第5話「帝国・共和国」
ラインツファルトは唇を噛みしめ、かすれた声でつぶやいた。
「……なぜ、殺した……」
「なぜも何もない。アンデッドは人に戻らん」
「そんなことはない! 人に戻ることはほとんどありません、それでもゼロじゃない……! なのに容赦なく殺すなんて、それは私たちのやり方じゃない」
「『私たち』のやり方? そんなに八十年前のやり方が懐かしいか?」ハルトマンの瞳は氷のように冷たい。「貴様は、今の『世界』を何も知らん」
ラインツファルトの拳が震え、空中にいくつも魔力の塊が生まれる。瞬く間に弾丸が形成され、ハルトマンの胸元に照準を合わせた。
「……説明してください。なぜあなたが、なぜこの国が、これほどまでに『命』に冷酷なのか」
ハルトマンは、ラインツファルトの殺気を真正面から受け止めても、表情一つ変えず話を続ける。
「……世界樹の魔力供給量が減少していることは知っているな?」
「……ええ、まあ。八十年前にも問題になっていました。今後三十年以内に魔力が枯渇するという説は、当時の共和主義者の行動理念の一つでしたから」
「だが、王国時代に荒野とされた魔の森以西には、意外なものがあった。世界樹の本体だ」
「……、それを破壊されれば、この星の魔力供給は途絶えるということになりますね」
「そうだ。さらに、そこには『魔力の泉』がある。帝国が不毛の地に建国されたのは、それが理由だ。魔力の泉は濃密な魔力の塊であり、地脈を通って流れる魔力の根源だ。……そこに、魔力を持つ生物を投げこめば、世界に供給される魔力量は、その分だけ増加する」
ラインツファルトの脳裏に、不吉な仮説がよぎる。
「魔力を持つ生物を投げ込むって、まさか帝国は魔力を得るために魔術師を、人間を『燃料』にしているのですか?」
「そうだ」
ハルトマンは、拘置所の冷たい床に横たわる、アンデッドのエリザを一瞥する。
「魔力を多く持つ者を選び、泉に投げ込む。共和国からも、多くの魔術師が『追放』という名目で連行されている。彼らはみな、死んだ」
ラインツファルトは愕然とする。
「死んだって……そんな暴挙があっていいはずがない。それに人一人が入れたところでそんなに変わるとは思えません」
「確かに、一人ではほとんど変わらない。しかし、もしそれが魔力量の大きい魔術師で。なおかつ数十、数百と増えれば——」
「まさか……王族の追放は、そのためってことですか」
魔力量の多い王族を犠牲にすれば、魔力の枯渇を食い止められる。そして得られた魔力を独占できれば、それは圧倒的な攻撃力に、兵器になる。
「その通りだ。そうやって数多くの王族が泉の中に消えていった」
胸に痛みが走り、ラインツファルトは絶望したような顔になる。
想像してしまったのだ。なじみのある顔が何人も泉の中に突き落とされる姿を。
「……それでも!」 ラインツファルトは、照準を合わせたまま叫ぶ。「それが命を軽んじていい理由にはなりません。 人の命は、人の幸福は何よりも大切なんです」
「何を言い出すかと思えば」 ハルトマンは、初めて嘲りを込めて溜息をつく。 「それはお前自身の命よりも大切だと言うつもりか?」
「当然です! 自分の命を優先して生きることに一体何の意味があるんですか? 私は、……私は……」
声が途切れ、ラインツファルトはふと自分の両手を見つめる。今の自分には一体何が残っている? 自分は何をしてやれた?
ハルトマンは一歩も動かず、低く告げる。
「それが答えだ。誰かのために何かをしたところで、意味などない」 彼女は、氷が張り付いたエリザの亡骸を指さす。「その女もそうだ。お前のために80年間も『守護』とやらを続け、生きた結果、何が残った?」
「……やめてください」
「自分の幸せを捨て、他人のために生きるなど愚かだ。せいぜい自分のために生きていた方がまだマシだった」
「やめろ!」
ラインツファルトの叫びが虚ろな部屋に反響する。彼は頭を振り、荒ぶる心を必死に鎮めた。
(拘置所の外から、馬車のきしむ音が聞こえる)
ハルトマンは冷え切った声で言い放つ。
「お前にできるのは、帝国へ行き、過去を清算することだけだ。誰かを助けようとするな。生き方に執着するのはやめろ。人一人にできることなど、たとえお前がどれほど優れていようとも限られている」
「人一人を救うことすら、私にはできないと言いたいのですか?」
「ああ、そうだ。ことによっては、一人を救おうとしてより多くの命を犠牲にすることになる」
ラインツファルトは、床に横たわるエリザを見おろした。
彼女を助けようとしたことが間違い? そんなはずはない。彼女を助けて王国を守り切ることも、そういう未来もきっとあったはずだ。自分がもっと強ければ——
(いや)ラインツファルトは思考を停止した。それこそがハルトマンの否定するものなのだ。
「……わかりました。帝国へ行きましょう。そこで全てを終わらせてみせます」
彼は、氷漬けのエリザの亡骸を、毛布ごとそっと抱きかかえる。
「ですが、ハルトマン大尉。誰かのために生きることが無意味だという言葉、それだけは、必ず後悔させてみせます」
「……そうか。楽しみにしている」
ハルトマンは無表情のまま、拘置所の扉を開けた。 そこには、共和国の馬車が、冷たい霧の中で待機していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます