第50話 最終決戦7


「あ、あ……」


 人生最大ともいえる混乱が体内をかけめぐっていて、そんな言葉にならぬうめき声しか、のどから出すことができなかった。

 “お嬢さま”の見ひらいたひとみに、反射しているのは、そう――


「“カタブツ”、さま……?」


 声の主は、“お嬢さま”を両腕に抱きかかえ、自分を見てほほえんでいる。

 夢か、妄想か、はやくも死後の世界へと来たのか、“お嬢さま”の脳裏のうりは膨大すぎる情報で埋まってしまい、処理がしきれずにいた。


「タミィ……?」


 しかし、その背後には、デス畳がたしかに存在している。

 喰ったはずのエサが消えたことに、ギヌロンと、うろんげな眼光を自分たちへ向けている。


「夢……?」

「しっかりするんだ、“お嬢さま”。夢じゃない、現実だ」


 たしかに、自分のからだには、ぞんがいにたくましい“カタブツ”の腕に抱きあげられている、その感触がある。

 何度も何度も頭のなかで思い浮かべた、やさしい笑顔が目のまえにある。


「キミとの約束をはたすため――どうにか、もどってくることができた」


 そのひとことを、脳が言語として理解するよりまえに、“お嬢さま”の目からは涙がとめどなくあふれた。

 嗚咽おえつがのどをつく。

 その首もとにすがりつき、何度も背なかをたたく。


「バカッ、バカッ、バカッ……! 死んで、しまわれたかと……もう二度と、会えないのかと……生きてくださいって約束したのに、約束を破って、先へ行ってしまったのかと……!」


「お、“お嬢さま”……キミの腕力でたたかれると、いま、死ぬ……!」


「あああこれはとんだ失礼を」


「いや、すまない……すまなかった」


 ふたりが見つめ合っているその裏で、デス畳に恋人の逢瀬おうせを待つ義務などあろうはずがない。

 ふたりとも喰らってしまえばよろしいとばかりにそっと口をひらいておそいかかろうとすると……

 ペトリと、ピンク色のなにかがデス畳の背面にくっつけられた。


「おんやぁ、こんなところにガムを捨てるいい板があるかと思ったら、デス畳さんじゃないですかぁ。ケヘヘ、あら以前とくらべてずいぶんうす汚れていらっしゃって、それがデス畳一流のオシャレってやつですかぁ? クソダサっすねぇ~。そう、ここぞの窮地きゅうち颯爽さっそうと登場するのがこのおれ、“ゲス野郎”さ」


「オイラもいるぜぇ~!」


 流れるようなあおりと、ポンポコトトトンドンッと小気味よくひびきわたる太鼓たいこ――趣味で習っている小鼓こつづみとともに、“ゲス野郎”と“太鼓持ち”とがあらわれた!

 旧デス畳のように激情げきじょうにとらわれてはおらぬものの、新デス畳は不愉快さのにじむ低い声でボソリとあざける。


「ふん、たかが人間ごときが数人増えたところで……」

「えっ、なんですかぁ? 畳の声って聞きとりづらいんすねぇ。知能低そうだししょうがないかぁ。スマホの翻訳でなんとか、いや最低限人間レベルの知能がないとさすがにダメだよなぁどうしよ」


 つづく怒涛どとうあおりに、“お嬢さま”はブチリというデス畳の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた気がした。


「……殺す」


 という宣言とともに、大口をあけて“ゲス野郎”へ急襲きゅうしゅうする!


「ケヘヘェ、そんなつもりじゃなかったんですすいやせん!」


 とあやまりながら、旧デス畳のときにも見せた俊敏しゅんびんな逃げ足で研究室をかけまわった。

 喰ったと思った瞬間、ウナギのごとくするりとのがれる。

 怒りにとらわれており、あとほんの少しで喰らってしまえる状況が、デス畳の攻めを単調にさせた。


「おふたりも、よくぞご無事で……!」


「さすが“お嬢さま”、そして“わけ知り顔”、よく生きていてくれたぜ! 時間かかっちまって申しわけない、でもオイラたち、兵器とやらは見つけてきたからよぉ!」


「えっ、兵器はそこに……」


 という“お嬢さま”の反応も聞かず、“太鼓持ち”は「あっ、袋が破れてる!」と入口のほうへと走って消えた。

 そこへ“カタブツ”が補足する。


「あれから、ひたすら地下をさまよっていたんだが、ここの入口のスイッチらしきものを見つけたところで、ふたりと合流できたんだ」


「あれから……そう、そうですわ! 隠し部屋のところに、大量の血や臓物ぞうもつがあって、それでわたくしは“カタブツ”さまが旧デス畳に……」


「ああ、旧デス畳は、とんでもない動きをして“中型免許”を……圧殺あっさつしたあと……なぜかはわからないが意識が朦朧もうろうとしたようすでぼくのほうへたおれてきたんだ。ぼくはとっさに、すぐそばにいた太ったネズミをつかんで投げつけた。ネズミも喰われてしまったが、どうもいつものように血肉を吸収できるほど意識が清明せいめいではなかったようだ。飛散ひさんした“中型免許”のからだであたりはむごたらしいことになっていたが、とむらってやる時間もなく、ちょうど起きかけていたデス畳をおいてぼくはひとまず部屋を逃げ出した……」


「そう、だったんですのね……。しかし、旧デス畳は、こちらのメカ畳さまが先ほど撃破げきはしてくださいましたわ! “びびり八段”さまという、犠牲をはらってしまいましたが……」


「め、メカ畳……!? いや、そうか“びびり八段”が……。先ほど、隠し部屋におそらく“可憐”のものらしき血痕けっこんがのこっていた……。もはや、生きのこっているのは、ここのメンバーだけかもしれない。バスの車内にいるはずの“不沈艦”と“女豹”も無事でいてくれればいいが……」


 ふたりが沈痛ちんつうなおももちでしゃべっていると、やぶれた袋にいろいろな荷物を入れた“太鼓持ち”が、引きずりながらふたたび顔を見せた。


「ふう、ふう、みんなの荷物をいろいろもってきたもんだから重くっていけねぇや……やや! さすが“カタブツ”と“お嬢さま”だぜ、おめぇたちとうとう想いが通じたのかぁ!? まるでおしどり夫婦みてぇにくっついちまってまぁよぉ。こんなときにまでけちまうぜ!」


 “太鼓持ち”が江戸っ子のごとくへへっと鼻をこするので、ふたりは思わず至近距離で顔を見合わせる。

 そのげんのごとく、デス畳から救ったときのまま、“カタブツ”の腕のなかに“お嬢さま”がおさまっているのであった。


「あわわ」


 と真っ赤になってうろたえる“カタブツ”であったが、そっと下ろそうとすると、“お嬢さま”がそれをゆるやかに拒んだ。

 首にからめた彼女の腕が……ひどくふるえている。


「この腕を離したら……あなたが、消えてしまうのではないかと……」


 目をしておそれを吐露とろする“お嬢さま”のほおに、“カタブツ”が手をそえて見つめた。


「ぼくはここにいる。キミのとなりに立って、ともに歩きつづける未来をつかむために――いまは戦おう」


 “カタブツ”が愛を告白したときのごとく、彼の視線から放たれたピンクの色の波動が胸をつらぬくと、“お嬢さま”がギャアアアと苦しんで腕からころがり落ちる。


「これが愛の告白プロポーズですのねぇ~!?」


 と歓喜かんきの絶叫を放ちながらゴロゴロと床へ転がった。

 はあはあと、こたびの合宿でもっとも息を切らしたのち、ゆっくりと立ちあがってキリリと表情をひきしめた。


「生きて、帰りましょう……! ここのみなさまで、かならず……!」


 “太鼓持ち”は「そのリアクションのあとキメるのはムリじゃねぇか?」と小声でつぶやいたが、それはそれとして騒音のほうへと目をやり、さけぶ。


「いけねぇ、“ゲス野郎”がピンチだ!」

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