第87話 夢
メリアが死んでから数日が過ぎた。ロスリーは無事に目を覚まし、シルと一緒にジレドへ帰国していった。目覚めた時、彼女は静かに泣いていた。
別れ際にシルからも気負わないように念押しされた。
「エルラド、あなたの責任じゃないわ。送迎を請け負ったのは私よ。私がもっと警戒しておくべきだったのに…本当にごめんなさい。」
俺はシルのその言葉を否定するので精一杯だった。
それからというもの、大学内で起きた事件はすぐに町中に広まった。今は大学内にも警戒の為に兵士が配置されるほどだ。これで少しは安全になったのかもしれない。
だが、未だに犯人は捕まっていない。大学内はくまなく捜査したがそれらしい手がかりは何もなかったらしい。
俺の頭にはずっと犯人の装備のことが引っかかっていた。どれだけ頭で否定しても現実で見た光景は消えてくれない。
だが、保管庫には仲間皆で作り上げた、最強の兵器が配備してある。それを突破することなんて不可能だ。
保管庫内部への扉も、俺以外にはアスティアしか開けることができない仕組みになっている。
こと守りにおいてはあそこを超える施設なんて存在しない。それだけの自信があるのだ。
第一、まず見つけること自体が不可能なはずだ。
かつての仲間がかけてくれた固有魔法『ワールドイリュージョン』により、施設自体を認識することができない。それを超えることができるのはその術者に効果対象外に指定された個々人だけだ。
今発見できる可能性があるのは、俺を含めて世界に3人しかいない。
残りは全員死んだ。
だから、ただの見間違いに決まって────。
「────ねえ、今何考えてるの?」
思考の渦に囚われていると、気付けば目の前にイムニスの足が迫っていた。
「うぅっ…!?」
その回し蹴りは俺の横顔に直撃する。
受け身をとってすぐに立ち上がろうとするが、彼女は首を掴んで地面に叩きつけてくる。
「ぐはっ!」
「お兄ちゃん、集中しきれてないでしょ?注意散漫だし、何をそんなに焦ってるの?」
イムニスは俺の首から手を離すと、覆いかぶさったままその瞳で射抜いてくる。
「…悪い。ちょっと昔のこと思い出してた。」
尻尾を揺らしながら彼女は俺の上に跨る。
「ふーん。ねぇ、お兄ちゃんはさ、あのメイドさんが死んで悲しかったの?」
「…そりゃな。手を伸ばせば、助けられたかもしれない命だ。」
俺はその時の光景を思い出す。メリアは何が起きているのかわかないまま死んだという顔をしていた。
「でもさ、それっておかしくない?」
「え?」
イムニスは若干苛立ちながら俺の服を掴む。
「だってそのメイドさんは他人でしょ?他人が死んでなんで悲しいの?」
「イムニス…」
その光がない瞳と真顔で俺にその質問を投げてくる。
「弱いものが死ぬのはこの世界の摂理だよ。生きる権利を持つのは強いものだけ。お兄ちゃんだって、強いからわかるでしょ?」
イムニスは顔を離すと眉間にしわを寄せていた。
「まあな。」
俺だってそんなことは前世から知っている。
身体を起こして、彼女の瞳を見据える。
「でも、そんな夢もロマンもない世界、俺はごめんだよ。」
弱い奴が死んでいくなら、この世界は当の昔に魔族に支配されているだろう。でも現実は人の世界が続いている。
それは今に至るまでに、数えきれないほどの強者がその命を捧げてきた証拠なのだ。
「…お兄ちゃんは現実が見えてないよ。この世界には、明日に辿り着けない人なんて五万といるんだよ?」
俺の顔を両手で撫でながら、イムニスは目を伏せる。
「知ってるよ。」
「え?」
「知ってて、俺は夢を見続けてる。」
俺は空中に投影魔法を使って、当時の朧気な記憶を呼び起こす。
「昔の俺ってな、物心ついた時からスラムで一人きりだったんだよ。今日の食事を探して彷徨うクソガキだった。」
魔法を覚える前、俺は本当に何も持っていなかった。
「毎日大変だったさ。眠る度に、明日が来ることに怯えていた。誰にも頼ることができなくて、生きていくには力が必要なのに、俺には何もなかった。」
弱い魔物を殺して日銭を稼ぐ。その繰り返しだった。魔法を独学で覚え始めてからも、その生活は変わらなかった。
「苦労したよ。あの頃は俺も他人を助けようなんて考えは微塵も持ってなった。でも、俺はあるエルフに出会って、その考え方を変えた。」
「何があったの?」
当時、強さを求めるあまり焦った俺は、強力な魔物との無茶な戦いに身を投じた。
そして、失敗した。
当然仲間なんていない。疲労が蓄積する足を無理やり動かして、森の中を必死で走り続けた。
まだ死にたくない。
その一心で走り続けた俺は、救われることになる。
「俺がミスって死にかけてた時に、助けてもらったんだよ。かなり手荒だったけどな。」
偶然街道に出た俺は、そこで白髪のエルフと出会った。
そして、彼女は俺が追われていることを悟ると、一瞬の考える暇もなく手を伸ばしてくる。
助かりたかった俺は迷わずその手をとった。
それが、森の魔法使い、アスティア・インフェルとの出会いだった。
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