第23話 双葉と2人
今日は、いつもの双葉らしさがどこか影を潜めていた。教室の窓際で静かに筆を走らせる彼女の背中からは、いつもの柔らかな空気ではなく、どこか重たい気配が漂っていた。
彼女のキャンバスに広がっていたのは、朽ち果てた街並み、色褪せた空、枯れ落ちた花弁。そして、どこか諦めを宿したような、沈んだ瞳の人物たち。まるで世界の終わりを見届けた後に残された“誰か”の視点で描かれているようだった。
そこにあったのは、静かな痛みだった。叫ぶでもなく、泣くでもなく、ただ胸の奥でじんわりと滲むような――。
絵を描くことが好きだからこそ、きっと双葉は、自分の中に渦巻く苦しみを、そのまま筆に込めてしまうのだろう。だからこそ、それを覗き見るような気がして、簡単には声をかけられなかった。
「いやー今日はさ、たくさん声かけられて、なんか疲れちゃったかも」
ようやく口を開いた彼女は、いつものように笑ってみせた。けれどその笑顔は、どこか不自然だった。まるで頑丈に塗り固めた仮面のようで、俺の前だけ“平気なふり”をしているのが、逆に痛いほど伝わってきた。
午後の男女別授業が終わり、教室に戻ると、双葉は自分の席で机に突っ伏していた。肩を小さく上下させて、動かない。周囲にいたはずのクラスメイトたちは、まるでそこだけが結界でも張られているかのように距離をとり、張り詰めた空気が漂っていた。
確かに、今日はたくさん声をかけられたのだろう。でも――それが彼女にとって嬉しい出来事だったとは、どうしても思えなかった。
「その調子で、友達作れよ」
あえて冗談めかして言ってみた。けれど、双葉は顔を上げずに、小さな声でつぶやいた。
「友達か……」
双葉は決して、話すのが下手なわけじゃない。むしろ、よく気がつくし、人の話を丁寧に聞ける子だ。普通なら、誰とでもうまくやれるはずなのに……なぜか、俺以外とは一歩引いた距離を保とうとしているように見えた。
転校してきたばかりの頃、彼女に向けられていたのは、好奇心というより偏見だった。だが、それも今では少しずつ薄れ、代わりに「興味」へと変わりつつある。きっと今なら、双葉にも新しい関係を築くチャンスがある。……それなのに。
「俺のことは気にするな。もともと、話す相手なんてそんなにいなかったし」
もし、双葉がクラスに馴染めない理由があるとすれば――俺と最初に仲良くなってしまったことかもしれない。そんな風に考えると、急に自分の存在が重く感じられて、怖くなった。
けれど、そんな俺の思考を見透かしたように、双葉が顔を上げて笑った。
「大丈夫。たとえ友達できても、りんくんとは……仲良くし続けるから」
その声には、どこかに決意の色が滲んでいた。そう思った矢先――
「あ、! 今日暇?」
急に大きな声を上げた双葉に、思わずびくりと肩が跳ねた。
「……暇だけど?」
「だったらさ、私と――付き合って!」
心臓が跳ね上がった。一瞬で脳内が真っ白になり、言葉が出ない。え、今、聞き間違えたか? 本気の告白? いや、こんなタイミングで? こんなどうでもいい流れで?
「ま、まて。そういうのは、だな……」
「あ、あー! ちがうから! ほんとにちがう!!」
真っ赤な顔で大慌てする双葉に、空気が一気に緩む。
「ほんとに違うの! ゲーセン! ゲーセンに付き合ってほしいって言いたかったの!」
必死な様子に、思わず笑ってしまう。そんなに慌てると逆に怪しく見えるだろって思いつつ、こうして照れる彼女を見ていると、どこか救われた気がした。
「……そういうことか。なら、別にいいけど」
ため息をつきながらも、了承する。夕飯までには帰れそうだし、椎崎に一報だけ入れておけば問題ない。
「よかったー! 私、UFOキャッチャー苦手だからさ、手伝ってくれると助かる!」
「何か、欲しいのがあるのか?」
「うん! 今日からなんだけど、人気だからすぐ無くなっちゃうかもしれないんだよね。だから、なるべく今日取りに行きたくて!」
期待と焦りが入り混じったような双葉の瞳は、普段の彼女らしさを少しだけ取り戻していた。俺には何がそんなに人気なのか分からなかったが――それだけ欲しいと思えるものがあるのなら、きっと価値のあるものなのだろう。
「わかった。じゃあ、行くか」
「やったー!!」
そして、たどり着いたゲームセンターで、俺は言葉を失った。
「……お前、これなんだ?」
「“腐った植物シリーズ”のぬいぐるみだよ?」
並んでいたのは、花や野菜のフォルムをなんとか保ちながらも、どこか病んだようにグロテスクにデフォルメされたぬいぐるみたち。表情は虚ろで、色合いはくすみきっている。まるで笑顔の裏に狂気を秘めた芸術品のようだった。
人気? ほんとうに、これが?
双葉のセンスは、時々、俺の理解を優しく飛び越えていく。けれど今は――ただ、呆然とその異形たちを見つめるしかなかった。
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