第23話

 仁の左肩は大きく裂け、血がとめどなく流れ出している。

 その血が乾く前に、血痕がわずかに震えた。

――敵の追跡を確認!あなたが死ぬまで10センチ!あなたが死ぬまであと3分!

 壁を次々と切り裂き、仁は移動を続ける。

 左手の血をばら撒く様にして激しく動くと、散布された血液の粒子の不自然な揺れを電子妖精が感知し、次の動きを予想する。

 オードリーの操るステルスBSと仁は、刑務所の壁面が存在しないかのごとく、壁を壊しながら高速の撃ち合いを展開した。

 剣戟と壁の崩れる音が断続的に鳴り響く。

 仁の体にオードリーの斬撃が掠めた。

 仁は壁を切り飛ばすと広い区画に飛び込む。

 オードリーが後を追うと、そこは地面が夥しい死体で埋まった運動場らしい場所であった。

 オードリーの追撃を迎え撃つために反転した仁にオードリーは斬り掛かる。

 足元の死体が僅かに、しかし、電子妖精に頼らずとも見える程度に歪む。

 一切のタイムラグ無しに仁が動いた。

 横一文字に振られた剣を屈んで躱すと、反撃の一打を振り抜く。

 オードリーの右腕から血が噴き出した。 

「っ!」

 悲鳴を噛み殺し、オードリーはダウンした光学迷彩を再起動すると腰にマウントされたガニメデ・オードナンス30mm機関砲を片手で構える。

 しかし、その砲身はこの至近距離で構えるには長すぎた。

 距離を取ろうと後方へ大きく飛んだオードリーに距離を詰めると、仁は彼女が引き金を引くよりも早く砲身を蹴り上げる。

 砲身がひしゃげ、発射された弾丸が行き場を失い暴発する。

 手足を砕かれたオードリーは膝をついた。

「勝負アリだ。

 あんたを逮捕させてもらう」

 BSの光学迷彩が機能を停止し、バイザーが稼働するとオードリーの素顔が装甲の下から現れた。

「それはどうかしら」

「なに?」

「私にはもう失うものはないのよ。

 私の絶命と同時に仕掛けた爆弾が起動する。

 この刑務所ごと全員吹き飛ぶわ」

 仁は険しい表情でオードリーを見つめる。

 オードリーの腹部はチェーンファイアを起こした弾丸の破片で深く切り裂かれているようだった。

 仁の左肩の負傷は深刻であり、今から爆弾を探しに行くには到底間に合わないだろう。

 一か八か、職員用のシェルターを目指す事を考え始めた仁の右肩を誰かが叩いた。

「うちには魔術師ウィザード級ハッカーがいるってこと、忘れてるでしょ」

 警官服に多数の弾痕を残しながら現れた、傷だらけのミーシャは仁の隣に立つ。

「ミーシャ、彼女はもう長くない。

 どうにかして爆弾を解除しないと」

「だから、もう止めたよ」

「なに!?」

「ミリアが仕掛けたバックログから図面データをぶっこ抜いてたらしいんだけど、そこに不自然な空白エリアがあったのよね。

 ここまで苛烈な犯行なら、もしもの事態に備えて自爆もあり得ると思って確認してきたの。

 そしたらビンゴ!でっかい時限爆弾が設置されてたってわけ」

 深く息を吐くと、仁は張り詰めていた緊張の糸を説いた。

「助かったよ。

 二階級特進するとこだった」

「無茶ばっかりする相棒を持つと気遣いが上手になるのかもね」

「お前には言われたくないぞ、それ」

 ミーシャは肩を竦めると、血液とオイルを地面に滴らせているオードリーに近づき、膝をついた。

 ミーシャが目線の高さを合わせても、意識が朦朧としているのかオードリーの反応は鈍い。

「私……だめね……。

 親としても、記者としても何一つ上手くいかなくって……」

「オードリーさん。

 犯人のデータはある?

 今は戦後なの、罪は正当に裁かれなくちゃいけない。

 私達が裁いてみせるよ」

 オードリーの瞳に僅かな光が灯る。

 血塗れの手で懐から記憶媒体を取り出すと、ミーシャの手を強く掴み、手渡す。

 オードリーは何かを言おうと口を動かし、しかしその口は音を発する事なく震える。

 オードリーはミーシャの手を強く握ったまま絶命した。


 仁は微睡みの中で目を覚ました。

「おっ、お目覚め?」

「……ミーシャか。

 俺は気絶したのか?」

「出血多量でコロッと。

 応急処置はしてるから安心して」

「ありがとよ」

 仁はミーシャに背負われているようだった。

 揺られる心地良さに身を委ねていると、ミーシャの呟きががすぐそばで聞こえた。

「正しい裁きってなんだろうね」

「さぁな。

 俺は彼女を許せなかった。

 でもそれは、彼女のやり方が気に食わなかっただけだ。

 彼女が周囲を利用せず、ターゲットだけを殺したなら……同情したかもしれん」 

「そっか。

 私もさ、オードリーさんは間違ってないんじゃないかって、少し思っちゃった」

 仁はへの字に口を曲げた。

 ミーシャが弱みを見せることはあまりない。その上、仁も器用な方とは言えない。

 しかし、今は下手でも何でも言わなければならなかった。

「お前は間違ってない」

「そうかな」

「力による現状打破によって苦しむのは常に弱いヤツらだ。

 キリアは死んだ。

 カスタムチャイルドに連座してはいたが、誰も殺していないあいつは殺された。

 俺達が人は過ちを償えると言ってやらなければ、誰がこの理不尽を否定するんだ」

「うん」

「正義なんて俺にはわからない。

 だけど、お前は間違ってないよ」

「うん……」

 戦後への道は険しく、荒れ果てている。

 2人は傷ついた身体を寄せ合いながら歩き続けた。

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