俺も知らない“台本”の中で

水没竜田

転生した……のか?

「……ん? どこだここ?」


 見慣れない天井。

 目を覚ますと、知らない部屋のベッドの上にいた。

 部屋はあまり片付いてはおらず、床に服や物が散乱している。

 

(やっばいな。誰の部屋か全くわからない)


 おそらく、ここまで記憶が無いのは酒の飲み過ぎによるものだろう。

 酒は飲んでも飲まれるなと言うが、今回は完全に飲み込まれてしまったようだ。


 俺は重たく感じる体を起こし、辺りを見回す。

 どうやらマンションの一室のようだ。

 パソコンが無いことから、この部屋の主は仲の良い同僚ではなさそうだが、それにしても汚い…………っ!?


 俺が目にしたのは干されている女性ものの下着。それも、濃いピンクのかなり派手なもの。

 

(まさか、女性の部屋? ということは、そういうコトだよな……)


 お酒に溺れて一夜の過ちを犯してしまったということだろう。あんなことがあった後なのに俺が女性を抱いている時点でかなりの泥酔だったことが窺える。


(あれだけ自暴自棄になったのに、俺って馬鹿だろ……それに、今の服装もパンツ一枚だけって…………え?)


 時間にして数秒、俺はピクリとも動かず固まってしまった。


 あまりに強い衝撃に放棄してしまった思考を呼び戻し、自分の腹をペチペチと叩いてみる。


 そして、痛みを感じることを確認すると、俺はすぐに鏡を求めて洗面台を探した。

 もちろん、それは脱衣室にあり、俺は自身の顔を確かめるべく鏡を見た。


「うそ…だろ……」


 驚きが口から漏れる。


 決して額にでっかいニキビができたわけではない。


 そんなことより、信じがたいことが起きていた。


 派手な金髪、銀色のピアス、目つきは悪いが整った顔立ち、180センチは超えているであろう長身と筋肉質な引き締まった体は逞しいと言う他なかった。


「おれ、だよな?」


 自分の顔を何度も確認するように触ると、鏡の中の男も俺に合わせて顔を何度も触る。口を開けば口を開き、舌を出せば舌を出し、ウインクをすればウインクを……この顔は二度としないでおこう。


(なにがどうなったら昨晩のうちにこんな……)


 昨夜のことを思い出そうとするが、具体的な記憶が呼び起こされない。

 いや、昨夜どころではない。過去の出来事が全く思い出せないのだ。

 正確には「両親と仲が良かった」とか、「有名商社で働いていた」とか、そういう抽象的な文字列は思い出せるのだが、両親の顔や会社でどんな仕事をしていたかという具体的な映像が浮かび上がってこない。


(くっそ、どうなってるんだ? ラジオ体操が流れていないだけマシと考えるべきか……って、なんでこれは覚えてるんだよ!!)


「へっくしょんっ!!」


 くしゃみに合わせて体を震わせる。

 鏡でじっとしているにはパンツ一枚というのは肌寒い。


「一旦、シャワーか」


 うおっ、厳ついな。


 そんな感想を抱きながらパンツを脱ぎ、俺はシャワーを浴びる。

 タオルで水気を拭き取り、ドライヤーで髪を乾かしながらもう一度、鏡をまじまじと見る。


(これ転生ってやつだよな。正しくは、憑依だったか? なんだっけな……)


 高校生のときに没頭していたライトノベルの知識を引っ張り出してみる。

 赤子からではなく、こういう元々は別の人間が使っていたであろう体に意識だけ入ることを憑依と言っていたような気がする。


(どっちでもいいか。それより、なんでこんなことになっているのか……)


 おそらく、俺は昨日の飲み会帰りに何かがあって一度、死んだと考えるのが妥当だろう。

 まったく記憶が無いことからも不慮の事故によるものだろう。


 運が悪かったと割り切るしかないだろう。


 そこまではいい。いや、良くない……パソコンを風呂に沈めるように遺言を書いておくべきだったが、それは置いておくとして……


 問題は現在の状況だ。


 俺からすると、こんなふうに転生するならファンタジーな世界で冒険者として旅をしながら巨悪と戦う英雄譚の主人公が良かった。


 勇者とか、賢者とか、チートスキルで無双とか、いっそのこと魔王でもいい。 


 そういう世界でかっこよく戦い、美女と結婚……あわよくば、ハーレム生活を楽しんでみたかった。


 それなのに、俺がなったのは見た目が至って普通のヤンキー君。


 こいつの顔に見覚えもないことから、原作知識で無双したり、バッドエンドを回避したりするタイプでもない。


 ということは、このヤンキー君の体で人生やり直し系ってことか? まあ、そういう系しかないか。


 そもそも、こういうのって体の主の記憶を覗き見て確認できることが前提で話が進むだろ。


 だが、実際はその情報――すなわち、こいつの記憶が全くない。


 思い出そうとしても、過去回想のような映像が脳内で流れることもない。


 これじゃあ、こいつが本当にヤンキーなのか、どういう人間関係を築いているのか、何歳なのかも分からない……いや、これが転生の現実リアルか。


 物語の主人公たちは運よく自分が知っているストーリーに転生してたってことか。


 まずは、現状確認からだな。


 髪を乾かし終え、パンツを履き、適当なTシャツを着てお目当てのものを探しにベッドへ戻る。


 それは俺の推察通り、枕元にあった。


 そう、スマホだ。


 現代において、スマホはありとあらゆる情報を閲覧できる生活必需品であり、個人情報の塊である。


 きっと、メモにでもコイツ自身の情報が記録されているはず……


 おっ! やったぜ、顔認証システム。現代文明、サイコー!!


 パスワードが分からなくても、本人の顔さえあれば開く神システムに感謝してスマホを開くと、見慣れないアプリがズラッと並んでいる。


 電話や写真といった基本アプリはアイコンのイラストで判別がつくが、自分でインストールする類のアプリは想像ができない。


 SNSアプリはどこだ……おっ、通知が来てる。


『先に行くね』


 『ひめ』という人物から送られてきていた。

 

 先に行くって、どこに?

 

 やり取りを遡ってみるが、それらしい場所は出てこない。

 というか、今は五月の十日なんだな。


 ただ、それよりも……


『今日は帰ってくる?』


『シャンプー買ってきてー』


『起こしてって言ったよね』


『プリン食べたでしょ! ちゃんと買っといてね』


 このメッセージの感じ……同居人だな。

 それも、アイコンの感じからして若い。

 おそらく、母親とか、そういった年の離れた保護者的な人物ではなさそうだ。


 おっ、これは……

 

『生徒指導室行ってたでしょ』

『それが?』

『バレた感じ?』

『全く。授業態度で怒られただけ』

『慰めてあげよっか?』

『いい』


 ほー、なるほどね。

 これが今年の四月のやり取り。


 生徒指導室、授業態度で説教……間違いない。

 こいつ(俺の体)、高校生なのか!?


 マジか!? ってか、制服掛かってる!?


 急な出来事で視野が狭くなっていたのだろう。

 スマホから顔を上げると、ハンガーに制服のブレザーとシャツが掛かっている。


 高校生か……正直、高校生活をまた送れるのは非常に嬉しいが、それにしても今どきの高校生は恋人と同居するのか……


 世界が違うのならば、倫理観や価値観も変わってくるだろう。


 元の世界では、時代や国が違えば一夫多妻制ハーレムだってあったんだ。何もおかしな話はない。


 待てよ……それはつまり、この世界において、男女比が違ったり、貞操逆転だったりもありえるってことか!?


 なんだったら、男尊女卑またはその逆が過激な可能性もあるし、あるいは、女性にも……


 うわー、めんどくせー。


 なんか、考えだしたら一気に面倒くさくなってきたぞ。


 くっそ、こんな現代風な世界に転生するなら、原作履修済みアドバンテージで無双できるようにしておいてくれよ……


 そんなくだらないことを嘆いていても始まらない。


 一旦、この制服がどこの学校か調べないと、登校することすらできないからな。


 生徒手帳を見ればわかるか……あれ?


 ふと、ある疑問が脳裏を過ぎった。


 それは当たり前のことなのだが、社会人として働いた経験から、ぞわっとした悪寒を感じる。


 こいつ、学校に行かないといけないのでは?


 咄嗟に時間を確認すべく、スマホを見る。


 八時五十分


 高校の一時間目って九時には始まるよな。遅刻確定ってことか……


「落ち着いている場合じゃねえだろ!!」


 遅刻の恐ろしさを知った社会人は、急いで家を出ようと荷物をまとめ始めると、今日の時間割がわからないどころか教科書の類が一切ないことに気づくが、制服に袖を通し、スッカスカの鞄を片手に外に出た。

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