんなところで、天狗に会うなんてね。いったいなにをしていたの?」
「その問い、答える必要がありますでしょうか?」
仙足坊は余裕の態度を取り戻した。背筋を伸ばし、底知れぬ微笑を口元に浮かべる。
「とは言え、せっかくいらしたお客様を手ぶらで帰らせるのも忍びないですね。ここは土産に、手傷の一つでも差し上げましょうか!」
仙足坊が突然、腰を落とす。彼はいつの間にか握っていた羽団扇を振りかぶると、力任せに振り抜いた。突風が吹きつける。
「うおおお!」
悲鳴を上げたのは鷺若丸だ。決して体格がいいわけではない彼は、あっけなく風に浮かされ、近くの樹へ叩きつけられそうになる。
咄嗟に動いた天涅は、彼の首根っこを掴んだ。靴を割いて足先から飛び出したかぎ爪が、地面に深く突き刺さり、彼女の小さな身体を留めてくれる。
彼女は空いた手で小瓶を取り出すと、力任せに地面へ叩きつけた。
「天の雫を飲み干せし、眠れる大地に根を張りて、寄せ来る風を阻みたまえ。《
光の曲線が地面から生え伸びて、無数に枝分かれしながら、二人の周囲に展開していく。これは風を防ぐための簡易結界だ。対仙足坊戦を見越して、あらかじめ用意しておいたのだ。
「ほう? 出来損ないの陰陽師にしては、気の利いたものを。しかし、所詮は付け焼刃!」
仙足坊が胸を張り、気合を入れて両腕を広げる。その背から純白の片翼が出現した。身の丈の何倍もあろうかという美しい翼だ。それが大きくしなやかに、空気を打つ。その瞬間、土を巻き上げて、仙足坊の姿が消えた。
吹き荒れる風の中、木の葉が飛び交う。そのいくつかは結界を突破し、鷺若丸たちを襲った。
「あなやーっ! ぼ、暴力反対!」
ただの葉っぱが、まるで刃物のような切れ味だ。天涅は前に立ち、鷺若丸を庇った。すぐに彼女自身の顔面が傷だらけになっていく。その傷は、腐った土のような色をしている。生命を象徴する鮮血の赤色とは、似ても似つかない色だ。
「いやはや醜い。醜いですねぇ。実に醜い! その穢れ!」
どこからともなく仙足坊の声が響き渡る。
「拙僧どもといたしましては、貴女には末永くこの土地を見守ってほしいと思っているのです。本当ですよ。新しくいっぱしの霊能者を派遣されるより、三流以下の紛い物を相手にする方が、よほど楽ですからねぇ。しかし――」
ふいに、天涅たちの頭上に影が差す。見上げた時には、すぐそこまで攻撃が迫っていた。風に運ばれ、巨岩が降ってきたのだ。大地が轟き、一帯の鳥が騒々しく飛び立った。
鮮血のような夕焼け空に、天狗の影がにじむ。
「穢れに塗れたその姿を見ていると、ついうっかり加減を間違えてしまいそうです。いやはや、本当に困りますねえ……」
しかし土埃が晴れた時、結界の周囲に広がるのは血の海ではなく、巨大な金毛だった。忌弧の尾が膨らみ、大蛇のようにのたくっているのだ。岩は直撃の寸前、彼女によって砕かれていた。
とは言え、すべての攻撃を防ぎ切ったわけではない。砕けた岩の破片はほとんど、結界内部にそのまま落下していた。幸い鷺若丸は、手足に軽い傷を負っただけで済んだようだ。直前に天涅が覆いかぶさり、彼をかばったのだ。
「あ、あままま、天涅殿!?」
「大丈夫」
天涅は冷静にそう主張するが、鷺若丸はその言葉を信じてくれないようだった。それも仕方のないこと。なにせ天涅の左腕は、地面にめり込む岩の破片で、下敷きにされているのだから。
天涅はその腕を、力任せに引きちぎる。破れた袖の内側から、金色のボルトとプレートが飛び散った。立ち上がった彼女の左上腕から先は、無くなっていた。服と一緒に、岩の下に置いてきてしまったのだ。にもかかわらず、袖の中からは血の一滴も垂れてこない。痛みも恐怖も、ありはしない。
彼女はただいつも通りの表情で、上空の敵を見据えた。仙足坊は接近してくる気配を見せない。このまま高度を維持して、安全圏から一方的な遠距離攻撃を続けるつもりだろう。
舞い降りてきた忌弧が、肩越しに振り返る。額から血を流していた。
「この程度で腕を持っていかれるなど、反応鈍すぎじゃぞ。洋菓子なんぞ食べるからじゃ」
「食べたかったんだもん」
「で、手は?」
「打った。確保は任せる」
○
上空の仙足坊は、次の攻撃に移ろうとしていた。風を操り、付近の木や岩を引き抜いてくる。天涅が推測した通り、飽和攻撃で結界を叩き続けるつもりだった。
しかし攻撃の寸前、なにかが彼の髪を引き抜いた。
「……むッ!?」
天狗は攻撃の手を止め、身構える。首元に潜んでいた白いなにかが、逃げ出した。陰陽師の元へ逃げていくのは、
「あれは……、まずい!」
髪を持っていかれた。身体の一部を奪われることは、人にとっても妖にとっても身の危険を意味する。たかが髪一本でも、陰陽師たちの手にかかれば、強力な呪術の触媒になるからだ。外せないターゲット・マーカーをつけられるようなものだ。
仙足坊は直ちに烈風を吹かせ、
「クックック! 横着するからじゃ!」
用意していた木や岩を、忌弧に向かわせるが、もう遅い。彼女は空中で器用に攻撃をかわし、結界の中に逃げ込んでいった。
「守りは任せたぞ、天涅!」
忌弧は仙足坊の髪を藁人形にこめると、鉢巻きで額に蝋燭を立てる。そしてどこからともなく五寸釘と、「100t」の刻印が施された身の丈ほどのハンマーを取り出した。
一方の天涅は残った片腕を振り払い、
藁人形の呪いは射程距離無制限。もはや遠距離でちまちま削る仙足坊の戦略は、瓦解していた。勝利の風が天涅たちの方に吹いている。
「ク~ックック、今こそあの生意気な天狗に、ありったけの呪いをぶち込んでくれるわ!」
忌弧が嬉々として、ハンマーを振り上げているのが見える。
仙足坊は唸った。
「なんということでしょう。まさか拙僧がこれほどまでに追い詰められるとは。が、しかし……」
彼はまだ本気を出してはいなかった。
空中で純白の翼を広げると、その大きな体躯を目いっぱいに反らし――
○
その直後、忌弧は空高く吹っ飛ばされていた。仙足坊の攻撃にやられたのだ。
「なにやってんじゃ天涅えええぇぇぇ……!」
忌弧の悲鳴が、木々を越えて山の向こうに消えていく。
取り残された天涅は、状況の把握に努めていた。視界が傾いでいる。地面に倒れているのだ。見れば右の脚が、ベシャベシャにねじ曲がっていた。まるで針金細工のようだ。
「莫迦な……」
すぐに鷺若丸の方を確かめる。土埃が眼に入ったのか、のたうち回って情けない悲鳴を上げていた。ひとまずは五体満足のようだ。
(いったいなにが起きた?)
天涅は分析する。えぐり取られた地面に落ちているのは、引きちぎれた
「考えられる答えは一つ……!」
仙足坊本人がミサイルのように突っ込んできたのだ。
天涅は足元に転がる、藁人形とハンマーに気が付いた。忌弧の手から零れ落ちていったものだ。あれを拾えば、呪いは続行できる。しかしできるだろうか。
風は激しさを増している。仙足坊の姿は見えない。どこかに隠れて次の攻撃を狙っていることは確かだ。どこからくるか。いつくるか。まずは守りを立て直すべきか。それとも呪いを続行すべきか。無数の思考が天涅の脳を駆け巡る。今とるべき行動は果たして?
足元の鷺若丸が呪文を唱え始めたのは、その時だった。
「万物は
「……!」
その狙いは明白だ。天涅は即座に意図を汲み取ると、片膝で起き上がった。控えの式神たちを展開し、《
「光よ、闇よ、宇宙の
○
無論、それをみすみす見過ごす仙足坊ではない。森の奥から射線を通し、大地を蹴る。
「させませんよ!」
翼を引き絞った彼の体躯が、木立の間を突っ切っていく。天狗ミサイルの標的は、防風結界中央。印を結んで身構えている土御門天涅だ。
仙足坊の突撃は、完全に彼女の死角をとっている。しかも音をも置き去りにする、この速度。回避行動など取れるはずもない。破壊の直線が迫る。
しかし仙足坊が勝利を確信したその刹那、結界の周囲に銀河のような無数の光が出現した。硬質な物体が夕日を反射しながら、空中を漂いだしたのだ。仙足坊は怯んだ。反射的に速度を緩め、顔面を庇ってしまう。
その行動が、ほんのわずかな時間を生んだ。式神たちが攻撃に反応し、防衛体制を作る時間だ。天涅の周囲を漂う
「《夢幻の間》、開放!」
最後の呪文と共に御札が光り、糸のようにほどけていく。その光の線は周囲一帯を駆け巡り、絶対に逃亡不可能な囲碁
仙足坊が突き出した羽団扇は、天涅の鼻先で凍りついたように静止している。
「ここは《夢幻の間》。囲碁以外、一切の攻撃が禁じられる」
天涅は瞬き一つせず、そう言い放つ。
「……ええ、存じておりますよ」
仙足坊は渋々と腕を引いた。
「ですが勝負を囲碁に持ち込んだところで、やはり貴女に勝ち目があるとは思えませんね。片眼鏡に頼りきりな貴女と違って、拙僧、多少は腕に覚えがあります」
「いいえ。打つのはわたしじゃない」
そのまま彼女は、碁盤の側面に這っていく。代わりに進み出たのは、もう一人の男。攻撃に晒され続けた怒りを星形サングラスの奥に隠し、彼は口を開いた。
「暴力はもういい。……我と。囲碁を。やれ!」
「貴方と?」
鷺若丸の佇まいは、とても霊能力者の類には見えない。立ち振る舞いは隙だらけだし、霊力の類も全く感じられない。しかし彼が碁盤の前に腰を下ろした瞬間、なにかのスイッチが入ったのを、仙足坊は確かに感じ取った。数百年の時を生きた、天狗の背筋さえ凍りつかせるような、異様な気配が彼にはある。仙足坊は翼をしまい、面を整えた。
「……ふっ。是非もありませんね」
仙足坊は靴を揃え、対面に正座する。二人のニギリを見届けて、天涅が司会進行を務めた。
「それでは。黒番、
碁盤を挟む二人の男は、同時に頭を下げた。すべての対局は礼から始まる。
「お願いします」
「お願いします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます