第17話 屈辱

「では、私は商店街を回ってから帰りますね」


放課後の校門前、双葉はいつも通りの笑顔を浮かべて手を振り、駅前の商店街へと歩いて行った。俺もそれに合わせて軽く手を上げたが、内心は落ち着かないままだった。


実は、その先にもうひとつの“予定”があったからだ。


商店街の裏手、小さな公園のベンチに座っていたのは椎崎。腕を組み、わずかに頬を膨らませながら、こちらを睨むような目で見上げてくる。


「……やっと来ましたか。どれだけ待たせる気です?」


「悪い。ちょっと引き止められてな」


「“ちょっと”の時間ではありませんでしたけど」


口調は静かだが、言葉の端々に怒気がにじむ。彼女は「双葉に気づかれないように」と事前に連絡してきたのだが、その徹底ぶりはちょっとしたスパイまがいだった。


「では、行きましょう。あなたの家で構いませんね?」


「行くって……どこに?」


「夕食です。さっきは彼女のせいでまともに話ができなかったので、静かな場所でじっくりと話をしましょう。あなたの家なら、最適でしょう?」


淡々と告げるその表情は、学校で見せる朗らかな笑顔とはまるで別人だ。冷たく研ぎ澄まされたその視線に、思わず返事をためらった。


「……まあ、いいけど」


重たいため息とともに了承すると、椎崎はそれ以上何も言わず、俺の隣に立って歩き出した。距離感は近すぎず遠すぎず、けれど静かに張り詰めた空気がまとわりついていた。



家に着くと、椎崎は黙ってキッチンへ向かい、迷いなくエプロンを装着。手際よく食材を並べ、鍋に湯を沸かし始める。


「ナポリタンでいいですか?」


もうパスタを茹で始めてからの確認だった。


「ああ、それで」


「では、少々お待ちを」


無駄のない動きでフライパンを操る椎崎の姿は、どこか軍人のように整然としていた。トマトソースの香ばしい匂いがキッチンに広がる頃、不意に彼女が口を開く。


「――それで、本題ですが。双葉さんとは、あまり親しくしないほうがいいですよ」


唐突な言葉に、思わず眉をひそめる。


「……嫉妬か?」


冗談半分で返すと、椎崎は目を細め、どこか鋭くなる。


「いいえ。嫉妬ではありません。むしろ――私の『ブランド』を壊されたことが、我慢ならないんです」


「ブランド?」


「私は常に、“計画通り”に物事を進めてきました。それが崩れたのです。彼女の存在によって」


そこには感情の起伏は少ないが、言葉の奥に悔しさと怒りのような熱があった。いつもの理知的な椎崎とは明らかに違う。


「でも、俺だってお前の計画を乱してるんじゃないのか?」


「倫太郎君は――別枠です。ノーカウントです」


「いや、ますます意味わかんねぇよ」


「要するに、あなたは“私の計画の例外”ということです。だからこそ、私はあなたの未熟なコミュニケーション能力を、私なりに矯正しようと考えました」


「勝手に矯正しようとすんなよ」


「いいえ、これはあなたの将来のためです。今のままでは、あなたは誰にでも影響され、利用されますから」


反論の隙を与えずに話を進める彼女は、もはや説教師だ。


「ということで、これから毎晩、私が夕食を作ります」


「は?」


「コミュ力向上の訓練と、私の料理スキルの向上。一石二鳥ですね」


冗談とも本気ともつかない口調。だが、その目には曇り一つない決意があった。


「……まあ、いいけど。でも双葉については、俺が判断する。しばらく様子を見させてくれ」


「……納得はいきませんが、あなたがそう言うなら」



夕食の時間。テーブルに並べられたナポリタンは、見た目も香りも申し分なかった。トマトの赤が鮮やかで、ピーマンとベーコンの彩りが映える。


フォークで一口すくい、口に運ぶと、ほどよい酸味とコクが舌を包む。


「……うまい」


「当然です。私は完璧主義者ですから」


胸を張って言い放つ彼女を見て、思わず苦笑する。


「それにしても、なんでそこまでして俺に構うんだ?」


そう尋ねかけようとした瞬間――椎崎の表情がほんの僅かに揺れた。目を伏せ、少しだけ俯いたその姿に、なにか触れてはいけないものを感じた俺は、その言葉を呑み込む。


「さっさと食べてください。片付けは私がやりますので」


「……ああ」


その夜。皿の上のナポリタンを見つめながら、俺は確信する。


これは――妙な共同生活の、始まりだった。

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