第8話 この料理は、何人前?

 フィアーは木の棒に体を預けながら、片手でぐるりとトロンプ・ルイユの外周広場を指し示した。いくつかの石像が、奇異な目で名探偵を睨みつけている。


 フィアーは人差し指をすっと持ち上げて言った。


「トロンプ・ルイユの謎の正体を理解する前に、ラズリーにいくつか確認したいことがある」


「私に確認したいこと? なに?」


「お前は今、とても満腹じゃあないか?」


 彼女は自分の腹を抑えながら、こくりとうなずいた。


「そうね。腹9分目は超えてるかな、って感じ」


「お前が店で食べたのは、フィッシュアンドチップスだけだったよな。量は俺と同じだが、色が普通のものだ」


「とっても美味しかったよ。紫色のフィッシュフライも興味あったけど、普通のでも良かったって、今なら思う」


「フィッシュアンドチップスを食べる前、腹は何分目だった?」


「腹0分目、って言えばいいのかな? 私は朝ごはんを食べたけど、山登りをしている間に、全部なくなっちゃったもん」


「OK。最も欲しい回答だ」


 その言葉を聞いた瞬間、彼は心底楽しげな表情を浮かべて右指をパチンと鳴らした。


「つまりお前は『フィッシュアンドチップスを0.7人前しか食べてないのに、とてつもない満腹感を感じている』ということだな?」


「……あっ!!」


 ラズリーは素っ頓狂な声を上げると、あわてて自分の口を手のひらで塞いだ。


 誰にも聞かれてないだろうと目をキョロキョロと動かすと、そっと彼に近づいて言った。


「確かにおかしい。私だって、1人前は食べられるもん。0.7人前を食べたのなら、腹7分目になってないとおかしいよ」


「実際に、お前の食べるスピードも途中から激減してたしな。気づかぬうちに、ラズリーの体も満腹の信号を発していたというわけだ」


「私もフィアーも、今は満腹なのよね?」


「そうだな。今も死にかけてる」


「ニコラスさんは、どうして私のフィッシュアンドチップスにも大食いの謎を仕込んだんだろう……?」


「よし、耳を貸せ。特別サービスで、教えてやる」


 フィアーはトロンプ・ルイユの正体をラズリーに話して聞かせた。


 全てを聞かされたラズリーは、目を丸くして背伸びし、トロンプ・ルイユを今一度覗き込んだ。その瞳には驚きと困惑が浮かんでいる。


「ああ、なるほどね! でもさ、こんなこと、普通は気づかないんじゃないかな?」


「ま、俺が世界一の名探偵だからこそ、簡単に謎を解き明かせるんだ。この程度の推理は朝飯前……いや、昼食後だな。今は」


「今のうちに、シェフに再戦の申し込みをしておいたら? 予約が万が一取れなかったら、ピアースさんへの完了報告が遠ざかるもの」


「そうしよう。お前は石像と遊んでろ」


 フィアーは長城風の外壁をひょいと飛び越えると、蝶の絵柄がついた窓ガラスを激しくノックした。


 ちょうどソファで休憩を取っていたニコラス氏は、新聞の隙間からフィアーの姿をじろりと見やった。高そうな紙タバコをくわえて、のそのそとキッチンへと向かい、窓をガラリと開けた。


 窓の蝶は、色の変化でイモムシへと描き換わる。


「おや、瓶ソーダ君ではないか。もう帰ったものだと早合点していた」


 フィアーはシェフがくわえている紙タバコをじろじろ見ながら言った。


「おいおい。名うてのシェフのくせに、タバコなんか吸ってんじゃねえよ。味覚がぶっ壊れるだろう?」


「確かに君の言う通り。しかし、これは特別な嗜好品。いわば、君にとっての炭酸水だよ。君は瓶ソーダを辞められるかね?」


 フィアーは当てつけとばかりに、ニコラス氏の紙タバコを指先でピンと弾き飛ばした。紙タバコはきれいな放物線を描き、キッチンから客席へと転がっていく。


 ニコラス氏は慌てて紙タバコを拾い上げると、後生大事にホコリを拭き取ってからくわえ直した。


「やれやれ。店が火事にならんで良かった。して、何のようだ?」


「再挑戦を申し込もうと思ったんだ。いつなら空いている?」


「まだ満腹だろうに、のんきな男であるな」


 ニコラス氏は壁かけカレンダーへと向かい、予定を確認しながら大声で返事をした。


「直近だと、来週の日曜日が空いている」


「ちょうど一週間後か。よし、その日にしてくれ」


「気をつけて帰りたまえ。またのご来店をお待ちしている」


 ニコラス氏はカレンダーに大きく丸をつけると、窓ガラスをぴしゃっと締めた。窓の色がまたもや変化し、イモムシは蝶へと切り替わった。



    ◇ ◇ ◇



 何時間もかけ、ルイシャムの事務所に戻ってきた2人。


 フィアーは戸棚からピアース氏の名刺を探し、弁護士事務所へ電話をかけた。


「もしもし。ピアース先生をお願いします。……。なるほど、今は不在と。では、全ての用事を放り出して当探偵事務所に来るよう、先生にお伝えください。内容? トロンプ・ルイユでの勝利報告に決まってるでしょう? ではよろしく」


 フィアーは一方的な約束を取り付けてから電話を切った。


 1時間ほどたった後、ピアース氏が走って事務所にやってきた。裁判所から直接来たためか、法服のみならず、法廷弁護士用の古臭いカツラを被ったままである。


 ピアース氏はカツラとカバンをソファに置いて汗を拭い、ラズリー手製の紅茶を一口飲んでからようやく落ち着きを取り戻した。


「フィアーさんから連絡があったと聞きましたので、急いで参りました。ひょっとして、トロンプ・ルイユの謎がわかったのですか?」


「ええ、その通りです。今から俺の推理をお話しします」


 かくかくしかじか、フィアーは自分の推理を話して聞かせた。


 その間、ピアース氏は、起訴状の朗読を聞くかのような静けさでフィアーの言葉に集中していたが、彼の言葉が終わるや否や、ゆっくりと息を吐いて背もたれに体を預けた。


 紅茶を一口飲み、深呼吸すると、髪をなでつけてからフィアーに言った。


「いやはや、そういう仕組みだったのですか! 恥ずかしながら、全然気が付きませんでしたね。なにせ大食いに必死だったもので」


「ピアース先生がこの俺様に依頼したのは、大正解だったというわけです。なにせ俺以外の探偵はまぬけ揃いですからね」


「フィアーさんに依頼を申し込み、ホッとしております。ええと……ルイシャム一の名探偵、でしたっけ?」


「違います。世界一の名探偵です」


 フィアーはわざとらしい咳払いをしながら訂正した。


 ピアース氏は苦笑いを浮かべると、真面目くさった様子で両手を膝の上に置いた。


「しかしながら、フィアーさんの話を聞く限り、どんな大食い家でもニコラス氏に勝てない気がしてきました。難攻不落の城と言われるだけのことはあります。いっそのこと、挑戦しないよう大食いコミュニティに通達したほうが良いかもしれません。


 ともかく、依頼を受けてくださりありがとうございました。ではここで、依頼料のお支払いを……」


「いや、少し待ってください」


 フィアーは手のひらを向けてピアース氏を制した。


「確かにトリックはわかりましたが、それだけでは不十分でしょう。確かに、ピアース先生の依頼は、トロンプ・ルイユの謎を解き明かすことでした。しかし、先生の本当の目的は、トロンプ・ルイユの大食いで勝利することではありませんか?」


 ピアース氏は神妙な顔で静かにうなずいた。


「そうです。名うてのレストランで勝利をおさめる、これにまさる名誉はありません」


 フィアーは長い人差し指を持ち上げると、もったいぶった口調で静かに言った。


「先生に1つ、勝負を申し出ます。『俺がトロンプ・ルイユで大食いに勝てば、依頼料を2倍支払う。負けたら依頼料は無料にする』というのはどうでしょうか?」


 新しい交渉が飛び出し、ピアース氏はフィアーの真意を図るべく、しきりにまばたきをした。彼はたどたどしい口調でフィアーの言葉を繰り返す。


「私と賭けをする、ということですか? 理由をお聞かせください」


「俺の推理が完璧であることを、自分の体をもって証明したいからです。しかしながら、先生にも賭けを受ける論理的な理由が存在します。


 ピアース先生は俺より胃袋が大きい。つまり、もしも俺が大食いチャレンジに勝てたなら、ピアース先生も大食いで勝てる。こういう理屈です。どうでしょう? 俺とはいかがですか?」


「それは面白い!」


 ピアース氏は自分の膝をパンとたたくと、ニコニコ笑いながらフィアーに握手を求めた。


「ぜひとも賭けに乗りましょう! こういう賭け事はとても好きなのです。フィアーさんが大食いチャレンジに勝利したら、私はあなたに2倍の依頼料を支払う。完食できなかった場合は、私は1ペニーも払わない。こちらで間違いないですね?」


「むろんです。名探偵に不可能はないことを証明してみせましょう! ハハン、これにて一挙両得。大儲けは間違いなしだ!」










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