↓第31話 まぼろしか、げんじつか。
その日の夜は雨だった。
森を抜ける風は、慟哭か悲鳴のようで薄気味わるい。
カミールは夢を見る。
自分は馬車に乗っていた。
見慣れた街の風景に似ているが、どこか違う。
かなり昔の時代だ。
タイムスリップでもしたのだろうか?
「メリーダ様!」「メリーダ様!」と、街ゆく人が笑顔で手を振っている。どうやらカミールはメリーダという女性になっているらしい。馬車に乗っている理由は、街の中をパレードしているようだ。
街の人に応えるように手を振っていると、自分のとなりに誰か座っていることに気づく。
朗らかな笑顔と端整な顔立ちの男性だった。
名前は『セルジュ』。どうやらメリーダの婚約者らしい。そばにいると、胸のあたりがあたたかくなる。
不思議な夢だ。妙なリアリティを感じる。まるで現実を体験しているかのようだ……。
☆ ☆ ☆
二人は城に帰ってからも、仲がよさそうに会話をしていた。
テラスに出れば、二羽のカラスが肩にとまった。片方の色は白、もう片方は黒い色をしていた。
羽を撫でながら、将来のことについて語る。
ある日のこと、セルジュが肖像画を描いてくれることになった。
彼女の姿を借りたカミールは、椅子に座り、はす向かいの鏡を見てハッとする。
そこに写るメリーダの姿は、人間ではなかった。
鋭い八重歯と赤い瞳、そして尖った耳。
自分は吸血鬼なんだと、そう理解した――
☆ ☆ ☆
カミールの意識は自由にさまよい、夢の中を覗いた。
セルジュに出会う前の、あらゆる時間軸と場所を巡った。
その中でいくつか、わかったことがあった。
この世界では、とある病気が流行っていたこと。
それに感染すると、目から血を流していずれは死んでしまうこと。
人間はそれを、吸血鬼の仕業だと思い込んだ。
呪いをかけていると、そう思ったのだ。
一部の人間は石を投げたり、家に火を点けたりして吸血鬼を迫害した。
吸血鬼の住み家はなくなった。
それでも謎の奇病が消えることはなかった。
――しばらくの月日が流れる。
奇病が流行る年もあれば、それほど影響の出ない年もあった。
いつの間にか人は、奇病に慣れていた。
そして二十年が過ぎたある日、変化は突如として起こった。
大勢の死者が出たのだ。
目から血を流して動かなくなる人々。それを大量に目にしたものだから、住民たちの間で根拠のないウワサが広まった。
「吸血鬼が呪いを再開した」と。そのせいでこうなったと。
不安に支配された人々は、危機感を覚えていった。
ある日、とある貴族がこんなことを言う。
「吸血鬼を滅ぼすしかない」と。そうすれば助かるのだと。人々はそれを本気にしはじめた。
疲弊した心は、正常な判断力を失っていた。
貴族は人々を集め、調査隊を結成した。
「ヴァンパイアハンター」と名付けられた彼らは、吸血鬼が逃げたとされる森の奥へ向かうことになった。
しかし、そこでアクシデントが発生する。
獣に襲われたり、霧の中で行方不明になる者が続出したのだ。
自分がどこを歩いているのかわからなくなるくらいに深い霧。
調査隊はほぼ全滅して、その中の一人が運よく生き残ることができた。
彼の名はセルジュ。城でメリーダと一緒に暮らしていた男性だ。
兄と共に調査隊に入ったが、その兄ともはぐれてしまった。
長い時間さまよっていると、運よく霧を抜けることができた。そして目の前には街があった。
森の中とは思えないくらい、大きな街だ。
行き交う人はみんな吸血鬼だった。
ときおり白い服を着た、翡翠色の髪をした少年少女がいた。吸血鬼ではないようだが、人間とも少し違う気がする。その子供は『翡翠の子』と呼ばれていた。
ここはどこだ? この空間はどうなっている?
セルジュがそんなことを思っていると、侵入者だと言われ、警備兵らしき男たちに連行された。
しばらくして城に連れてこられた。
王族が暮らすような豪華な部屋に入ると、天蓋つきのベッドの中で誰かが横たわっていた。
メリーダだった。
体調が悪そうで、咳き込みながらセルジュを一瞥し、「もとの場所へ還してやれ」と警備兵に命令した。
後ろ手の縄を解かれた彼は自由になったものの、メリーダのことが気になった。
見たところ、彼女は病気だった。目の下に深いクマができ、顔色が悪い。
医者であるセルジュは、放っておくことができなかったのだ。
なにより自分は、貧しかった子供のころに吸血鬼から食事を恵んでもらい、助かった過去がある。
人間も吸血鬼も関係ない。
自分は目の前にある命を、一途に助けるだけだ――
☆ ☆ ☆
しかしセルジュは、こんなことを聞かされた。
「メリーダを救うことはできない」と。
警備兵いわく、吸血鬼特有の病気なのだと。
なんでも血液を輸血することで助かるらしいが。
まだ輸血の技術が確立していないこの時代において、吸血鬼は翡翠の子から未来の医療技術を学んでいた。
セルジュは自分の血液を差し出そうとするが、そうもいかない。
血液には型があり、メリーダの型に合ったものを輸血しないといけないと言われる。
さらに彼女の型は珍しく、なかなか合った人が見つからない。
セルジュは自分の血液を調べてくれと言う。
警備兵は困惑した。
仮に血液型が合ったとしても、人間の血を入れていいものかと。
いや、吸血鬼の王が助かるなら、それでもいいのかと。
頭の中をいろんな考えがめぐっている最中、メリーダは「好きにさせろ……」と力なく呟き、そのまま寝返りをうった。
これにより、セルジュは血液を調べることになる。
不思議なことに、このあと彼の型がメリーダのものと一致していることがわかった。
奇跡があるとするならば、まさにこの瞬間を指すのだろう。
あるいは、運命とでもいうべきか。
この日からセルジュは城に住み、定期的な輸血の役目に徹することになった――
☆ ☆ ☆
メリーダの容態は徐々に回復した。
少しずつ接しているうちに、セルジュと会話をするようにもなった。
ある日彼は問う。「なぜ自分に優しいのか?」と。
吸血鬼を迫害した人間を憎まないのかと、不思議に思った。
彼女は言う。自分の父は吸血鬼で、母が人間なのだと。
仲睦まじい両親を見て育ったため、種族同士がいがみ合うことに疑問を覚えていた。
人間と吸血鬼。互いが手を取り合う未来はないのかと、メリーダは考える。
吸血鬼に助けられたセルジュも、同じ思いを懐く。
そうやって会話を交わすうち、彼の脳裏に一つの考えが浮かんだ――
☆ ☆ ☆
この街の医療はとても進歩していた。
あの翡翠色の髪をした子供が、いろんな知恵を授けてくれたおかげだ。
この技術を使えば、今、森の外で蔓延している病を治すことができるのではないか?
吸血鬼が脅威の対象でないと理解できれば、共存への道が開けるかもしれない。
死の原因は呪いではない。医学でそれが証明できれば、人々の考えにも変化があるのではないかと考えた。
この案がうまくいくかはわからない。
ただセルジュは、森の外で人々が苦しんでいるのを放っておくことができなかった。
以前からメリーダも同じことを考えていたが、吸血鬼を拒む人間たちの手により、一度計画は失敗している。
そこでセルジュは策を練った。
人間が吸血鬼を警戒しているのなら、自分が行けばいい。
自分が森の外で病原体のサンプルを採取し、城に持ち帰ればいい。
それを研究して、今でいうところのワクチンを開発しようというのだ。
さっそくセルジュは道を教わり、外に出る。森は特定のルートを通ることで、安全な往来が可能だ。
最初に訪れたのは、ヴァンパイアハンターを集めた貴族の屋敷だ。
サンプルを集める前に、現状の報告をと思ったのだが、そこで見た光景に一瞬ことばを失う。
貴族は病気を患っていた。
屋敷でもまた、謎の奇病が蔓延したのだ。
セルジュは半ば強引に使用人たちを説得し、すぐさま彼を森の中へと連れていく。
貴族も吸血鬼を嫌う人間の一人だが、衰弱した身体ではセルジュに抵抗できるわけもなく、事は一刻を争っていた。
やがて森の中に入り、吸血鬼の街へとやってくる。
さっそく医療室に運ばれた貴族は、ベッドに寝かされ診察された。
吸血鬼や翡翠の子たちに、見たこともない器具を当てられた貴族は、自分がなにをされているのか理解できず、パニックを起こしそうだった。
だが得体の知れないものを注射されると、身体が楽になり、一時的に眠りに落ちる。
こうして彼の身体からウイルスが検出され、抗体の研究がはじめられた。
研究が進むと、吸血鬼にはこのウイルスに対する免疫があることがわかった。この森で病が蔓延しないのはそのためだ。さらにこのウイルスは、変異を繰り返す特徴が確認される。
さらに数日後、抗体が完成して貴族の治療に適用された。
しばらくして容態が完治した彼は、自分の身をもって呪いがないことを知った。
リハビが必要なため、ひとまずこの街にとどまることになる。
一方でセルジュは、吸血鬼や翡翠の子たちと森の外へ向かい、患者に抗体を投与した。
人々は見たこともない器具に目を丸くした。中には抵抗し、吸血鬼に危害を加えようとした者もいた。
しかし翡翠の子が、不思議な力を使い暴力を無力化した。
セルジュたちは抗体の投与を急ぐ。そしてこの作業は、数日にわたって行われた。
来る日も来る日も。
経過観察を継続し、さらに時は流れた。
その努力の甲斐あって、患者たちの容態は改善した。
人々の目に、光が戻った。
奇病は呪いではないと証明され、たくさんの死を阻止することができた。
中には未だに吸血鬼たちを敵視する者もいるが、仕方ない。吸血鬼を悪と決めつけた心に、理解を求めるのは難しいだろう。
和平への道のりは遠いかもしれないが、それでもセルジュは歩みを止めるつもりはなかった。
前途多難だ。
ただ、吸血鬼と手を取り合う人がいたのも事実だ。
セルジュの考えに理解を示す人も増え、活動に協力する人もいた。
一方でそれを望まない人は、過激な行動で同じ人間をも傷つけた。
これにより一部の者は、身の危険を感じて吸血鬼の森に移住する手段をとった。
セルジュも自衛の観点から、森を拠点として活動を続けた。
長い長い時が流れた。
その中で、セルジュとメリーダは距離を縮め、理解を深める。
そして二人は、結ばれることになった――
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