第39話 吹き荒れるデス畳、“可憐”の足の下


「……タミィ」


 “お嬢さま”のドロップキックで2メートルほど後退させられた新デス畳は、しかし大したダメージを受けたようすもなくたたずみ、そうため息とともにつぶやいた。

 その正面に、ゆらりと重心を低くかまえた“お嬢さま”が対峙する。


 “可憐”は、少しはなれたところで、ひとり安堵あんど吐息といきをもらしていた。


(“お嬢さま”も“わけ知り顔”くんも、いぐさの回収に成功したみたいね……)


 少しふくらんだ袋をもっている“わけ知り顔”、また、“お嬢さま”の手からはいつのまにか袋が消えているが、ドロップキックの着地と同時にさりげなく“わけ知り顔”たちのほうへと投げていたらしい。

 かすかな音とともに落ちた袋を、あわてて“びびり八段”が拾っているのが見える。


 “可憐”が目だけで合図すると、コクリとうなずいた“わけ知り顔”が、デス畳の死角(といってデス畳の視野がどれほどなのかは知りようはずもない)をさぐってコッソリとメカ畳へと近寄ろうとする。


(いぐさをメカ畳へ供給できさえすれば、勝てるはず――)


 希望的観測をまじえてのものではあるが、“可憐”はそう信じた。

 少しでも新デスの気を引ける手段がないか、必死に思考をめぐらせる。


(ミニ畳が本当にデス畳の子であるなら、あの子を盾にすることでひるむ可能性があるのでは――)


 さっきまで同じ部屋にいたはずであるのに、ミニ畳の姿が見えない。

 どこだと“可憐”が研究室内に目を走らせていると――


「……しかた、あるまい」


 デス畳の、たんじる声が、きこえた。

 室内をぐるりと、見まわす。


「奥義、〈畳は時に局地災害デス・ダブルタイフーン〉」


 そのつぶやきとともに、室内の空気が一瞬にしてこごえる。


 ――おぞましいほどの、「死の予感」にも酷似したなにかヽヽヽが、肌のあわ立ちとともに全身を駆け抜けていく。


 それは全員が同様であったらしい、“お嬢さま”が、“可憐”のもとへ走り出すのが見えた。

 そのうしろで、直立していた二枚の畳がドスンと地を叩き、分離し、ピザ生地きじをまわして広げるがごとく回転しながら宙へと舞っていく――


 すべてを巻きこんで破壊してゆく竜巻のように、二枚の畳がそれぞれ無軌道むきどうに、縦横無尽じゅうおうむじんに部屋を滑空かっくうする!


 一枚の畳によってたやすく“わけ知り顔”が弾き飛ばされ、肌身はなさずかけていたメガネが壁に激突して割れる。

 とっさに低くかがんで衝突を避けることができた“びびり八段”であったが、おそるおそる顔をあげた瞬間、旋回せんかいして戻ってきた畳に上から叩きつぶされる。


 彼のひたいからあふれる血が、少しずつ、床へ広がってゆく……


 もう一枚の畳は、風切かざきおんをともない、“お嬢さま”と“可憐”のほうへと高速で飛んできていた。


 “お嬢さま”は“可憐”をかばうためか、決死の形相ぎょうそうでジャンプし、手をのばす。

 “可憐”の目に、整理しきれないほどの情報がはいりこみ、生き残る手段を探そうと頭脳が懸命けんめいにもがく――


(死にたくたい、死にたくない。私は、こんなところで死ぬべきじゃない……)


 “お嬢さま”の、表情がまず見えた。

 腫れた目をしている。

 ずいぶん泣いたのだろう。

 はじめて見る、疲れはてた顔だ。

 いつのまにか、化粧が落ちている。

 そうだ、手あてをしたとき、落としたんだった。

 顔が、ずいぶんぬれているように見える。

 泣いた顔を、水で乱暴に洗ったのかもしれない。

 失ったのかな。

 彼は、死んでいたんだろうか。

 想いを伝えあったあとで、気もちが絶頂のときに、失う。

 人生には、そういうことが、ある。

 たくさん得てきた人は、劇的に失うように、できている。

 それはしかたないことなんだと思った。

 “お嬢さま”の顔が近づき、自分を抱いて、押したおす。

 こんなにも赤くなった目で、いまにも泣きくずれそうな顔で、それでもまだ、自分を助けようと飛びついてくる。

 まだ、失い足りないのかなと、思った。

 メイクを落としたはずなのに、芯が入っているように高い鼻をしていて、小さなころから整形する必要さえなくくっきり二重で、涙におぼれたあとでさえも、見とれてしまう。

 同じ人間なのに、どうしてかなと思う。 

 苦境から這いずるように努力を重ねてきた自分と、生まれた瞬間からこんなにも得てきた彼女は、こんなにもちがうのだから、失わないと世界のバランスがとれないのではと、思う。

 少しではなく、もっと劇的に、もっと大量に。

 ささやかに失うくらいでは、彼女がどれほど恵まれて生まれてきたのかを、理解することはきっとできないだろうから……

 ふたりで、床にたおれた。 

 衝撃がくるかと身がまえるが、“お嬢さま”が自分の頭や背なかに腕を巻いていたことで、やわらいだ。

 “お嬢さま”は地を這うように身を伏せた。

 その背後から、すごい圧力で、畳が飛んできていることが視界のはしに入る。

 このまま伏せていればやりすごせるかもしれないと思う一方で、ふと、ニチャリとした感覚が胸にしたことに、気がつく。

 “お嬢さま”の服にまみれた血が、ベットリと、自分の服にうつっている。

 そして、目のまえの“お嬢さま”の首すじには指でかきむしったような血の線が何本も……

 おぼえずひっという声がもれて、距離をとろうと、彼女のからだを押しあげた。

 “お嬢さま”は、なにが起きたのかわからない、ふしぎそうな顔をしている。


(こんなときまで、うらやましい顔……)


 そう思った瞬間、飛翔ひしょうしてきた畳が彼女の横っつらを思いきり張り飛ばした。

 腕に感じていた体重が、一瞬で風に吹かれたようになくなって、撃墜げきついされた“お嬢さま”のからだが人形みたいにバウンドし、壁にぶつかる。

 そのまま、ピクリとも動かない。


 ふとわれに返って、おそろしくなり、立ちあがって入口へと走った。

 力強く振り抜いた直後で、デス畳はすぐにはこちらへ向かえそうにない。


(矢のトラップがあったはず。それを起動させて、うまくぶつけられないか……。それか、部屋のかたちが特殊だから、少しのあいだなら隠れられるはず。もし追ってきたら、スキをついて反転して出口まで行ければ……)


 迷走する算段さんだんが頭をかけめぐる。


 その背後で、ドゴンと、硬質なもの同士の激突音がひびいた。

 ふりかえると、破壊するためか、“わけ知り顔”たちを叩きのめした一枚がメカ畳へと攻撃をしかけているようだった。


 舌打ちをしながら、“可憐”が急いで入口のあった廊下へ飛びこむと……


 入口が――ひらいている。


 自分があれほど苦労してもひらかなかった扉が、どういうことだろう。

 わからないが、いまこのときにおいては、これほどの僥倖ぎょうこうはない。


(いまは、とにかく身を隠そう! 音が静まったら、ダメかもしれないけど研究室へもどってメカ畳の様子を――)


 胸の底に泣きそうになるほどのうれしさがわき出るのを感じながら、隠し部屋までもどってきた。

 瞬間、


「ダミィィ」


 という濁ったうめき声が聞こえ、またあしうらに畳の感触がしたことで、のどをぎゅっと絞られたように驚倒きょうとうする。

 短く、生命が口からもれ出るような声で悲鳴をあげた。


(あっ、ちがう、ダミ畳とかいうできそこないがいたじゃん……)


 そのあとでその事実を思い出し、どうにかかぼそい呼吸をとりもどす。

 おそるおそるふりかえると、どうやらデス畳は追ってきていないようだ。狭い廊下だし、身動きがとりにくいからかもしれない。

 それを認識すると、恐怖が周回遅れで到達したように腰が抜け、思わず畳に尻を落とすが、とにかく、隠れられるところを探そうとあたりを見まわすと、再度、


「ダ、ダミィィ」 


 とダミ畳がうめいた。


「うるさいっ、いま考えてるんだから静かにして――」


 と声のするほうへ向かって叱ると、部屋のすみに薄い畳が積み重ねられていて、その一番上にいるダミ畳が、心配そうにパタパタとうごめいているのが視界にはいった。


(そうだ、念のためって、全部の畳を部屋のすみに積んでおいたんだった。じゃあ、いま床に畳があるの、おかしくない……?)


 現実が、都合のわるいほうへ流れていってしまわないよう、ゆっくり、ゆっくりと“可憐”がおのれの下に目を向けると、大きな、大きな目が畳に浮かんでおり――


「タミッ!」


 とニッコリ笑った。


(あれ、あたしは? あたしの人生に、マイナスってあったっけ? いやプラスもたくさんあったけど、それはあたしの努力というマイナスがあったからで、こんなのじゃプラマイゼロにはならないこんなマイナスがゆるされていいはずがないあたしはぜったいに「失う側」なんかじゃない――)


 “可憐”の思考は錯綜さくそうしたまま、ただあっさりと――


 バグンッ


 とデス畳のなかへと吸いこまれていった。


 味わうように、執拗しつように、何度も咀嚼そしゃくする旧デス畳。

 “可憐”のみがきあげたかれんな肉は、血は、のみくだされるがごとく彼のいぐさへとしみこんでいく――

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