魔王人生 第1章 第15話 暁、されど宵


あのミエルとの戦いから二週間が経過した。


俺の右腕はナスカの治癒魔法によってほぼ完治し、一連の戦闘の責任はミエルにあるとされ、彼女との『協同生活』という名の収容期間も、一週間ほど省略された形で幕を閉じた。



皆が口を揃えて「よく生き延びた」と言ってくる。



それほどのことなのかと思い、白玖に尋ねると——


『今まで、あの部屋から生還した者はいないからのう・・・』

と、しみじみとした口調で答えた。



特にやることもなく、拠点内をぶらぶらと歩いていると、狐嶺こんれいに呼び止められた。


部屋に入ると、ガブリエルがまるで教師のような格好をしており、俺に資料の山を押しつけ、席に着くように促した。

流されるまま、何故か『魔界』について学んでいる——


「いや、なんで?」



「えっ?」



神代とガブリエルがいる会議室は、一瞬で静寂に包まれた。

「どこか分からない部分があったッスか?」

「いや、そういう話じゃなくて……なんで俺が『魔界』のこと勉強してんの? 気づいたらここにいて、流れで講義を受けてるんだけど。説明しろって」


神代は不服そうに、ガブリエルに理由を求めた。

「そうッスね〜……上からの指示で、次の段階として何が適切か話し合った結果、君に任務として『魔界』に行ってもらうことになったッス!」


神代はガブリエルの話を聞き、少し間をおいて問いかける。

「……任務? 『魔界』へ追放じゃなくて?」



「そこまで私たちは非情じゃないッスよ……」



ガブリエルはホワイトボードに何かを書き始めた。

「……っと、まぁ簡単に任務をまとめるとこうなるッス!」

ホワイトボードに書かれていたのは——



『その一、【邪十イビル・ディエーチ】を探す』

『その二、【魔王】の座に就き【十神じっしん】になる』

『その三、能力や魔力についての知識を深める』



「要するに、人探しのついでに【魔王】になって、強くなれってことか?」

「まぁ、ざっくり言えばそうッスね……」


神代は書かれた内容を見つめながら考え込む。



『その二』に関しては、なんとなく理解できる。

俺が過去に最強と呼ばれた【魔王】の能力を持っているからだろう。



だが、『その一』……【邪十じゃじゅう】?



「【邪十じゃじゅう】って何だ? ……というか読み方はこれで合ってるのか?」





邪十イビル・ディエーチ

かつて『終末戦争』と呼ばれる歴史上最悪の戦争があった。 その戦争の終結は、たった十体の魔族によるものだったとされる。


黒刀こくとう』『病魔びょうま』『怨念おんねん』『堕天だてん』『キしん』『雷獣らいじゅう』『百眼ひゃくがん』『帝王ていおう』『闇竜やみりゅう』——


そして【魔王】


最近の遺跡調査によれば、魔族側のによって、彼らは天使族の連合軍と魔族軍の両方を相手取ることになり、結果的に両軍をに追い込んだという。




「——とまぁ、これが【邪十イビル・ディエーチ】についての話ッス。あくまで古文書に記されていたことだから、どこまでが真実かは分からないッスけどね」



神代は、渡された資料を見ながら話を聞いていた。

「探せって言われても、特徴も分からないんじゃ無理だろ……何かしらの情報くらいあるんじゃないのか?」


「そうッスね……今のところ、一人だけなら居場所の見当がついてるッス!」



ガブリエルはタブレット端末を操作し、神代に見せる。



「【邪十イビル・ディエーチ】の一人、『病魔びょうま』のアルニアス。『魔界』の中央都市『ベルゼ』にいるという噂があるッス。確証はないけど、信憑性は高いッスよ!」



それから数十時間、神代はガブリエルの講義を受け続け、ぐったりとした状態で自室へと戻った——



「はぁ……情報量が多すぎて、頭がパンクしそう……」




神代はベッドに寝転び、天井を見上げる。



……本当に、ここから旅に出るのか。

天使たちと会ってから、もう一年近くが経つ。

能力や魔力といった、漫画やアニメの中だけのものだと思っていた概念が、今や現実となっている。



神代は起き上がり、窓の外を見た。

「……」

壊滅した街、頬をつねっても痛みがある。


改めて思う——これは、紛れもなく現実なのか・・・。

ここから先は死と隣り合わせ。 安全な場所などほぼ存在しない『魔界』へ行く——



「……そもそも、言葉は通じるのか?」



神代は言語の問題を気にしつつ、ベッドに身を沈め、ゆっくりと目を閉じた——




翌朝、その日はガブリエルの講義はなく、代わりにベルの鍛錬に付き合う予定となっていた。

「いや~、付き合わせちゃって悪いですね……」

ベルはそう言いながら、流派の型を一挙手一投足、丁寧に確認していた。



「構わねぇよ。ある程度準備が整ったら『魔界』に行くんだろ? それまでに身体が鈍っちまったら生き残れねぇしな」



神代はゆっくりと身体を伸ばしながら準備運動を進める。

「よし……こっちは準備完了だが、お前はどうだ?」

「もちろんです!」



神代とベルは互いに向き合い、武器を構えた。

訓練場は、外から聞こえる小鳥のさえずりが響くほど静寂に包まれる。



――先に動いたのはベルだった。



――闇の衣ダークフォース 20%――




ベルの動きに合わせ、神代も力を解放する。



――ガキィンッ!!!



訓練用の武器がぶつかる鋭い音が場内に響いた。

ベルは一方的に攻め、神代はそれを見極めながら防御に徹する。



「フッ……ハァアッ!!!」



――レスト流剣術 レイズ・ファルク――



ベルが放った五連撃を、神代は余裕をもって相殺する。



――異形一刀流いぎょういっとうりゅう 星彩せいさい――



「――ふぅ……」



ベルは武器を収め、攻撃の手を止めた。



「……どうした? 続けないのか?」



神代も武器を収め、肘を武器に預けながら一息つく。

「今日の鍛錬はここまでで大丈夫です……ありがとうございます……」



ベルの声にはいつもの活気がなかった。そのまま訓練場を後にし、部屋へと戻る。



「どうしたの、ベル? いつもの元気がないじゃない」



声をかけてきたのは狐嶺だった。

「……少し、調子が悪くて」


ベルの笑顔はぎこちなく、遠くを見つめていた。

「さっきの模擬戦がショックだったのかしら? それとも――」

「――神代くんの実力は、私を遥かに超えています……悔しいですけどね」


ベルはその場に座り込み、膝を抱えた。

「……それだけじゃないです。彼は一人の人間なのに……本当ならもっと、友人と遊んだり、学んだり、ご飯を食べたり……でも私たちが、彼の運命を変えてしまった……残酷な選択をさせてしまった……ううっ……」


ベルの目の前が滲む。罪悪感と悔しさが胸を締めつける。

「……ベルは優しいわね。その気持ちは彼にも伝わっていると思うわ」


狐嶺はそっとベルの背中を擦り、一緒に座り込んだ。




―――――――――




神代は移動の途中、書庫で『魔界』に関する本を十冊ほど借り、部屋へ戻った。

「何だこれ? ……『魔界』にいる【三大魔女さんだいまじょ】……温泉みたいな表記すんなよ」



――【三大魔女】

旧魔界歴5320年。かつて強大な力を持つ魔族の弟子として、三人の魔人がいた。

しかしさらなる力を求め、師を裏切る。

師はそれを見抜き、三人に強大な力を与えると同時に呪いをかけた。


――『食』の呪い。 ――『睡眠』の呪い。 ――『性』の呪い。


師は三人を破門し、姿を消した。

旧魔界歴は一万年の時を経て改正され、現在は新魔界歴6104年。

【三大魔女】は各国を治めている。

『食欲』を司る魔女――アペタイト・ルージュ。

『睡眠欲』を司る魔女――シープ・ルルン。

『性欲』を司る魔女――リビドー・フレン。




「……厄介なやつらが多いな」


神代はさらにページをめくる。

「おいおい……七人の魔王? これ以上増やすなよ……」



――【七大魔王ヘプタ・ディアボロス

旧魔界歴2507年。

魔界の統治のため、【魔神】により七体の魔人が各地に派遣された。

彼らは『禁忌黙示録ノ書きんきもくしろくのしょ』により呪われたが、代償として強大な力を得た。


『憤怒』『嫉妬』『怠惰』『強欲』『色欲』『暴食』『傲慢』――

七つの異名を持つ魔王達。



「……情報量が多いな……歴史だからか?」


神代は本を閉じ、窓の外を眺めた後、再び読み始めた。




数時間後、神代は『魔界』に関する資料を一通り目を通し、昼食を取るために部屋を出た。




「頭が重いな……ん?」

部屋の近くで、風鐘ふうりんとウリエルが立ち話をしていた。彼らは明らかに神代を待っていたようだった。


「おっと……続きは後ほどにしましょう。お待ちしておりました。」

「……ん」


三人は屋上のベンチに腰を下ろし、昼食を取りながら会話を始めた。

「それで? 話ってなんだ?」


神代は食事を取りながら、ウリエルに問いかける。

「いきなりですが本題に入りましょう。あなたに課せられた任務は【魔王】になること……だけではありませんね?」


「……悪魔にでもなれと?」


神代は冗談めかして言うが、ウリエルは冷静に箸を置き、話を続ける。

「そういうことではありません。以前少し話した【十神じっしん】のことを覚えていますか?」


「あぁ~、確か種族の代表が神の代行をする、みたいな話だったな。」


神代が言葉を返す中、風鐘は黙々と食事を進めていた。

「一般的な理解はあるようですね。あなたには、その【十神じっしん】にもなってもらいます。」



ウリエルの言葉に、神代は箸を止め、ゆっくりと顔を上げる。



「……何?」



「つまり、【魔王】になるだけでなく、【十神じっしん】の一員としても行動してもらうということです。」


神代は口の中の食事を飲み込み、呆然とする。


「……冗談?」

「冗談ではありません。」


ウリエルは断言した。

「ふぅ……もう驚くのも疲れたから、率直に聞くけど、そんな簡単になれるものなのか?」


神代は落ち着いた様子で質問を続ける。


「簡単ではありませんが、条件は明確です……強くなること。」

「うわ、めちゃくちゃ単純だな。」


神代は食事を片付けながら、さらに尋ねる。

「強くなるのは分かった。でもそういうのって、何か『申請』とか『宣誓』みたいな手続きみたいなのが必要なんじゃないのか?」


「【十神じっしん】になるには、現在の【十神じっしん】十名のうち、過半数の賛成が必要です。基本的に実力主義なので、強くなることが最優先事項ですね。」


ウリエルの説明が終わると、風鐘ふうりんは静かに食器を片付け始める。

「とりあえず、そのことを伝え忘れていたので報告に来ました。」


「そういえば、風鐘が一緒にいるのは?」

「いつも一緒に昼食を食べていますから。」




その後、神代はウリエルたちと別れ、部屋へ戻った。

「えぇっと……これだったか?」


部屋に置いてあった本を広げ、歴史を読み漁る。



「やっぱり『魔界』は完全な弱肉強食の世界だな。強い者が上に立つ……。」



ページをめくりながら、神代は思う。

「……なるほど。マンガの設定資料みたいに考えれば、意外と分かりやすいな?」


そう納得しつつ、彼は数時間にわたって本を読み続け、その日は眠りについた。




翌日、神代は再び講習を受けていた。狐嶺こんれいがホワイトボードの前で「能力」や「魔力」について説明している。



「――っていう感じなのよ。私の話、分かりやすい?」

「まぁ……微妙。」


意外だった。『魔界』の話をするのかと思えば、戦闘に関する講義が始まるとは。



神代は狐嶺こんれいに質問をする。

「さっきお前が言ってた『能力にも成長がある』って、具体的にはどういうことだ?」


「あぁ、それね~。能力の研究は今も続いているけど、最近分かってきたことなのよ。一番分かりやすいのは風鐘ね。あの子の能力【無音サイレント】は、最初は自分の程度だったけど、今では放った弾丸の音だけじゃなく他の音まで消せるようになった。」


「それはつまり、能力が進化するってことか?」

「厳密には違うわ。『成長』というより、本人の『認識』や『使い方』が変わった結果ね。」



狐嶺こんれいはホワイトボードに新しい図を描きながら続ける。

「私たちも例外じゃないわ。あなたやウリエル、ミカエルも何かしらの変化があるかもしれない。」


「つまり、気づくか気づかないかの問題ってことか?」

「ええ。能力の変化は目に見える場合もあれば、本人が気付かないまま起こることもある。成長とは、そういうものよ。」


狐嶺こんれいはホワイトボードを消し、最後の話を始める。


「この世界には私たちでも分からないことが山ほどあるわ。『禁忌黙示録ノ書きんきもくしろくのしょ』や、『氣力きりょく』『神力しんりき』、そもそも『魔力』とは何なのか?【神災】が誕生した理由……挙げればキリがない。全部を知る必要はないわ。あなたの出来る範囲で理解すればいいのよ。」


狐嶺こんれいの講義が終わり、神代は部屋に戻る。

「……そういえば、『魔界』に行く日って決まってたっけ?」



神代は少し考えた後、何かを思い出す。



「……俺の武器、返してもらってねぇな。」



神代は部屋を出て、まっすぐ武器庫へ向かった。

「邪魔するぞー……って、誰もいねぇのか」


扉を開けると、室内はひっそりと静まり返っていた。


神代は迷わず自分の武器『神器』がある場所へ歩み寄る。

「えっと……あった、これだ」


神器を手に取り、慎重に背中へと隠す。

「勝手に『魔界』行きを決められるのは気に食わねぇからな……俺のタイミングで出ていく」


そう呟くと、誰にも気取られることなく部屋を後にした。





深夜――

月明かりが、荒廃した街の闇を優しく照らしていた。

神代は天使たちの拠点を抜け出し、ひっそりと自宅へと向かっていた。



「案外バレねぇもんだな……さて」



崩れた建物の隙間から、慎重にピンク色のガーベラを取り出す。

それを家の近くにある墓へ供えると、目を閉じ、手を合わせた。



「……行ってくる」




静かにそう告げると、再び夜の街を歩き出した。

彼が向かうのは、指定されていた海岸沿いの場所だった


「――っと、たしかこの辺りのはずだけど……」


周囲を見回し、何かを探していると、不意に背後から声がした。



「やっぱり、もう行っちゃうんだね……」



振り返ると、そこにはナスカが立っていた。

「……やっぱり気づいたか」


神代は苦笑しながら、彼女の方へと歩み寄る。

「それで? 『魔界』へ行くには、どうすればいい?」


ナスカは海岸沿いを指さし、ゆっくりと詠唱を始めた。



― 神が命ずる、世界の窓を合わせ、現世と魔界の道よ、開け ―



その瞬間、空間が歪み、白い光が現れる。

ナスカはどこか寂しげな表情を浮かべながら、短く言葉をかけた。


「ここから行けるわ……気をつけてね」

「おう、ちゃちゃっと片付けてすぐ戻るさ……お前……いや、ナスカも頑張れよ」



ナスカは小さく何かを呟いたが、さざ波の音にかき消され、神代の耳には届かなかった。




彼はゲートをくぐると、まばゆい白の空間へと踏み出す。



背後から誰かの手が伸び、向こうを指さしながら、静かに彼の背を押した。




「……行ってきます」





________________________________________






翌朝――

天使の拠点では、神代の姿が消えたことにより騒然となっていた。

だが、ナスカの説明によって、ひとまず騒ぎは収まる。



一方その頃。


ベンチに座り、空を眺めていた狐嶺こんれいは、退屈そうに呟いた。



「……もう行っちゃったのね~。つまんないわ~」




ウリエルは、いつも通り天使兵から報告書を受け取り、内容を確認していた。

「……ん?」

数枚の書類を抜き取り、机に広げる。


『先日、神代諌大かみしろかんたの自宅で荷物を整理中、一冊の日記を発見。しかし、文字の解読が困難だったため、大天使ガブリエル様に翻訳を依頼。結果、該当する言語なし。ガブリエル様曰く、「この世界の言語は約8000あるっスが、どれにも当てはまらなかったっス」』


「……日記?」

ウリエルはさらに別の資料を確認する。


『後日、屋根裏を調査したところ、隠しスペースを発見。そこには数え切れないほどの日記や古い書物が並べられていた。発見された日記の文字は、屋根裏にあった他の書物とも一致』



ウリエルは静かに書類を机に置き、窓の外へ視線を向ける。



「……神代諌大、あなたは一体何者なの?」



その時、机の上にあった写真が床に落ちる。

そこには、奇妙な文字が記されていた。




― 縺■励◎繧▼薙∈ ―





一方その頃――

神代は謎の洞窟へと辿り着いていた。

「おお……ここが『魔界』か?」


しかし、辺りを見回しても、あるのは岩と、すでに閉じてしまったゲートだけだった。


「……詰んだか? どうすりゃいいんだ?」

彼はゲートの周囲をうろついていたが、不意に小さな魔力の気配を感じた。



「……誰だッ! 3秒以内に出てこい、出ねぇと殺す――3……」



「――はいっ! はいっはーい!!」



慌てて岩陰から飛び出してきたのは、小さな身体に羽を持つ妖精だった。



「気配を察知して即殺すって……あなた野蛮すぎるでしょ!?」

妖精は息を切らしながら、神代に抗議する。



「……で、お前は誰だ? ここで何してんだ? 目的は? バックには誰がいる?」

「ちょ、質問多いわよ……」


妖精は岩に腰を下ろし、得意げに語り始めた。

「私はミネルヴァ! 【十神じっしん】のユグドラシル様の命を受けて、あなたを案内するためにここに来たのよ! ふふーん!」


得意げに胸を張る妖精を見て、神代は呆然とする。

そして、思わず漏らした。




「……ここ、『魔界』だよな?」











――――――――魔王人生 第1章 完 



第2章へ続く――――――

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