第14話 契約
ベンチに腰掛けて、どれくらいの時間が経っただろうか。気がつけば、三十分近くが過ぎていた。
「よし! 回復しました。次、行きましょう!」
そう言って勢いよく立ち上がった椎崎だが、その身体は明らかに限界を訴えていた。膝は小刻みに震え、目は定まらず泳いでいる。何より、荒い呼吸がそのまま苦しさを物語っていた。
「……はぁ。無理しすぎだっての。帰るぞ」
俺はため息まじりに、やや強めの声でそう告げた。これ以上引きずり回せば、確実に体調を崩す。ここは心を鬼にしてでも止めるべきだと判断した――が。
「座ってゆったりできるところだけでいいので。お願いします」
深く頭を下げる椎崎。その声には、懇願とも哀願ともつかない切実さがにじんでいた。ふざける様子も、茶化す雰囲気も一切ない。ただひたすらに、俺に「もう少しだけ」と訴えかけてくる。
俺は、そういう真剣な目に弱い。
本当は今すぐにでも引き返させたい。でも、涙を堪えるようなその顔を前にして、きっぱりと断りきれない自分がもどかしかった。
「無理に連れて帰るなら、私、叫びますよ。同じクラスの人がいたら、どうなりますかね」
頭を下げたまま、口元だけを歪めて、ふっと笑う椎崎。軽く脅しとも取れる言葉だが、決して冗談ではない。それがまた、彼女らしいというか……性格の悪いところが、こんな時でも垣間見える。
「……次、倒れたら帰るからな。マジで」
「…ありがとうございます。じゃあ、こっち行きましょうか」
そう言って俺の腕を引く椎崎の手は、思った以上に冷たかった。そして、その歩みは心許なく、何度もバランスを崩しそうになる。元気そうに振る舞っているが、無理しているのは一目瞭然だった。
なぜ、ここまでして一緒に回りたがる? 俺と一緒にいることに、そんなに意味があるのか?
「どこ行く予定なんだ?」
「ドリームアイランドっていう、人形を見て回るアトラクションです。あそこは涼しいですし、人も少ないので怖くないですよ。それに……二人きりになれます」
少しだけ恥ずかしそうに、けれどどこか誇らしげに語る椎崎。説明の細やかさと熱量に、むしろ本当に疲れているのかと疑いたくなるほどだ。
「そうですか」
「倫太郎くんも、きっと楽しんでくれると思いますよ。私のおすすめですから!」
疲れてるくせに、話す量はやけに多い。テンションで誤魔化そうとしているのか――いや、俺のために頑張っているのか。
ドリームアイランドに近づくと、さすがに休日の人気スポットらしく、長蛇の列ができていた。
「また並ぶのかよ」
「いえ、ファストパスがあります。ちゃんと取っておきました。さっきのとは違って、覚悟はいらないアトラクションなので」
スマホの画面を差し出してくる椎崎。予約時間もピッタリ。用意周到すぎて、もはや尊敬の域だ。これはもう、偶然じゃなくて、完全に計画されていた。
中に入ると、またもトロッコに乗り込む形になった。
「行きますよ!」
その声には張りがなかったが、それでも必死にテンションを上げようとしているのが伝わってきた。
「倫太郎くん、あそこです!」
ジャングルを模したエリアに入ると、小さな動物のミニチュアやツタにぶら下がる人形たちが、幻想的な空間を作っていた。
「どこだよ?」
「ほら、あそこです!」
椎崎が指さした先――そこには「ドリームコンクール受賞作品」の看板があり、その下には制作者の名前が書かれていた。
椎崎美咲。
「椎崎……!」
「そういうことです。これは私が考案して、受賞をいただいたものなんです。今日、初めて見に来たんですよね。倫太郎くんと一緒に見れて、よかったです」
彼女が無理をしてでも今日ここに来た理由が、ようやくわかった。――この景色を、俺に見せたかったんだ。
「すげぇな。全然違和感ない。マジで夢の中みたいだ」
「やっぱり!」
そう言って、椎崎はぱあっと表情を輝かせた。何かを言っていた気がするが、よく聞き取れなかった。
そして次の瞬間――
「ありがとうございます。これでまた、休めます」
そう呟いて、彼女は俺の肩にもたれかかってきた。心なしか、その体温は少しだけ上がっていた。静かで、心地よい重さ。鼓動が早くなるのを止められなかった。
「まったく。……またいつでも付き合ってやるよ。だから、これが終わったらちゃんと帰るぞ」
「はい」
彼女の小さな返事が、耳に残った。
椎崎美咲――その本心はまだ掴めない。でも、好きなものを見つめるその素直な瞳は、どこまでも真っすぐだった。
そして最後に聞こえた小さな独り言。
「これで、ご主人様の命令も守れたかな」
その意味を、俺はまだ知らない。
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