クリスマス

 長谷川邦子は魔法使いの弟子である。

夜空に火がチラつく駅前を遠く目に留め、邦子は帰宅の階段を上がる。

 携帯にはたまから駅前で火事があったことが送られていた。あの辺りには橙の事務所があるはずだ。

望月は嫌いだが、たまを火事現場に向かわせはしないだろう。していたらやはり殺す。

橙のことは心配だ。それでも勝手に行ってはいけない。邦子の身柄は庵の物なのだから。

それに彼女は強い人だ。そう簡単にやられもしないだろう。


 庵は京都から帰ってすぐ邦子の生家……の使い走りに行かされていた。今年中に帰って来られるかも怪しい。今回は先だって邦子の我儘で嫌いなたまの護衛をしてくれた。これ以上の勝手は出来ない。

 鍵を開けて邦子が家に入ると数匹の火狐(庵の使い魔)が三角の帽子を被って固まった。

「……ただいま」

 蜘蛛の子を散らすように狐たちが逃げていく。ひょっとしてなにかサプライズでも企画してくれていたのだろうか。

「つぶら、わたしは帰宅をやり直したほうが良いのかしら」

 邦子が鞄についた小さな火狐に問いかけるとマスコットのようなそれは鞄の蓋の上によじ登りワタワタと短い前足を振った。

『あの、ねー!えとねー』

つぶらはあまり頭が良くない。

『お部屋でお待ちくださると助かります』

「そう」

 静かに脱いだ靴を揃え、二階の自室に戻る。

手に下げたケーキを台所に置いておくか少し悩んだが、邪魔をしてはいけないと自前の倉庫にしまった。


 毎年、庵は家でクリスマスや正月などの行事ごとを欠かさなかった。今年も物置から出されたツリーが居間に飾ってある。邦子はそこらの感性が皆無だったから、彼なりに気を使ってくれたのだと思う。

 部屋の前に向かうとプレゼントの箱が置かれていた。クリスマスは服を贈られることも多い。

中身は少し大人びたタイトスカートとキャンディスリーブのシャツ。差し色のカーディガンと服に合わせたアクセサリー。色合いは落ち着いていて邦子の好みだ。

「素敵ね」

庵は時々とんでもない服を買ってくるが今年は当たりだ。

着ても見せる相手はいないけれど。

『邦子さまが自由以外に欲しがるものがあれば購入許可は与えられていますが、追加は必要ですか?』

庵の愛する草花の名の狐達は邦子にも優しい。

「いらないわ。……でも、そうね。暇だからわたしも台所が空いたら料理をしようかしら」

気怠げな邦子に小さな火狐が懸命に主張する。

『つぶらは、あじみのお仕事すきです』

「ありがとう。つぶら」


 神楽坂宅はほとんど電波が入らない。

それでも邦子は携帯を充電器につないでいる間だけ外部と通信できる。

アプリでクリスマスカードを作り、たまに贈る。

後で見てくれるといいな。


狐達もいるし今更寂しがる歳でもない。


・ ・ ・


 夜中、玄関が叩かれ邦子は火狐と向かった。

「ただいま!邦ちゃん!」

邦子が開けるまでもなく、玄関で庵がぜーぜーと肩で息をしていた。

着物は返り血でどす黒く汚れている。

「……おかえりなさい」

「ふふ……驚きました?」

「別に」

「あ……そう、ですか……」



 食卓に庵と、狐たちとつく

「すみません。せっかく鹿児島まで行ったので地鶏を買ってこようかと思ったのですが、思いの外追手がしつこくて」

「お疲れ様」

 狐たちは嬉しそうに少し焦げたパンやらパイやら生姜の香りがするクッキーやらを運んでくる。

火狐は例外なく主である庵が大好きなのだ。

「ありがとう。お願いしていた通りパーティーの準備をしてくれていたんですね」

庵もニコニコ上機嫌に狐たちを労う。

「庵は……先に服、着替えたら」

「そうですね。それにシャワーを浴びたいです」

苦笑いする庵が立つ前に数匹狐が駆けていく。風呂の支度をするのだろう。


「……」

『邦子さま……?』


 鍋にはクリームシチュー。オーブンにはラザニアが入っていた。テーブルにはホイルに包まれ余熱で温められているチキン。

あまりやることはないなと思いつつ邦子は魔法で湯を沸かし蒸し器で芋を蒸す。その間にタマネギをスライスして水に晒し、パプリカや水菜などを刻んで水をきりサーモンとマリネ、ふかした芋は潰してタマネギの残りとアンチョビ、粒マスタード、マヨネーズなどを和えポテトサラダにした。

重い料理が多いので箸休めになるだろう。

飲み物は狐がワインとぶどうジュースを用意していた。

『あるじさま、喜びますね』

「だといいけど」

『喜びますよ』

テーブルに料理を運ぶのを手伝い、邦子もエプロンを外す。

火狐たちはレコードプレーヤーを持ってきていた。庵が昔買った、蓄音機みたいなデザインのものだ。


 湯上がりの庵は藍の着物に麻の葉の帯を合わせていた。クリスマス感はさほどない。

『庵様おかえりなさいませー』

「メリークリスマス。庵」

「っ」

狐に渡されたクラッカーをパンと鳴らす。

庵の視線は邦子の頭の、サンタ帽子に釘付けだった。たま達に渡したミニスカサンタの帽子を試作した時のものだ。

「可愛い……」

「こういうの、好きなの?」

「……すき……すきです」

「そう」

庵の分も作ればよかっただろうか。

「ふ、服も、プレゼントしたの。着てくれたんですね」

「今年はフリフリしてなくてありがたいわ」

「可愛い、似合っています」

「そう」

『邦子さまもお料理をしてくださいました』

「!」

「九分九厘狐たちの仕事よ」

「それでも……嬉しいのです」

庵はふにゃと破顔する。


・ ・ ・


ケーキは切り分けて狐達にも与えた。毒は無い。

流石に料理の量が多いのでそちらは明日も食べることになるだろう。

「このケーキ妙に美味しいですね……」

「毒は出なかったけれど、望月……何か盛ってるのかしら……」

庵も邦子もそこそこ料理をするが、ケーキには脳を揺さぶられるような謎の旨味があった。

「要検証です……」

狐がレコードの盤に針を落とす。

落ち着いたジャズが耳に心地よい。


神楽坂宅の聖夜はこうして静かに更けていった。

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