第15話 二つの距離感

「椎崎さん。今日はお弁当ですか?」


「いえ、今日は食堂に行こうと思ってます」


淡々としたやり取り。だけどその一言だけで、俺の胸に微かなざわめきが広がる。

学校に戻れば、俺と椎崎は再び“いつもの距離”に戻る。あの日の出来事が、まるで夢のように遠のいていく。

ほんの少しだけ交わった交差点。それでも、また別々の道を歩く。それが、俺たちの「普通」なのだろう。


「倫太郎くん!お昼いこっ!」


教室の入り口から、双葉の声が弾けるように飛んできた。目を輝かせているその姿に、思わず笑みがこぼれる。

彼女は、他の誰よりも俺のことを大切にしてくれる。でもそのせいで、周囲の視線は冷たい。

それでも彼女は意に介さない。むしろ、そういう目をする人間を軽蔑すらしている。


「わかった」


「やったー!」


まるで小さな子供のように無邪気な笑顔で、双葉は俺の隣を歩く。

こうして隣にいることが、彼女にとっての“普通”なのかもしれない。


「今日はラーメンにしようかな。倫太郎君は?」


「カレー」


「またカレー?ほんと好きだね」


からかうような言い方だけど、実際はそこまでカレーに執着があるわけじゃない。ただの偶然、なのに彼女は嬉しそうに笑う。


「椎崎さんは何を食べるんですか?」


ふと、そんな言葉がこぼれた。その瞬間だった。

食堂の入り口から、空気を変えるような気配が流れ込んでくる。椎崎を中心に、取り巻きの生徒たちがぞろぞろと入ってきたのだ。

ざわめきが起こる。明らかにこちらを意識している。


「あ……」


椎崎の視線が、俺たちに向けられる。

その瞬間、周囲の緊張が走った。取り巻きの数人が、焦ったように彼女に詰め寄る。


「椎崎さん、別のところ行きましょう!こんな連中と一緒じゃ落ち着けませんよ」


「大丈夫ですよ。彼だって、ここで暴れたりしません。それより、せっかくなので一緒にどうですか?双葉さんとも、少しお話ししたくて」


一瞬、空気が凍りつく。誰もが言葉を飲み込んだ。

……まさか、自分から誘うなんて。


「いえ、私は倫太郎君と食べますので、おかまいなく」


双葉がぴしゃりと拒絶する。その声に、一切の遠慮はなかった。

そして、椎崎の取り巻きの一人が、怒りを露わにして口を開く。


「おい、転校生!せっかく椎崎さんが声かけてくれてんのに、無視かよ!」


「この場で騒ぐの、どっちだと思う?」

双葉がにやりと、まるで獣のように笑う。その目は一切引いていない。


「わかりました。すいません。今日はお二方とご一緒させていただきますので、皆さんは別席でお願いします」


椎崎の一言で、状況が一気に収束する。堂々たる態度に、取り巻きたちは何も言い返せず、不満げに奥の席へと消えていった。


「これで問題ないですね」


にっこりと微笑む椎崎。その裏にある意図が読み取れず、俺は思わず問いかける。


「……何がしたいんですか?」


「あなたのことを、もう少し知りたかっただけです。それ以外に理由なんてありませんよ」


どこまでも涼しい顔で返す椎崎の言葉に、双葉が少し鋭い声で口を挟む。


「まあ……椎崎さんは何とも思ってなさそうだし、いいですよ。倫太郎君も、問題ないよね?」


挑発のようでいて、どこか寂しげなその言葉に、胸がチクリと痛む。


「別にいいぞ」


そう答えた俺に、椎崎が優しく微笑む。


「ありがとうございます。草加くんって、やっぱり優しいですね」


初対面のように言うその姿に、なぜかぞわっとした違和感を覚える。だが、それを見透かしたように椎崎は続けた。


「双葉さんも、とてもお優しいですね。草加くんを想う気持ちが、ちゃんと伝わってきます」


その一言に、双葉の目がほんの一瞬揺れる。そして次の瞬間、強がるように笑って言った。


「まあ、そうかもね。でも――別に椎崎さんに譲るつもりはないよ」


ピンと張りつめた空気の中、ふたりの視線が交錯する。微笑みを浮かべながらも、どちらも引く気配はなかった。


三人で並んで食べる昼食。

そこには明らかに奇妙な緊張感が漂っていた。けれど、どこかそれが心地よくもあり、同時に息苦しくもあった。


俺を挟んで揺れる感情。

それがいつしか、ただの昼食の時間に意味を持たせ始めている。

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